Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

吉野弘詩集

本について文章を書くと、その本に与えられる記憶が固定化されてしまう。自分が感じたことの記録が残せるという長所はあるにせよ、固定化は時に僕を臆病にする。詩集について何かを書くのが恐ろしいのだ。もしかしたら明日寝る前にちらりと読む詩が、これまでの他のどの詩よりも、自分の琴線をかき鳴らすかもしれないではないか。そんな恐怖をひしひしと感じさせるのが、この人の詩集だ。

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

 

吉野弘吉野弘詩集』ハルキ文庫、1999年。


ハルキ文庫には詩集が多い。思潮社の現代詩文庫でしか手に入らなそうな詩人のものも多くて、大変嬉しい。絶版になっている詩集は、時に恐ろしく高額だ。編纂されているとはいえ、そんな詩集の何篇かを文庫で読めるのは有難い。

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縦一列の高層ビル「竹」
光も入らない円筒形の部屋ばかり
かぐや姫のほかは
誰も住まわせたことのないのが誇です


(22ページ)
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さて、吉野弘である。吉野弘は難しい言葉を使わずに、いつも我々が使っている言葉だけで素晴らしい詩を産み出す。いつも何気なく使っている言葉が、どんなに詩的な意味を秘めているか、気付かせてくれるような詩ばかりだ。

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緑濃い峠の


緑濃い峠の
緑にも染まらず
私の乗った赤い電車
林をつらぬき走り続けた。
あのとき
風をまとった電車にあおられ
のけぞり、たわみ
葉裏を返し、激しく揉まれていた線路際の木立ち。
伸びすぎた梢は
電車にはじかれ、ピシピシ鳴っていた。
あの風景が、なぜ今も
私の目にやきついているのだろう。
赤い美しい電車に素気なく撥ねつけられているのに
それをさえ待ち焦がれていたかのように
おどけて、かぶりをふり
喚声をあげて揺れていた木立ち。
毎日つれなく走り去るだけの電車
その電車から何度、邪慳にされても
電車が好きだという身振りをかくさない木立ち。
一度、電車というものを見に来て
綺麗な電車に一目惚れ
そのまま線路沿いに住みついてしまった
とでもいうような世間離れのした木立ち。
その木立ちが電車に見せた
正直な求愛、激しい身の揉みよう
少し気はずかしげな、おどけよう――。

あんな一方的な愛もあると知った
小さな旅の一日。


(25~27ページ)
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自分も見たことのある光景、自分にも理解できる感覚が、やさしい言葉で描かれている。解説にもあるのだが、自分にも書けそうだ、と思えるところが凄い。これこそ完璧な詩人である。自分にも、とうっかり思ってしまうほど身近な感覚を、彼は詩で表現できる。我々にはできない。

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秋景


赤いコスモスの花に
蜻蛉がとまってるね
絵になってるね
俳句なら
秋の季語が二つ重なっている構図で
即座に、駄句の判定が下るけれど
自然の風物は幾つ重なっても
駄句にはならないね
蜻蛉とコスモスの他に
秋風や、なんて、季語をもう一つ加えたら
俳句は、もう目茶苦茶だが
自然の風物は幾つ重なり合っても
駄句にはならないね
不思議だね
俳句さまには申し訳ないような
選り好みなしの自然だね


(35~36ページ)
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以下は「I was born」と並んで、トップクラスに有名な「夕焼け」。教科書にも載っているから、知っている人も多いはずだ。

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夕焼け


いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。


(75~77ページ)
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さらに、結婚式で頻繁に詠まれる「祝婚歌」。こんなに素晴らしい詩を人に教えずにはいられない。有名になるわけだ。

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祝婚歌


二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


(88~90ページ)
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「漢字遊び」と題された、一連の詩も素晴らしい。一文字の漢字の中にこれほどのドラマを汲み取れる感性が、彼を完璧な詩人にしている。

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日々を過ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる。
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで――。

(163ページ)
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詩人は言葉を大切にする。詩に登場する一文字一文字に、取捨選択があったのだろう。詩集とはそんな風に選ばれた一文字の集合体である。片手間に読めるわけがないじゃないか。それなのに、吉野弘は片手間に読んでもしっかりと感動させてくれる。選ばれたやさしい言葉は、どんな時でも響いてくる。

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種子について
――「時」の海を泳ぐ稚魚のようにすらりとした柿の種


人や鳥や獣たちが
柿の実を食べ、種を捨てる
――これは、おそらく「時」の計らい

種子が、かりに
味も香りも良い果肉のようであったなら
貪欲な「現在」の舌を喜ばせ
果肉と共に食いつくされるだろう。
「時」は、それを避け
種子には好ましい味をつけなかった。

固い種子――
「現在」の評判や関心から無視され
それ故、流行に迎合する必要もなく
己を守り
「未来」への芽を
安全に内蔵している種子。

人間の歴史にも
同時代の味覚に合わない種子があって
明日をひっそり担っていることが多い。


(223~224ページ)
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詩集を紹介するのは恐ろしい。そもそも読み終わることがないのだ。読み途中の本に、どんな解説を付けようというのか。何度読み返しても足らない。ポケットの中に常に入れておきたい一冊だ。

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)