Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ロミオとジュリエット

今や悲劇の代名詞と化した恋物語。10年程前に一度読んでいるが、その頃とは全く読後感が違って驚いた。

ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志訳)『ロミオとジュリエット』白水uブックス、1983年。


『ハムレット』と続けて読んで思ったことだが、シェイクスピアという作家の凄さは、そのレトリックにある。引用されることの多い作家故、わざわざ言うまでもないと思われるかもしれないが、そのレトリックの素晴らしさは想像以上だろう。現代文学に照らし合わせるなら、イアン・マキューアンのような文章をミラン・クンデラが書いているような感覚だ。流麗な文句が細やかな心理描写の上に立っているような。『ロミオとジュリエット』は、ストーリーばかりが有名になってしまっていて、なかなかレトリックまで注目されていないのではないか。ここには、およそ恋慕の情を語る、ありとあらゆる表現が出てきている。

シェイクスピア全集に関しては、あらすじを書いておくことにした。後から思い出す助けとするために。この作品に関しては必要ないかもしれないが。

イタリアはヴェローナの大公の領地の中、キャピュレットとモンタギューという二つの名家が争いを起こしている。モンタギューの息子ロミオは、キャピュレット家の仮面舞踏会に潜入し、令嬢ジュリエットに出会う。二人はたちまち恋に落ちるが、両家の争いの図式は明らかに彼らの結婚を許さない。そこで彼ら二人は親しい神父ロレンスに頼み、秘密裏に二人だけの結婚式を上げる。
その同じ日、ロミオの親友マーキューシオが、酒場で居合わせたキャピュレット夫人の甥、ティボルトと喧嘩を巻き起こす。結婚によって寛大になることを決めたロミオは仲裁に入るが、それがために隙を突かれたマーキューシオはティボルトに刺し殺されてしまう。そして、逆上したロミオはティボルトを殺害してしまう。
大公の下したロミオの処分は、ヴェローナからの追放だった。彼はマンチュアに身を潜めることになる。ジュリエットは悲嘆に暮れるが、両親であるキャピュレット夫妻はそれをティボルトの死に依るものと誤解し、以前から言い寄っていたパリス伯爵との結婚話を早急に取り決めてしまう。
重婚の難を逃れるべく、ジュリエットは先の神父ロレンスに知恵を求める。神父はジュリエットに「42時間仮死状態に陥る眠り薬」を授ける。翌日に控えた結婚式の朝、花嫁は死んだように眠っていることとなる。ようやく目が覚める頃には墓の中、神父がそこから救い出し、ロミオの元に送る算段であった。
神父はマンチュアにいるロミオに、計画の全貌を伝える手紙を送る。しかし手紙は届かず、それよりも先にジュリエット急死の報がロミオの元に届いてしまう。絶望したロミオは追放処分も忘れ、ヴェローナに戻り、墓の前で泣き伏すパリス伯爵と相対してしまう。
パリスはロミオに斬りかかり、ロミオは逆に彼を殺し、自らも毒を飲んで命を絶つ。ジュリエットが長い長い眠りから目覚めると、墓の上に乗った二人の死体を見つけ、ロミオの剣をもって自らの胸を貫いてしまう。
ロミオとジュリエットという、両家からそれぞれ大切に育てられた、愛する二人の死をきっかけに、彼らの紛争は終結した。

「おまえはどう? あのかたを愛することができて?
 今夜の宴会でお目にかかることになるだろうが、
 パリス様のお顔を書物と思って読んでごらん、
 美の神のペンが書いた喜ばしい物語だよ。
 調和のとれた目鼻だちの一つ一つが、おたがいに
 助けあって不満のないような内容を作っている。
 この美しい書物にわかりかねるところがあれば、
 目という注がちゃんと語っていてくれるからね。
 いとしい愛の糸にとじられたことのない愛の書物、
 それを美しく仕上げるのは、つまり妻という表紙。
 魚は海にあってはじめて生きる、外の美は
 内の美をえてはじめて生き生きと輝く。
 黄金のとめがねに黄金の物語をひめかくしている、
 そういう書物こそ万人の目にほめたたえられる」(37~38ページ)

とりわけ魅力的なのは、やはりロミオとジュリエットの二人の会話だ。

「誓いなどなさらないで。
 どうしてもとおっしゃるならあなたご自身にかけて。
 私の崇拝する神であるあなたにかけての誓いなら
 おことばを信じますわ」(70ページ)

ジュリエット:あら、お呼びとめしたわけを忘れてしまったわ。
 ロミオ:思い出すまでここにいていいですね。
 ジュリエット:忘れたままでいるわ、いつまでもいてくださるように、
 あなたといる嬉しさだけを思い出しながら。
 ロミオ:いつまでもいます、いつまでも忘れているように、
 ほかに家があることなど忘れてしまいながら」(74ページ)

独白部分も非常に良い。何から何まで、上手い。

「恋人にあう心は下校する生徒のようにうきうきし、
 恋人と別れる心は登校する生徒のようにうかぬもの」(73ページ)

