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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

天使も踏むを恐れるところ

正直、これほどの小説に出会えるとまでは想像もしていなかった。ちくま文庫から出ているジェイン・オースティンの素晴らしい新訳で一気に有名になった、中野康司の初期の訳業。

天使も踏むを恐れるところ

天使も踏むを恐れるところ

 

エドワード・モーガン・フォースター(中野康司訳)『天使も踏むを恐れるところ』白水社、1993年。


買ったのは随分前で、気にし始めたのはそれよりももっと前のことだ。オースティンの『高慢と偏見』『分別と多感』を読んで中野康司を知り、フォースターもいずれ手に取りたいと思っていた。その二年後位に、ジュンク堂池袋本店でこの本が自由価格本としてとびきり安く売られていたのだ。購入してから更に二年ほど放置していた。

そして、ようやく読んだのだ。『ハワーズ・エンド』を先に読みたいと思っていたのだが、読む必要に迫られて本棚を漁った。期待値は恐ろしく高い。何年間、期待を高め続けたことだろうか。だがフォースターは易々と、それを越えてくれた。

「ちょうどそのとき、馬車は小さな森に入っていった。オリーブの林がつづく丘の真ん中に、茶色く陰欝に横たわった小さな森だ。木々は小さく、葉もみんな落ちているが、注目すべきことがある。木々の根もとにびっしりと菫が咲いて、まるで夏の海に木々が生えているようなのだ。イギリスにもこういう菫はあるけれど、こんなにたくさんは咲いていない。絵のなかでも、こんなにたくさんは咲いていない。こんなにたくさんの菫を咲かせる勇気のある画家はいないからだ」(29ページ)

中野康司の文章は凄い。ドイツ文学で例えるなら池内紀だ。日本語を知り尽くしている文章。読み易いどころじゃない。ひたすらに読ませる。この本を読みながらだと、決して眠れない。

「夢は人生の変転とともに消え去るものである」(32ページ)

フォースターの知性には圧倒される。イタリアへ行ったイギリス人が、かの地の人々とどのように親交を育むか。国民性の違いというものをここまで鮮やかに、実体を伴って描けるのは凄い。

「この争いは国民性の問題であり、良くも悪くも、とにかく何世代ものあいだ先祖たちがくり返し言ってきたことであり、ラテン人の男は北の国の女にやさしくしてはならず、北の国の女はラテン人の男に心を許してはならないのだということに、誰も気がつかなかった」(77ページ)

「これはつまり、正しい人間がひとりも登場しない恐ろしい現代劇のひとつなのよ」(84ページ)

この小説には多くの人物が登場し、初めは名前を覚えるのに戸惑うほどだ。リリア、アボット、フィリップ、ジーナ、ハリエットなど。この中の誰が主人公なのか、無理に定めようとすれば議論は避けられないだろう。というより、誰かと議論がしたい。僕はフィリップだと思う。『ボヴァリー夫人』のシャルルの時のように、男性に肩入れしてしまう癖がついているのかもしれない。

「健康な人間がいくら死について考えても、それは死そのものではなく、死という言葉について考えているにすぎない」(160ページ)

ただ、フィリップの知性とそれを扱う姿勢の滑稽さは、誰にも他人事では済まされないだろう。知性をもって事態を予測し、経過を完璧に予言することができるのに何一つ変えることはできない、人生の傍観者。見世物としての人生は、彼から決断を遠ざける。反対の位置にはジーナがいる。このイタリア人は何かを決断しようとしていなくとも、その純粋さ故に常に行動を起こしている。我々一般の感性は、どちらかと言えばフィリップに近いものだろう。

「言葉の壁は、ときにはありがたい壁になるもので、壁のおかげで良いことしか伝わらないのである」(192ページ)

「死者は非常に多くのものを運び去ってしまうように思われるけれど、実際は、生きている人間のものは何も持っていきはしない。死者が周囲に引き起こす激情は、簡単に変化したり転移したりはするけれど、けっして無になることはあり得ずにいつまでも生きつづけるのである」(206ページ)

アボット嬢の魅力は象徴的だ。彼女の存在が、小説全体を華やかにしている。あまりに不完全な、人間くさい知的な女性。彼女に恋をせずにこの本を読み通せるのは、女性だけだろう。

「彼は精神的な道を通って愛に到達した。彼女の考え方や、善良さや、気高さにまず心を動かされ、それから彼女の全身と、あらゆるしぐさが美しいものに見えはじめた。誰もが美しいと言っている彼女の美しさ、つまり彼女の髪や声や足の美しさにはいちばん最後に気がついた」(220ページ)

人間くさいのだ。登場人物の誰もが、隣人のように近い存在だ。脆すぎる意思と滑稽な知性を備えた、すぐ隣にいてもおかしくない人々が、全く国民性の違う異質な人々と愛情や友情を育んでいく。フォースターの人間の描きかたは凄まじい。極端なのに、身近に感じられる。

「人生は自分が思っていたよりずっと偉大だったが、しかし、ずっと不完全でもあった。努力や正義が必要だということもわかっていたが、しかし、そういうものがあまり役に立たないということもわかった」(222ページ)

明日、貯金をはたいてフォースターの全集を買ったところで後悔はしないだろう。もっともっと読みたいと思える、素晴らしい作家。この本に関しては、翻訳も最高級のものだ。大勢の人に薦めたい。

天使も踏むを恐れるところ

天使も踏むを恐れるところ

 

追記(2014年9月29日):白水uブックスになっています。

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 


<読みたくなった本>
フォースター『ハワーズ・エンド
吉田健一訳が河出の世界文学全集から復刊されている。

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

 

フォースター『アレクサンドリア
→中野康司訳。これはもう読むしかない。

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)