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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ほらふき男爵の冒険

ジャリの『超男性』に「ほらふき男爵」こと、ミュンヒハウゼン男爵の名が登場したのを機に手に取った一冊。古典はこういう機会を活用しないとなかなか読まない。

ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)

ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)

 

ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(新井皓士訳)『ほらふき男爵の冒険』岩波文庫、1983年。


伝説のほらふき、ミュンヒハウゼン男爵の一大冒険譚である。ページを開くとすぐに、一人称が「ワガハイ」という非常に癖のある翻訳に驚かされる。読み進める内に慣れてしまうのだが、なかなか読書が軌道に乗らずに戸惑ってしまう。内容も「ほらふき男爵」の名に恥じぬ恐ろしく胡散臭いもので、時々語り手である男爵が真実味を高めようとあくせくしているのが面白い。

「さてエストニアだったかインゲルマンラントだったかもはや記憶にありませぬが、ともあれ今もマザマザ想い出されるのは、ある恐っそろしい森の中、ふと気づくや一匹のぞっとするような狼がワガ後を追ってくる。冬場、腹をすかしきった、貪欲そのものの、すさまじい勢いで、たちまち追い迫ってきた。逃がれる事などてんで不可能、ワガハイ機械的にそりの上にペタッと身を伏せ、お互いウマクいけよかしと、一切ウマにおまかせした。するとだ、もしやとチラとは思ったが、よもや適うとは望みも予期もしかねたこと、それがその直後に起ったのであります。狼の奴、ワガハイごときチャチなものには目もくれず、ワガハイを跳びこえるや、猛然と馬を襲ってくらいつき、あっという間に哀れな獣の尻をばたいらげた、食われながらも恐怖と苦痛で馬はますます疾駆するという次第。身はかくしてウマク無視されピンチを脱したワガハイ、そうっと顔をあげて見て仰天した、狼の奴いまや馬体に食い入ってほとんどスッポリもぐらんばかり。だが奴が見事馬の中に食いいり押しいり姿を消すや、すかさずワガハイ好機を逸さず鞭をば手にとり、馬皮の上から奴にビシビシくらわしたのだ。皮の中の奴はこの不意打ちによほど驚愕したのであります。全速力でただ前へ前へと行こうとした、すると馬のむくろがパラリと地におち、なんと、代わりにワガ狼の奴、馬具にすっかりはまっていたのであった」(19~20ページ)

この「ワガハイ調」は決して取っつきやすいものではないのだが、格調高いように感じられるほど古くさい訳文は時折驚くべき効果を上げる。例えば以下の挿話である。

「たとえば諸君、こんなケースがあるが如何じゃろう。――ポーランドのとある森、日も暮れ弾も尽きはてた時の事。家路についたワガハイに、身の毛もよだつ大熊がカッと口開けひと呑みにせんばかりに襲いかかってきたのであった。慌てて物入れ・ポケットに火薬と弾をあちこち探したが無駄、みつかったのはただ二個の(鉄砲用)燧石、これはまさかの要心に大概持って歩くものであります。こいつを一個、ワガハイ渾身の力をこめて怪物のカッと開いた口めがけ投げつけ、喉の奥までたたき込んだ。奴はこれはどうもまずいと思ったかもしれませんな、回れヒダリをやらかした。そこでワガハイ、残る一個を後門めがけて投擲可能とあいなった。燧石はうまく入ったばかりじゃない、腹中で、もひとつの燧石とまんまとかち合い、火花を発し、すさまじい轟音もろとも熊公を爆裂せしめた」(39~40ページ)

「熊公を爆裂せしめた」なんて日本語を読む機会は、今後二度とないだろう。

「またある時、さる沼を跳び越えようとした事がある。ところが踏みきって初めて気がついた。沼の幅がはじめ思ったよりズンと広いのである。そこでワガハイ空中で馬首をばめぐらし、もとの地点へ舞いおりた」(70ページ)

この「空中で馬を引き返させた」という挿話が『超男性』で紹介されていたのだ。他にも男爵は好き放題に語っているのに、よりによってこれかよ、と思う。

「あいや、殿下、嘘か真か、お験しなさらずば。ワガハイの言葉にいつわりあらば――ワガハイ、ほら大言壮語は不倶戴天の敵でござるによって――殿下にはそれがしの首をチョン切るよう、お命じなされませ。したが、ワガハイの首とて、野辺のタンポポの首ではごさらぬぞ」(130ページ)

こういう素敵な言い訳っぷりがどことなく憎めない男爵像を与えているのは間違いない。

タヒチ島を通過してから十八日目であります。大暴風が起ってワガハイの乗った船が海面から、まず少なくとも千マイルがとこ空高く吹きとばされ、かなり長い間この高空にとめおかれてしまった。やがて遂に新たな風が起って帆がふくらんだと思うと、今度は信じられぬくらいの速度で突き進んだ。こうして六週間というもの雲の上を航行し続けた時、大きな陸地をわれわれは発見したのであります。丸く輝やく、いわば光る島であった。恰好の港もあるし、船を寄せて上陸してみると、これが無人の島ではないのだナ。眼を下方に転ずれば、都会や森林、山、河、海などのある、もひとつ別の地も見えた。どうやら推定するにそれこそわれわれが後にしてきた地球の世界であった。――この月世界で――つまりわれわれが上陸した光る島がまさにそれだったわけで――頭が三個ついたハゲタカにまたがる巨人たちをわれわれは見たのであります」(192~194ページ)

男爵は月にも行く。ちなみにこれは二回目。地底の神々にも会っているし、ミルクの海に囲まれたチーズの島の人々とも語らっている。刊行年は1788年。ジュール・ヴェルヌに先立つ「驚異の旅」の数々である。ただし全て胡散臭い。

解説に書かれた「ほらふき男爵」の誕生秘話が存外面白かった。「民間伝承の民俗的遺産」(「解説」より、247ページ)の集積が、男爵の冒険譚を形作っているのである。つまり酒場で語られる酔っぱらいたちの武勇伝の数々が、一冊の本として読み継がれているのだ。ちなみにほとんど全てのページにギュスターヴ・ドレの挿絵が付された、文庫ながらも大変豪華な本である。でも、敢えて薦めるほどではない。

ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)

ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)

 


<読みたくなった本>
ケストナーケストナーの「ほらふき男爵」』
→男爵の滑りっぱなしの文章をケストナーは如何にして笑いに変換するのか。

ケストナーの「ほらふき男爵」 (ちくま文庫)

ケストナーの「ほらふき男爵」 (ちくま文庫)