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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

黒猫/モルグ街の殺人

何となく江戸川乱歩を読んでからずっと気になっていた。たまたま光文社の新訳を古本屋で見つけたので、今回、早速読んでみた。

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

 

エドガー・アラン・ポー(小川高義訳)『黒猫/モルグ街の殺人』光文社古典新訳文庫、2006年。


19世紀のアメリカ文学である。一読した上で書くと、信じられない。19世紀? 信じられない。無意味な比較ではあるが、例えばフローベールとポーを並べてみて、同時代性を見出すことができるだろうか。しかもポーの方が十歳以上、年上だ。信じられない。それほどまでに、ポーの文章は現代に生きる我々の感性に近い(フローベールが遠い訳ではない。念のため)。

以下、収録作品。
★★☆「黒猫」
☆☆☆「本能vs.理性――黒い猫について」
★☆☆「アモンティリャードの樽」
☆☆☆「告げ口心臓」
★★☆「邪鬼」
☆☆☆「ウィリアム・ウィルソン
★☆☆「早すぎた埋葬」
★★☆「モルグ街の殺人」

代表作と見られる「黒猫」や「モルグ街の殺人」も入っていてテンションが上がる。四十歳で亡くなったポーは、元々作品の少ない作家だ。東京創元から出ている全集の文庫版も全5巻で完結している。この文庫に選ばれたラインナップが正当なものかどうかを判断する知識は持ち合わせていないが、どれも非常に良かった。

ポーの書き方は独特だ。人間の特殊な感性一般を語った後に、それにまつわる事件の顛末を語る。本編は勿論事件の方にあるのだろうが、前置きの方が長いこともあって面白い。天の邪鬼(あまのじゃく)精神を語った、「邪鬼」と題された小編が非常に良かった。

「人間は、してはいけないという理由で、してはいけないことをする」(「邪鬼」より、64ページ)

「早すぎた埋葬」では古今東西の「生きながら埋葬された例」が挙げられる。読んで頂く他はないが、ラストが凄い。こんなものまで書くのか、と思った。

「大規模な被害は悲劇の総論のようになる。本物の惨めさ、究極の悲しみは、個人に生ずるのであって、薄く広がるのではない。げに恐ろしき苦痛の極みは、個々の人間の体験だ」(「早すぎた埋葬」より、113ページ)

「たしかに、冷静な理性の目で見ても、悲しき人間の世は、地獄にも似た様相を呈することがある。だが人間はあくまで人間であって、地獄の洞窟をすべて見てまわったら、おかしくなるに決まっている」(「早すぎた埋葬」より、135ページ)

「史上最初の探偵小説」と言われる、「モルグ街の殺人」も面白かった。探偵小説の系譜がこの短編から始まったというのは、面白いとしか言いようがない。

薄くて読みやすい本なので、普段本を読まない人にも薦められる。どうでもいいが「訳者あとがき」が非常に良い。おすすめ。

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

 

 

<読みたくなった本>
ホーソーン『緋文字』
→19世紀アメリカの作家。

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

 

コナン・ドイルシャーロック・ホームズ』シリーズ。
→ホームズは「モルグ街の殺人」に出てくる探偵デュパンに対抗意識を持っているらしい。