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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

終の住処

磯崎憲一郎の第四作目であり、芥川賞受賞作品。書き下ろしの短篇「ペナント」を追加した上で早くも単行本化。

終の住処

終の住処

 

磯崎憲一郎『終の住処』新潮社、2009年。


芥川賞受賞作品、とさらりと書いたが、実はこの受賞は僕にとって大変大きな出来事だった。この作品が賞の候補作品になるよりも前に磯崎さんご本人に会う機会があり、『世紀の発見』の単行本が出る頃には既に馴染みの作家となっていた。芥川賞の候補、と聞いて「今更新人賞を取るのか」と思ってしまったほどだ。実際に取った今では自分のことのように嬉しい。おめでとう、磯崎さん。

さて「終の住処」である。前から書いている通り、磯崎の第一の特徴は奇妙な時間感覚だ。この作品でも彼のこの特徴は遺憾無く発揮されている。

「食事からの帰り道、空には満月があった。この数ヶ月というもの、月は満月のままだった。どんなときでも、それはもちろん夜に限ってではあるが、彼が空を見上げればそこには満月があった。月は自らの力で銀色に輝き始め、不思議なことに雲よりも近く手前にあった。しかも彼以外の誰にも気づかれぬぐらい密やかに、ゆっくりと、大きくなっていた」(17ページ)

人生においても充実した時間とそうでない時間があるように、磯崎の描く世界でも時間の進み方は一定ではない。同じこと、例えば仕事を変化なく続けている限り、磯崎はそれを書かない。故に十一年が一行で過ぎていく。これが磯崎の時間感覚である。

「終の住処」は夫婦の話である。そういう風にメディアが紹介したからか、なかなか好調に売上を伸ばしているようだ。ただ、これは単なる夫婦の話ではない。極限まで磯崎的な夫婦の話である。芥川賞受賞作という文句に惹かれて読む人は驚くに違いない。『肝心の子供』は少し違うけれど、『眼と太陽』や『世紀の発見』を読んでこちらには免疫がついている。女が常に絡んでくるあたりも磯崎的である。一歩間違えばただの最低な男の話に写るかもしれない。話題になって売れていくのは嬉しいが、大衆的なところなど欠片もないのだ。デビュー四作目にして既に「磯崎的」なんて言葉がまかり通るほど、確固たる文体の特徴を持った文学なのである。

「待ち合わせの時間を四十分も過ぎてから、妻はようやく現れた。グレイのツイードのスカートに厚手のセーターを羽織り、頭には見たこともない毛糸の帽子を被っていた。外もさすがにそこまで寒くはないだろう、それともこの女は、俺が知らないだけで、じつは極端な寒がりだったとでもいうのか? 「シャワーを浴びていたから」この理由をどう受け止めてよいものか? 彼に対する先制攻撃だろうか、それとも自分を優位に見せたいという虚勢だろうか。思案しているうちに、妻は次の言葉を継いだ。「カレーとサンドイッチを頂きます」妻の食欲は旺盛だった。彼から話しかける間も与えずに、ふたつの皿は一気に平らげられた。これほどわき目もふらず食べることに没頭する妻をいままで見たことがない、そんな病的なまでの食欲だった」(44ページ)

『眼と太陽』や『世紀の発見』を読みながらも思ったことだが、この人のユーモアもまた独特である。話の飛躍する具合が既にユーモアだ。突飛すぎる考えが、更に突飛な行動によって覆され、論理を追いかけていられなくなる。登場人物もみんなどこかおかしい。しかも姿勢は真剣そのものなのだ。これがユーモアでなくて一体何であろう。

「まったく不思議なことだったが、人生においてはとうてい重要とは思えないようなもの、無いなら無いに越したことはないようなものたちによって、かろうじて人生そのものが存続しているのだった。じっさいいまの彼は過去のために生きていた、そしてそれで良いと思っていた。「ああ、過去というのは、ただそれが過去であるというだけで、どうしてこんなにも遥かなのだろう」」(103ページ)

素晴らしかった。『眼と太陽』が一番好きだと思っていたが、上をいくかもしれない。元々芥川賞を重視していないからこれが受賞作であることに大した感慨もないが、賞のおかげで単行本化が早まったのは嬉しい。

非常に短い小篇「ペナント」も併収されている。

「雲の切れ間から小さな星は見えたが、月はなかった。仮にボタンがこの階段のいずれかの段に落ちていたとしても、この暗さ、このぬかるみ、この心理状態では見つかるものも見つかるまい。ところがこの日の男には、だからこそ、見つからなくて当たり前のこんな状況であればこそ、あの茶色い硬貨大の練りボタンは必ず発見される、他の誰でもなく自分がそれを見つけ、拾い上げる瞬間が時間の流れの中に予め組み込まれている、そう思えてならなかったのだ」(128ページ)

この確信、この運命論者のような態度もまた、磯崎の特徴である。時間感覚、ユーモア、そして確信。以前の作品の時には色使いについて書いた。ここまで自分の文学を築いている作家が、まだ芥川賞を取っていなかったことの方がおかしいではないか。

今まで刊行された単行本はどれも短いものばかりだから、いずれ五百から千ページくらいの大長編も読んでみたい。この密度で書かれると、しんどい気もするが。新刊が楽しみである。

終の住処

終の住処

 

 追記(2014年10月15日):文庫化されています。

終の住処 (新潮文庫)

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