Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

バベットの晩餐会

河出書房新社池澤夏樹編世界文学全集に収められた、『アフリカの日々』を著した作家による短編二作。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

 

イサク・ディーネセン(桝田啓介訳)『バベットの晩餐会ちくま文庫、1992年。


デンマークの作家だ。表題作と「エーレンガート」の二作が収められている。二つに共通して言えるのは語り口が寓話的で、物語を読んでいる感覚が非常に強い、ということだ。また、それぞれに芸術家が登場し、各々の芸術観をあますところなく語る。描写は詩的で、細かな箇所にまで芸術性を強く感じる。

「次善のものに甘んじて満足せよなどといわれるのは、芸術家にとっては恐ろしいこと、耐えられぬことだとおっしゃったのです。芸術家が次善のもので喝采を受けるのは、恐ろしいことなのです。あのかたはおっしゃいました。芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会を与えてほしいという、世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びがあるのだと」(93~94ページ)

「真の芸術家なら、この乙女の美しさの精髄をどこに見出だそうとするでしょうか。彼女のような自然の造化は、どのような状態の瞬間を選べば、自分自身をあますところなく表わすのでしょうか。わたくしは考えられるかぎりの状況の、あらゆる姿の彼女を思い描いてまいりました。そうすることがまた甘美な楽しみでもありました。そして、わたくしははっきりとこう確信したのです。紅潮しているときの姿だと」(136ページ)

個人的には「エーレンガート」の方が面白かった。ただ、読み返したくなるのは「バベットの晩餐会」のような気もする。物語の面白さの中に、散りばめられた芸術性。晩年のトルストイが平易な表現を追求しなければ、こんな物語を書いたかもしれない。

「なんとすばらしく計りしれない想像力が、ここにあるごくちっぽけなそれぞれのものをつくり、それをまとめて一つの巨大な調和のとれた統一体につくりあげていることか。わたしは謙虚な人間ではない。自分の才能をそれなりに高く評価している。あの長い草の葉の一本くらい、その気になればつくりあげることもできたのではないかとさえ思っている。だが、この露はどうだろう、これもつくりだせただろうか。闇はつくりだせたかもしれない。だが、この星はつくりだせただろうか。あのナイチンゲールをつくりだせなかったことは確かだ」(168ページ)

『アフリカの日々』も読みたくなった。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)