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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

アインシュタインの夢

先日友人と話をしていて、ハヤカワepi文庫の全点読破を目指すことになった。期限を設けるわけではないので緩やかに実施されるに違いないが、特に初期のものに手を回すのはなかなか大変である。先日、田村隆一の詩を読んでいてアインシュタインの名前が出てきた。こんな繋がりを使わない手はない。

アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)

アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)

 

アラン・ライトマン(浅倉久志訳)『アインシュタインの夢』ハヤカワepi文庫、2002年。


妙な本だった。小説であることは間違いないのだが、書いているのは物理学者であり、テーマは時間である。1905年、アインシュタイン特殊相対性理論の論文を発表した年に、彼が見たかもしれない時間にまつわる夢を空想したものだ。ショート・ショートのような長さのそれぞれの夢がまとめられている。

「かりに時間が始めも終わりもない円環であるとしてみよう。その場合、世界はその歴史を正確に、かつ無限にくりかえしていくだろう」(9ページ)

「時間」という概念がこれでもかというほど様々な角度から見直されている。夢の世界はいつだって奇妙な時間軸に支配されているのだ。30のエピソードが紹介されていて、その全てが固有の時間を持っている。円環の時間、逆行する時間、絶対的な存在としての時間、相対的な存在としての時間、未来のない時間、世界の終焉が予見された時間、人生が一日で終わる人々の住む時間、不老不死の人々にとっての時間、などなど。

「ひとりの男が友人の墓のそばに立ち、ひとにぎりの土を棺の上に投げ、つめたい四月の雨が顔に降りかかるのを感じる。しかし、男は泣かない。男は未来をたのしみにしている。もっと肺が丈夫になった友人が笑いながらベッドから起きあがり、ふたりでいっしょにエールを飲み、ヨットに乗り、語りあうことができる日を。だから、男は泣かない。未来でおぼえている特別な一日を心待ちにしている。その日には、低く平らなテーブルをはさんで友人とサンドイッチを食べながら、どんどん年を重ねてだれにも愛されなくなる日がくる不安を説明するだろう。そして、友人は優しくうなずき、かたわらの窓ガラスの上には雨が流れ落ちているだろう」(91ページ)

以上は時間の逆行する世界を描いたエピソードからの引用である。ただ純粋に科学的な考察だとしたら退屈極まりないものを、一連のフィクションとして創作したのは見事だ。そちらの方が断然面白い。

様々な時間を眺めていくと、「インタールード」として唐突にアインシュタイン本人が登場してくる。実在する彼の親友ベッソーと、一緒に釣りをしたりしている。

アインシュタインは雲を見つめるが、まだ研究のことが頭から離れない。自分の見た夢のことをベッソーに話したいが、なんとなく切りだしかねている」(124~125ページ)

アインシュタインが見たかもしれない夢」というそもそものテーマが素晴らしいではないか。もう少しそれぞれの時間を掘り下げて語って欲しかった気もするが、物理学者にそれをやらせたらえらいことになってしまうかもしれない。エンデの『モモ』とは全く違うが、時間をテーマにした本を読みたい人には迷わず薦められる一冊である。

アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)

アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)