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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ノラや

猫を愛する気持ちを書き綴った、所謂「猫文学」の中でも最高の一冊。

ノラや (中公文庫)

ノラや (中公文庫)

 

内田百閒『ノラや』中公文庫、1980年。


突然だが、僕は生まれた時から犬と猫に囲まれた生活を送っている。物心ついた頃には当然のように彼らがいて、若干の世代交代を含みながらも犬と猫の全く介在しない生活、というものをまるで送ったことがない。家族の影響で気が付けば当然のように野良を連れて帰るようになっており、家族全員がそうなのだから、ある時には大して裕福でもないのに、犬三匹・猫六匹を同時に飼っていた。自分たちの生活の水準を落としてでも犬猫たちに囲まれていようという家庭に生まれついて、彼らを好きにならずにいられるはずもない。そんな理由で僕はずっと愛犬家であって同時に愛猫家でもある。

さて、百鬼園先生である。この本の存在はずっと知っていて、愛猫家必携の一冊だということも聞き知っていたのだが、今回友人たちの強い薦めを受けてようやく手に取った。猫に対する只ならぬ激情を綴った一冊である。話しはひょんなことから先生の家に猫がやってくるところから始まる。その名もノラ。

「野良猫を野良猫のまま飼ふとしても、飼ふ以上名前があつた方がいい。野良猫だからノラと云ふ名前にした。但しイプセンのノラは女であつたが、彼は雄である。性が逆になつたりした名前はをかしいかも知れないけれど、時勢が変れば人間だつて男だか女だか判然しなくなり、入れ代わつたりしないとは限らないから男のノラで構はぬ事にする」(10~11ページ)

「野良猫を野良猫のまま飼ふ」とある通り、最初は自分の家の猫にするつもりもなく、溺愛していたわけでもない。しかしこのノラが風邪を引いたことで、すぐさま全てが一変してしまう。

「何日か経つ内に彼は風を引いた。猫が風を引くと云ふのが私には珍らしかつた。丸つきり元気がなくなつて、御飯も魚も食べない。こつちであわてて、コンビーフをバタでこね廻したのに玉子を掛けてやつて見ると、少し食べた。水の代りに牛乳を供し、蜜柑箱の中にはヰスキーの罎に温湯を入れたのを湯たんぽの代りに入れてやつた」(11ページ)

この溺愛ぶりである。七十歳を超えるおじいちゃんが猫に振り回されているのを想像すると大変愛らしく思えるが、何とこのノラが失踪してしまう。外に出たまま、いつまでも帰ってこない。こうなると大変である。おじいちゃんがオロオロし始める。そして毎日泣いてばかりいるようになってしまう。

「或る製薬会社から送つて来た精神神経鎮静剤の試供品をのんで寝ようかと思ふけれど、それが利いてぐつすり眠り込むと、ノラが帰つて来てもその物音や鳴き声が聞き取れないかも知れないと考へて躊躇する」(42ページ)

方々を探し回った挙句新聞広告まで出すのだが、これがまた可笑しい。何度も文案を変えながら広告を出し、仕舞いには「どこか外国の方の家のお世話になっているのかもしれない」と考え、英文広告まで出している。しかもその英文がまた教養の感じられる大変良い文章である。なかなか長いので引用はしないが、「おいおい、おじいちゃん」と思ってしまう。

「一緒にお膳についた。一献してゐる間も何だか引き寄せられる様に又風呂場へ行きたくなり、行けば又泣き出す。ノラが帰らなくなつてからもう十日余り経つ。それ迄は毎晩這入つてゐた風呂にまだ一度も這入らない。風呂蓋の上にノラが寝てゐた座布団と掛け布団用の風呂敷がその儘ある。その上に額を押しつけ、ゐないノラを呼んで、ノラやノラやノラやと云つて止められない。もうよさうと思つても又さう云ひたくなり、額を座布団につけて又ノラやノラやと云ふ。止めなければいけないと思つても、ゐないノラが可愛くて止められない」(49ページ)

ここまで行くと、だんだん笑えなくなってくる。おじいちゃんが心配になってきて、そして何よりノラが心配になってくる。先生は悪い想像ばかりしてしまっている。どこへ行ってしまったんだ、早く戻ってきて先生を喜ばせてあげてくれ、と切実に願うようになってくる。うちの猫が失踪したらどうしよう、と不安になり、近頃体調の芳しくない我が家の猫が心配になってきて仕事が手につかない。

ノラの失踪中、クルツという名のノラそっくりの猫が先生の家に出入りするようになる。このクルがまた人を泣かせる。ケンタッキーでこの本を読みながら泣いてしまった。どんなことがあったのか、とても書けない。

「本誌に寄せた「ノラや」「ノラやノラや」その他を輯めた単行本が出来掛かつてゐて、今その校正中である。
 だれでもさうであるに違ひなく、当然の事ではあるが、私は一篇の文章を書き上げた後その推敲に骨を削り、何遍でも読み返した上でないと原稿を編輯者に渡す気になれない。ところが、読んでくれた人に申し訳ない事で、あけすけに云ふのも憚る様であるが、「ノラや」と「ノラやノラや」の二篇は推敲はおろか、書き上げた物に後から一通り目を通すと云ふただそれだけの事すらしてゐない。とても出来なかつたのである。締切りに追はれた為ではない。苦しくて自分の書いた物を読み返す事が出来なかつた。書き綴るのがやつとであつて、それをもう一度読んで見る勇気はなかつた」(157~158ページ)

この言葉の通り、この本は全体的に内容の重複する箇所が多い。でも仕方ないではないか。特に愛猫家にとっては、涙なくして読める代物ではない。ノラやノラや、今はお前はどこにゐるのだ。

最初は面白可笑しく読んでいたのが、途中から涙なしには読めなくなってしまった。もう完全に無理。一度でも猫を溺愛したことのある人なら誰でもそうなるんじゃないか。今までに飼っていた猫たちのことを思い出して、寂しいながらも幸せな気持ちになれた。みんな可愛かったなあ。おじいちゃん、ありがとう。

ノラや (中公文庫)

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<猫文学セレクション>
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