Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

香水

革命前夜のフランスを舞台に描かれた、ドイツの作家による奇想天外な物語。

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

 

パトリック・ジュースキント(池内紀訳)『香水――ある人殺しの物語』文春文庫、2003年。


20世紀のドイツの作家が18世紀のフランスを描いている時点で、稀有な印象は拭えないだろう。翻訳はゲーテカフカで知られる池内紀。著者よりも年嵩な、歴とした文学を扱う翻訳者である。これだけで十分に、この物語の特異性を語れるというものだ。

「人間は目なら閉じられる。壮大なもの、恐ろしいこと、美しいものを前にして、目蓋を閉じられる。耳だってふさげる。美しいメロディーや、耳ざわりな音に応じて、両耳を開け閉めできる。だが、匂いばかりは逃れられない。それというのも、匂いは呼吸の兄弟であるからだ。人はすべて臭気とともにやってくる。生きているかぎり、拒むことができない。匂いそのものが人の只中へと入っていく。胸に問いかけて即決で好悪を決める。嫌悪と欲情、愛と憎悪を即座に決めさせる。匂いを支配する者は、人の心を支配する」(216ページ)

この世界において、鼻がどれだけの位置を占めるのか。匂いがどれだけの力を持つものなのか。普段我々が気にも止めない、匂いにまつわる物語。自身は体臭を持たず、代わりに犬さえも凌駕する嗅覚を備えた香水調合師が主人公だ。

「神はくさい。ちっぽけな、こすっからい悪臭野郎だ。神は欺されている。あるいは神自身が食わせ者だ。ちょうど自分と同じ、このグルネイユと変わらない――いや、もう少々できの悪い食わせ者!」(216~217ページ)

ストーリーが面白すぎて、さながら映画を観ているかのように、あっという間にページが進む。訳のテンポも文句のつけようがない。スタンダールの描くような世界が、恐るべき速度で通過していく。内容が無いわけではない。だが、このストーリーを思い付いただけで、ジュースキントは圧倒的な成功を約束されている。それ故に、文学的な評価という観点からこの作品が省みられるのは、ずっと先のことになるだろう。

面白かった。他に何と言えば良いのか、わからない。

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)