Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ブラッカムの爆撃機

スタジオジブリ出版部、宮崎駿の編集による、飛行機とウェストールへの愛が凝縮された一冊。

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの

 

ロバート・ウェストール(金原瑞人訳)『ブラッカムの爆撃機岩波書店、2006年。


とにかく豪華な本である。前編と後編に分かれて収録された宮崎駿のフルカラー漫画「タインマスへの旅」を読むと、一気に物語の中へ連れ込まれる。構成が非常にニクい。

以下、収録作品。
宮崎駿「タインマスへの旅(前編)」
★★★「ブラッカムの爆撃機
★★☆「チャス・マッギルの幽霊」
★★☆「ぼくを作ったもの」
宮崎駿「タインマスへの旅(後編)」

当たり前のことだが、小説よりも漫画の方がイメージを描くのが簡単だ。文字から練り上げられる世界よりも、絵として捉えられる世界の方が、圧倒的に鮮やかに記憶にとどまる。しかし、その鮮やかさも良いことばかりではない。イメージが固定され、想像の自由が効かないのだ。原作を知っている物語の映画や漫画は、その原作に比した時にひどく狭量である。「タインマスへの旅」において宮崎駿がやったことは凄い。彼は小説の導入部だけを漫画にしたのである。続きが気になる漫画。しかもその続きは、小説の中にしか存在しないのだ。漫画を効果的に使うことによって、狭量どころか想像力を圧倒的に飛躍させることに成功している。偉い。原作への敬意と絶大な信頼がないと、これほどの仕事はできない。

ウェストールが描くのは、児童文学である。タイトルに「爆撃機」などという物騒な言葉を含んだ児童文学が、これまであっただろうか。彼はとんでもないことをやった。子どもにも理解できる言葉を使って、現実の惨たらしさを描いてしまったのだ。

「ドイツもイギリスもくそくらえだ。ガソリンと爆弾を積んで、地上五千メートルを飛んでる連中と、そうでない連中があるだけだ。本当の違いってのは、それだけなんだ。空を飛ぶ連中と、空を飛べと命令する連中、それしかないんだ」(「ブラッカムの爆撃機」より、63ページ)

爆撃機の内部の様子が手に取るように判る。これにも、宮崎駿の漫画が一役買っているのは間違いない。あまりにもリアルで、恐ろしい。ホラーだったらまだ良かったとすら思える。心臓の鼓動する回数が予め定められているならば、「ブラッカムの爆撃機」を読むことによって間違いなく、我々の寿命は縮む。

表題作以外の二編も、驚くほど良い。いずれも戦争と日常の乖離が力強く描かれている。表題作が戦争そのものを内部から描いたものであるのに対して、他の二編は過去のものとして対象化された、戦争の亡霊を描いたものだ。

「あらゆるものには物語があるし、あらゆるもののあらゆる傷にも物語がある」(「ぼくを作ったもの」より、199ページ)

サン=テグジュペリ『夜間飛行』ロアルド・ダール『飛行士たちの話』と並んで、飛行機文学を代表する一冊である。飛行機野郎が熱狂する一冊。宮崎駿のテンションの高さが、それを証明している。

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの

ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの

 


<読みたくなった本>
ウェストール『“機関銃要塞”の少年たち』
ウェストール『かかし』
→ウェストールの翻訳は意外に多い。

"機関銃要塞"の少年たち (児童図書館・文学の部屋)

 
かかし

かかし

 

ロアルド・ダール『単独飛行』
宮崎駿の漫画の中に、言及がある。

単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫)