Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

アポリネール詩集

高校生のある時、フランス文学を勉強したいと思いついた。学校の帰りに一人、紀伊國屋書店の新宿南店に行き、フランス人である気がする作家の本を沢山買ったことを覚えている。コレット『青い麦』、『モーパッサン短篇集』、そして『アポリネール詩集』だ。メーテルリンクの『青い鳥』も買った。その時はまだ彼がベルギー人だということを知らなかったのだ。

アポリネール詩集 (新潮文庫)

アポリネール詩集 (新潮文庫)

 

ギヨーム・アポリネール(堀口大學訳)『アポリネール詩集』新潮文庫、1969年。


この本を買ったのは値段が安かったからだ。今も貧乏だが昔はもっと貧乏だった。420円で買える。理由はそれだけだった。あの時支払った420円は、今ではどんな大金とも交換できない価値を持つことになった。

とはいえ、初めから好きになったわけではない。何の気取りもなく詩集を読む高校生など、いるだろうか。その頃の僕はアポリネールを読みながら、詩集を読んでいる自分を内心格好良く思っていたのだ。ところがアポリネールの詩は感傷的で、凄まじいまでの求愛に満ちている。これはあまり格好良くないな、と感じた。そんな不純な経緯を経て、詩という文学が一気に身近なものとなったのだ。その後自分の恋愛が真剣なものになっていくにつれて、アポリネールに励まされるようになった。その頃好きだった詩が「ミラボー橋」だ。

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ミラボー


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る


(51~53ページ)
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「命ばかりが長く、希望ばかりが大きい」という言葉が、高校生の僕にどれだけ大きな影響を与えたことか。「ミラボー橋」は裏表紙に記載されていたり、『月下の一群』に収められていたりで、アポリネールの代表的な詩と見られることが多い。だがそんなことを知ったのは、ここ二、三年の話だ。

今回読み返して、前半の『動物詩集』から選ばれた詩が素晴らしく思えた。これだから詩は恐ろしい。下手なことは言えないのだ。

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チベット山羊


この山羊の毛も そしてまた
ジャソンがあのように難儀して
たずねまわった金の羊毛も
何のねうちもないほどです
僕がぞっこんほれこんだ
あの髪の毛にくらべたら

(16ページ)
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「ジャソン」と呼ばれている名前を、「イアソン」と変換できるようになったのは、最近付けたギリシャ神話の知識のおかげだ。アポロニオスの『アルゴナウティカ』は未だに読めていないけれど、懐かしい本の中にこんな発見があるとひどく嬉しくなる。

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僕は持ちたい 家のなかに
理解のある細君と
本のあいだを歩きまわる猫と
それなしにはどの季節にも
生きてゆけない友だちと

(17ページ)
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天へ向って墨汁を吐きながら
愛するものの生血をすすり
そうしてデリシャスに感じている
この不人情な怪物は僕だ

(26ページ)
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堀口大學の素晴らしさ。「デリシャスに感じている」って。原文はどうなっているんだ。気になって仕方ない。

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贈物


もしもそなたが望むなら
あげよう
朝を 僕の陽気な朝を
そしてそなたの好きな
僕の明るい頭髪を
青みある金いろの眼を

もしもそなたが望むなら
あげよう
日向で朝が目ざめるとき
聞えるもの音のすべてを
そして近くの噴水の中を流れる
水のひびきを
やがて来るであろう夕を
僕のさびしい心の涙の夕を
そして小さな僕の手を
そしてそなたの心のそば近く
おいてもらいたい
この心を


(128~129ページ)
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恋慕の情を語らせる時に、アポリネールと並ぶ人物はそうそういない。懐かしい。彼のこういう、身も心も捧げてしまう姿勢が大好きだった。

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あなたは果樹園


あなたは誘惑でいっぱいな果樹園
行人の飢えにとってそれは金蓮花であり
野葡萄であり 二つの茨の冠を
やさしく差出す時計草

あなたは春秋を兼ねた果樹園
果樹は退屈な空に向ってふくれあがり
春は花 秋なら果実が 夜ともなれば
あたり一面香気を満たす

果樹の枝から散り落ちた花弁は
五月の花の色をしたあなたのむごい爪でしょう
凋れた花弁はあなたの瞼と似ています
おお あなた 清らな春よ そしてうっとりした秋よ


(164~165ページ)
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キリスト教の国で自殺をすると、その墓標に十字架は許されない。「この永遠の刑科を恐れる心から自殺に踏みきれずにいるキリスト教信者は無数にある」と、堀口大學は書いている。

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自殺者


三輪の大輪の百合 十字架なきわが墓の上
三輪の大輪の百合 金を掃き 風に怖じ
閼伽とては空くらき日に 黒雲の降らす雨のみ
さりながら王の手の 笏かとも凛乎たり 楚々として

一輪はわが傷口に咲きし百合なり 光に会えば気負い立ち血をば噴く
げにこれぞ 恐怖の百合か?
三輪の大輪の百合 十字架なきわが墓の上
三輪の大輪の百合 金を掃き 風に怖じ

一輪は死の床にもだえ苦しむ 心臓に蝕みて咲きしわが百合
他の一輪は わが口内に咲きいでし百合
隔たりて一基のみ在る わが墓に 三輪の百合驕りたり
われと似て呪われて ひとりなる ただひとりなる
三輪の大輪の百合 十字架なきわが墓の上


(171~172ページ)
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そんな彼も、第一次大戦で受けた傷が元で死んでしまったのだ。堀口大學の愛惜も頷ける。同時代の人間でもないのに、僕も訳者と完全に同感だ。

読むたびに新しい感動が得られる。何年も前にほとんど偶然手に入れた本が、今また新たな感動を引き連れて帰ってくる。本は凄いなあ、と思った。次に読むときは、どんな感動を得られるのか、楽しみで仕方がない。

アポリネール詩集 (新潮文庫)

アポリネール詩集 (新潮文庫)

 

 

<読みたくなった本>
アポロニオス『アルゴナウティカ』

アルゴナウティカ―アルゴ船物語 (講談社文芸文庫)

アルゴナウティカ―アルゴ船物語 (講談社文芸文庫)

 

ジャン・コクトー『オルフェ』

オルフェ (1976年)

オルフェ (1976年)