Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

小さな本の数奇な運命

つい先程用事のついでに立ち寄った古本屋で、僕を呼んでいた一冊。

小さな本の数奇な運命 (シリーズ愛書・探書・蔵書)

小さな本の数奇な運命 (シリーズ愛書・探書・蔵書)

 

アンドレーア・ケルバーケル(望月紀子訳)『小さな本の数奇な運命』晶文社、2004年。


900円だった。普段の僕だったら、たまたま見掛けた古本を900円で買うことはしない。手に取ってみて「覚えておこう」と思うのが関の山である。だが今回は違った。原題を見て、中を開かずにはいられなくなった。
イタリア語で「Autobiografia di un Libro」とある。つまり「ある本の自伝」ということだ。これは、と思って、ついつい開いてしまった。扉にはこう書かれていた。

「四月五日、私の蔵書に一万冊目の本が入った。それを機に、ある一冊の本が発言を求めた。自分が最後にいた書店でのことを話したいのだという。以下がその本が自ら語った物語である」(7ページ)

値段を見て躊躇した挙句、購入した。読後の今は、満足している。買って良かった。

スタインベックもお呼びでなかった。もどされてきた。おかえり。ぼくらは仲間というわけだ。いろいろためになる話をしたし、似たような運命だし。つまり、きみも流行おくれなんだ。ぼくほどではないよ、もちろん、そう言っては僣越だからね。でも、ぼくらには、共通して、どこか時代おくれなところがある。若者たちの選択を見ればわかるが、ぼくらはほとんど、いや、まったく見向きもされない。ぼくらの有望市場は中年層というところか。まじめで落ちついて、だが退屈と紙一重。神よ、願わくはかくも無味乾燥なる買い手よりわれらを救われんことを」(13~14ページ)

大丈夫、人によってはスタインベックヘミングウェイを求める者もあるよ。僕も多分に漏れず、時代おくれなことは否めないけれど。

あっという間に読める薄い本の割に、しっかり楽しめました。万人に勧められるかと聞かれたら疑問符が浮かびますが、本好きなら楽しめると思います。

小さな本の数奇な運命 (シリーズ愛書・探書・蔵書)

小さな本の数奇な運命 (シリーズ愛書・探書・蔵書)