Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

学問

先月末に刊行されたばかりの、山田詠美の新刊。今年は彼女にとってデビュー25周年目にあたる節目の年だ。

学問

学問

 

山田詠美『学問』新潮社、2009年。


実は近々本人に会う予定がある。そういう場合は往々にして、少なくとも新刊は読んでおかなくては、という強迫観念に襲われるのだが、今回はそれとは全く無関係に読んだ。なんとなく山田詠美を読みたかったのだ。そんな姿勢から、自分にとって山田詠美という作家が如何に大きな存在か、今更ながら実感してしまう。

個人的にはこれが一番の驚きだったが、「です・ます調」である。山田詠美の描く世界にこれほど似合わないものもないと初めは思っていたが、途中まで読んで、はっとした。「です・ます調」とは、児童文学などで使われる、語りかける文体である。この小説の内容、ほんの小さな子どもたちが次第に互いの性を意識していく過程を描くのに、これほど適したものはない。

「いつでしたか、高見先生の書庫の整理をまかされた心太のかたわらで、仁美は何をするでもなく時間を過ごしたことがありました。そこで、取り留めのない会話を交わすのは、何とも言えぬ贅沢のように、彼女には思えました。便利なものなど何もなく、すぐさま役立てられる気の利いたものもない場所。けれども、ひとたび欲しいと願えば、すべてが手に入る場所のような気がしたのです」(154ページ)

四人の男女が中心となって話が信仰する。第一章ではとても「男女」と呼ぶに似つかわしくない子どもたちが、最終章では紛れもない男と女になっている。「次第に互いの性を意識していく」と書くと陳腐だが、その間には幼い男女間の友情とも愛情とも呼べないただならぬ感情が渦巻き、そこには当然、性の意識も介在してくる。仁美と心太の関係は言葉では言い表せない。親友と断言するには愛し過ぎているし、かといって恋人とは言えない。なんだか『A2Z』の夏美と一浩の関係を思い出してしまう。

「生身の男は使いものにならないな。仁美は、いつしか、そう思うようになりました。自分を心地良さに導くのは、男の人の体そのものより、それが与えてくれるイメージの断片だと悟ったのです。ばらばらにして、秘密の儀式用に持ち帰れば、実際に体を重ねている時より、はるかに能力を発揮します。空想の中で、それらは動き回り、彼女に手心を加えられて、具体性を獲得するのです。そうして、苦心の末に創り直した男たちを、彼女は、何人も、脳みその中に住まわせていました。気分によって、彼らは選ばれ、開放されます。その後、彼女の足の間に差し込まれた指の動きに操られ、寸劇をくり返し、甘露に溺れて朽ち果てるのです」(232~233ページ)

四人の男女はみんな、何かしらの欲望に取り憑かれている。三大欲求と言われる食欲、睡眠欲、そして性欲。それは、子どもの頃から変わらない資質なのだ。「性欲にまみれた小学生なんていないよ」と思う方は、この小説を読むといい。

「セックスの途中で眠気を覚えさせる男と、セックスの終わりに眠気を誘う男は、全然違うんだよ。前の方は退屈。後の方は満足」(256~257ページ)

『ぼくは勉強ができない』や『蝶々の纏足・風葬の教室』といった作品の風景をそのままに、『A2Z』の段階まで連れていかれる。何だか凄いものを読んでいたんだな、と今にして思う。読んでいる最中にそれを感じさせないのが、彼女の力量だ。

まだまだ新作を発表してもらいたいから、集大成なんて言葉は使えない。古くからの山田詠美ファンがびっくりするような作品。今後も驚かせて欲しい。

学問

学問

 

追記(2014年10月7日):もちろん文庫化されました。

学問 (新潮文庫)

学問 (新潮文庫)