Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

マダム・エドワルダ/目玉の話

バタイユの描いた二つの短編。まさしく「極限のエロスの集約」。

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 

ジョルジュ・バタイユ中条省平訳)『マダム・エドワルダ/目玉の話』光文社古典新訳文庫、2006年。


アナイス・ニンが描くようなのとは全く異なる、直接的なエロス。猥褻な上に即物的で、それ故に下品ですらなくなっている。村上龍はこれがやりたかったんだろう。

「私はふるえていた。じっと動かない彼女を見つめ、その微笑みがあまりに甘美なので、ふるえていた。ついに私は膝をつき、よろよろと近づき、唇をなまなましい傷口に押しつけた。彼女の太腿が私の耳をやさしく包んだ。波の音が聞こえるような気がした。大きな貝殻に耳をあてると聞こえてくる音だ。淫売屋の乱痴気さわぎに呑みこまれ(息がつまりそうで、顔が火照り、汗をかいていたが)、私はふしぎな宙吊りにあって、エドワルダとふたり、風の強い夜の海辺で迷子になったかのようだった」(「マダム・エドワルダ」12~13ページ)

「あまりの恐ろしさに私の目玉は勃起するかと思われたほどでした。シモーヌの毛むくじゃらの陰唇のあいだから、マルセルの青白い目玉が見えて、尿の涙を流しながら私を見かえしてきたのです。湯気を立てる毛のなかで精液が糸を引き、それが痛ましい悲しみを添えて、この情景の仕上げをしているのでした」(「目玉の話」128~129ページ)

この本に収められた二つの短編はエロスというテーマで共通し、それを全く異なる文体で示している。訳者がこの二編を選んだのも納得できた。面白い試みだと思う。

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)