Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

冬の夜ひとりの旅人が

悔しいとしか言いようがない。読後にどんな感覚に襲われるか、不安に包まれたまま読み進めていた。まさか途中で終わりもしないだろう、と思っていた矢先に、物語は完結した。あまりにも見事に、きめられた。悔しいとしか言いようがない。

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

 

イタロ・カルヴィーノ(脇功訳)『冬の夜ひとりの旅人が』ちくま文庫、1995年。


冒頭だけ書けば、それで十分な気もする。

「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。さあ、くつろいで。精神を集中して。余計な考えはすっかり遠ざけて。そしてあなたのまわりの世界がおぼろにぼやけるにまかせなさい」(9ページ)

次に読む本を選んでいる最中だったのに、手離せなくなってしまった。この文章を読んで、後回しにすることができるだろうか。鳥肌が立った。何て恐ろしい小説だろう。

さながら、短編小説集だ。しかも途中で中断される、長編として書かれつつあったものによる短編集。カルヴィーノの何が凄いって、ちょうど面白くなりはじめた時に、ぷっつりと小説が断絶するのだから凄い。ラテンアメリカを題材にしたものはマジックリアリズムのようであるし、日本を題材にしたものは心理描写が豊富だったり、文体も変えてくる。アーヴィングのようなのもあった。遊んでやがる。凄すぎる。

「職業的に本を扱う人たちの世界はしだいに人口が増して、読者たちの世界と同一化する傾向にあるわ。もちろん読者の数も増えていってるけど、別の本を作り出すために本を利用する人たちの方が本をただ読むためだけのために愛する人たちよりもずっと増えつつあると言えるわ」(130~131ページ)

二人称で進む部分では、本に関する話題が豊富だ。

「二人称での話し方が小説になるためには彼や彼女や彼らといった呼称の群れから離れた、はっきりと区別され、また共存するふたつのあなたが少なくとも必要なのだ」(205ページ)

小説に出てくる単語の数を数える機械が登場したり、何やら非常に楽しい。この本には「瞞着」と「剽窃」が多かった気がする。さて、この二語を並置することで、どんな小説を想像するだろうか?

「一瞬、私は、今では想像の及ばなくなった職業、写本家という職業の意味と魅力がいかなるものであったかわかったような気がした。写本家は読むことと書くことという、二つの時間的次元を同時に経験していたのだ。写本家はペンの前で空白が口を開けるという苦悩を知らずに書くことができ、また読むという自己の行為がなんら物質的なものに具体化されないという苦悩を味わわずに読むことができたのだ」(247ページ)

本が好きな人なら、きっと気に入るはず。芸術。

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

 

 

<読みたくなった本>
カルヴィーノ『不在の騎士』

不在の騎士 (河出文庫)

不在の騎士 (河出文庫)

 

カルヴィーノレ・コスミコミケ

レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)

レ・コスミコミケ (ハヤカワepi文庫)

 

ランドルフィ『月ノ石』

月ノ石

月ノ石