Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

萩原朔太郎詩集

わがホームタウン吉祥寺を代表する詩人が、薦めてくれた朔太郎。彼は萩原朔太郎の詩集に出会った日、それをマクドナルドにて徹夜で読み、そして翌朝、辞表を携えて当時の職場へ向かったそうだ。「俺は詩人なんだ」と気付かされたと、彼は笑いながら話してくれた。

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

 

萩原朔太郎萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1952年。


本当は新潮文庫版を薦められたのだが、岩波文庫版は選者が三好達治なのでついつい浮気してしまった。最初の一冊なのだから、言われた通りに新潮版にしておけば良かったかもしれない、と今更思う。最初から分厚い詩集を手に取ると、味わいながら読む、ということを中々しなくなってしまう。読み返したい箇所が多くなりすぎてしまうのも難点だ。単行本の詩集が総じて薄いのはそういう理由からなのかもしれない。今後の教訓として覚えておきたい。

さて、朔太郎である。ほとんど予備知識もなしに、薦めに従うかたちで読んだ。驚いたのは寂寥感をうたった詩のあまりに多いことだ。孤独な男が浮かび上がってきて、読んでいる自分に覆い被さってくる。失礼ながら、もっと軽いものを想像していた。友人が「好きな詩人は朔太郎だ」と言った時の言葉の重みを、全く感じ取れていなかったことに気が付いた。

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掌上の種


われは手のうへに土を盛り、
土のうへに種をまく、
いま白きぢようろもて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり。


(100~101ページ)
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尾崎放哉の句を読んでいるような侘しさだ。人を求めながらにして孤独を痛感している詩人は、普通の人々の気が付かない事物の寂寥に敏感になってしまう。ふとした時に感じる寂しさが永続する寂しさと融け合って、詩が生まれてしまう。

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青樹の梢をあふぎて


まづしい、さみしい町の裏通りで、
青樹がほそほそと生えてゐた。

わたしは愛をもとめてゐる、
わたしを愛する心のまづしい乙女を求めてゐる、
わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるへてゐる。
わたしは遠い遠い街道で乞食をした、
みぢめにも飢えた心が腐つた葱や肉のにほひを嗅いで涙をながした、
うらぶれはてた乞食の心でいつも町の裏通りを歩きまはつた。

愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である。

道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちつぽけな葉つぱがひらひらと風にひるがへつてゐた。


(152~153ページ)
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大砲を撃つ


わたしはびらびらした外套をきて
草むらの中から大砲をひきだしてゐる。
なにを撃たうといふでもない
わたしのはらわたのなかに火薬をつめ
ひきがへるのやうにむつくりとふくれてゐよう。
さうしてほら貝みたいな瞳だまをひらき
まつ青な顔をして
かうばうたる海や陸地をながめてゐるのさ。
この辺のやつらにつきあひもなく
どうせろくでもない貝肉のばけものぐらゐに見えるだらうよ。
のらくら息子のわたしの部屋には
春さきののどかな光もささず
陰鬱な寝床のなかにごろごろとねころんでゐる。
わたしをののしりわらふ世間のこゑごゑ
だれひとりきてなぐさめてくれるものもなく
やさしい婦人のうたごゑもきこえはしない。
それゆゑわたしの瞳だまはますますひらいて
へんにとうめいなる硝子玉になつてしまつた。
なにを喰べようといふでもない
妄想のはらわたに火薬をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲をひきずりだして
どおぼん どおぼんとうつてゐようよ。


(380~381ページ)
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個人的な思い出と繋がってしまったのが、以下の「旅上」。「ふらんすへ行きたし」と、僕は今でも想っている。朔太郎の頃に比べれば、彼の地は遙かに近くなっているというのに、それでもその夢が遙かなものに思えてしまうことには変わりがない。

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旅上


ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。


(31ページ)
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聞き慣れない擬音に興奮したのが「遺伝」。「お母さん」と問いかける子に「いいえ子供」と答える母が、どことなくユーモラスに感じられるのは僕だけではあるまい。

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遺伝


人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
  のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聴き! しづかにして
道路の向ふで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
  のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母さん。」
「いいえ子供
 犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
  のをあある とをあある のをあある やわああ

「犬は病んでゐるの? お母さん。」
「いいえ子供
 犬は飢ゑてゐるのですよ。」


(277~279ページ)
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三好達治編纂のこの詩集は八冊の詩集を底本としている。それぞれの序文は朔太郎のものばかりではなく、室生犀星北原白秋のものも含まれ、当時の詩人たちの交流を教えてくれ、彼らが抱いている朔太郎の詩に対する想いを伝えてくれる。『月に吠える』の序文において朔太郎は「詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」と書き、白秋は「それがほんたうの生身であり、生身から滴らす粘液がほんたうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が証明してゐる」と書いている。

「『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい?』といふ問に対しては何人もたやすくその心理を説明することはできない。
 思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であって、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであって、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである」(67ページ)

「詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である」(68ページ)

巻末にあらわれる「散文詩」は三好達治による粋な「付録」である。元々評論として書かれた文章の一部を抽出して散文詩と名付けられたものだそうだ。この人の小説を読んでみたいと思うほど、美しい文章が流れるように入ってくる。

「私は孤独の椅子を探して、都会の街々を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知った。一杯の冷たい麦酒と、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだった」(「虚無の歌」より、462~463ページ)

同じく岩波文庫から『猫町』という短篇・随筆集が刊行されている。今手元に無いことが悲しくて仕方がない。この本ばかりは吉祥寺で買いたいものだ。

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)