「来ておくれ、やさしい夜、黒い顔した愛の夜、
 そしてロミオを私におくれ。ロミオが死んだら
 返してあげる、切りきざんで小さな星にするといい、
 そうすればロミオは夜空を美しく飾り、
 地上の人という人は夜を愛するようになり、
 ギラつく太陽をうやまうことをやめるだろう」(116ページ)

「おお、造化の自然よ、地獄ではなにをなさるの、
 天国のようにかぐわしい美しい人間のからだのなかに
 悪魔の魂を包みこんでしまわれるなら?
 あんなに汚らわしい内容の書物があんなに美しく
 装丁されたことがあって? あんなに美しい宮殿に
 あんな偽りが住んでいるとは!」(120ページ)

以下は、小田島雄志の翻訳の素晴らしさを強く感じた一節。前夜にロミオに置いてきぼりにされたマーキューシオとベンヴォーリオが、ロミオと談笑しているところ。かなり長いが引用しよう。

マーキューシオ:ロミオ殿、ボン・ジュール。おまえのフランスズボンにフランス語であいさつだ。ゆうべはどうもごちそうさま。
 ロミオ:やあ、おはよう、両君。ゆうべなにか食わせたっけな。
 マーキューシオ:置いてきぼりという木彫りの皿で、いっぱい食わせたじゃないか。
 ロミオ:まあ許してくれ、マーキューシオ、よんどころない用事でな。そういう場合は礼をまげてもやむをえんこともある。
 マーキューシオ:そういう場合は膝を曲げても礼をせねばならんこともある。
 ロミオ:おれの言うのは礼儀の礼、おまえの言うのは敬礼の礼だ。
 マーキューシオ:そうだ、きれいに言いあてた。
 ロミオ:それはまた麗々しいご説明。
 マーキューシオ:礼節の好例さ、おれは。
 ロミオ:好例とは鑑ということか。
 マーキューシオ:そのとおり。
 ロミオ:それならかがみこんでおれの靴を見ろ、玲瓏鏡のごとく磨いてある。
 マーキューシオ:うまい、その調子でおれの洒落についてくるか、おまえの靴がすりへるまで。いいか、おまえの靴裏へったとて、洒落はへらずに津々浦々にとはどうだ。
 ロミオ:へったくそなる洒落なれど、口のへらずがうらやましとね。
 マーキューシオ:おい、助けてくれよ、ベンヴォーリオ、知恵の息が切れる。
 ロミオ:無知な頭に鞭をあてろ、さもないと勝負あったと声をかけるぞ。
 マーキューシオ:いや、まいった、駄洒落くらべじゃおれはおまえのいい鴨だ。それでいいかもしれん、とくりゃあ、おれの駄洒落もおまえに並ばんかな。
 ロミオ:南蛮になりたけりゃ、葱しょって来い、ねぎらってやるよ。
 マーキューシオ:ふざけやがって、おれを値切るとかみつくぞ。
 ロミオ:おっと、鴨君、おれをかもうとするのはイカモノ食いだ。
 ベンヴォーリオ:おまえの洒落もそうとうすっぱいソースだな。
 ロミオ:だから、甘ちゃん、酸いも甘いもかみわけろ。
 マーキューシオ:なめし革みたいになめらかな口だな、ギュッと縮んだりバンと伸びたりしやがる。
 ロミオ:バンと伸ばしてあいだに鴨をはさんでみようか、すなわちおまえはバカモンだ。
 マーキューシオ:え、どうだい、恋の悩みに青息吐息といったときより、ぐっといい気分だろう。いまこそおまえは友たりうる、今こそおまえは横から見ても縦から見てもロミオだ。つれない女に横恋慕してピーヒョロ泣くのは、くわえこまれて気分を出してる縦笛にでもまかせておけ。
 ベンヴォーリオ:そこまで、そこまで。
 マーキューシオ:底の底まで突っこもうとする話の腰を折る気か。
 ベンヴォーリオ:おまえに虎視眈々突っこもうと狙われる相手がそこはかとなくあわれでな。
 マーキューシオ:ところがそうじゃない。おれのこしらえた話も腰が抜け、相手をそこなうどころか底を突いたよ。もうおしまいだ」(84~87ページ)

シェイクスピアにおいて重要なのは、ストーリーではないのだ。圧倒的な表現力とでも言おうか。それしかないような比喩や描写で、ストーリーが埋め尽くされている。『ロミオとジュリエット』を読むと、それがよくわかる。あらすじを知ることに大した意味はなく、ストーリーが紡がれる過程の一つ一つの文言を噛みしめてこそ、シェイクスピアは楽しめるのだろう。

「世に数ある物語のなかで、ひときわあわれを呼ぶもの、
 それこそこのロミオとジュリエット恋物語だ」(214ページ)

次は何を読もうか。シェイクスピアの楽しみ方が、ようやくわかってきた。