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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

夜間飛行

中学生の頃に読んで感動した記憶のある作品を、機会を得て再読した。

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

 

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(堀口大學訳)「夜間飛行」、新潮文庫『夜間飛行』所収、1956年。


「感動した記憶」と言っても、実際に強烈な衝撃を伴い私が記憶していたのは、以下の一節だけだった。

「彼はなおも体を傾けて外を眺めようとしたが、排気管からほとばしる炎にさまたげられて見えなかった。それは、火の花束のように発動機にまつわっているかすかな炎だった。月の光の前でさえ消えてしまいそうなほのかな光なのだが、今のこの暗黒の中では、目から視力を奪ってしまう力があった。彼はその炎に見入った。それはたいまつの炎のように、勢いよく風になびいていた」(73ページ)

何故この一節が、かくまでも鮮明に記憶されていたのか。当時の私は小説中の風景描写を蔑ろにする傾向があった。それが、この文章を読んだ瞬間に、作家の描く夜空の脅威的な、そして詩的とはおよそ言い難い暗黒の現実に、知らず知らずの内に圧倒されてしまったのだ。リアリティがありすぎた。「モーターの火花が眩しすぎる」なんて、地面にへばりつく誰に想像できるだろう。

「夜はすでに、黒い煙のように地表から昇ってきて、谷間々々を満たしていた。平野と谷間の見分けがもうつかなかった。早くもすでに、村々には灯火がついて、彼らの星座は、お互いに呼びかわしていた」(18ページ)

完璧な小説だ。文庫で100ページ程度の短編なのに、恐ろしいほどの濃密さがある。一行一行に、作家の果てしない推敲があったに違いない。だが、そんな影は微塵も感じられない。

「僕は、自分が公平だか、不公平だかは知らない。ただ、僕が、罰しさえすれば事故は減少する。責任の所在は、人間ではないのだ、それは全員を処罰しなければ罰し得ない闇の力のごときものだ。もし僕が公平だったりしたら、夜間飛行は、一度々々が、致命的な危険の伴うものになるはずだ」(55ページ)

特に、第10章の完璧さは芸術の極みだ。引用するとなれば、間違いなく全文に及ぶ。是非とも直接、手に取って読んで欲しい。

「経験が法を作ってくれるはずです。法の知識が経験に先立つ必要はありません」(71ページ)

淡々と語られる、圧倒的な情熱の本。著者が散ったのも、こんな夜の危険のためだったのだろうか。

「ただ、今は、太陽が生きているはずの東方を見つめたところでなんの役にも立たなかった。彼と太陽のあいだには、誰にも這い上がることのできないほどの夜の深さが横たわっていた」(76ページ)

中学生の自分の、読書の趣味を褒めてあげたい。また10年経った時に、この本がどんな様相を示すのか、楽しみでならない。

「人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を造り出さなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ」(100ページ)

記憶を遥かに上回る、傑作だった。「南方郵便機」は次回。

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)