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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

水族館のはなし

『時刻表2万キロ』『病牀六尺』に続く読書クラブ「伝奇集会」の第三回課題図書。メンバーでの遠足を考慮に入れた、新しい観点による選書である。

水族館のはなし (岩波新書)

水族館のはなし (岩波新書)

 

堀由紀子『水族館のはなし』岩波新書、1998年。


先日メンバーで行った「文学遠足」が異常に楽しかったことから、「伝奇集会」では外出を念頭に置いた読書をするようになった。ちなみに「文学遠足」とは晴れた日に公園にビニールシートを広げ、大勢で酒やお菓子を飲み食いしながら黙々と本を読むという企画であった。外での読書は気持ちが良い。

今回課題図書となった『水族館のはなし』は、江ノ島水族館館長による水族館にまつわる情報を網羅的に詰め込んだ一冊である。水族館という施設の歴史からミナミゾウアザラシの繁殖方法まで、テーマは大変多岐にわたっている。

以下、目次を列挙。

第一部:水族館――誕生から現在まで
   1.水族館の誕生
   2.水族館とアカデミズム
   3.世界の水族館はいま
   4.日本の水族館の歴史
第二部:水族館の役割
   1.水族館の役割と展示の方法
   2.飼育の挑戦
   3.水族館のイルカたち
   4.マリン・マンマルズ――海獣類
   5.ヨウスコウカワイルカの保護活動
   6.少なくなった日本の淡水魚

特に面白かったのは第一部の「水族館とアカデミズム」だ。アリストテレスによる生物の分類からダーウィン、ヘッケルに至るまでの生物学の歴史が概観されている。

アリストテレスは動物学の歴史の中で、動物の分類を最初に手がけた学者であり、自分の知り得た限りの形態をよく処理し、理解し、それを自然科学の系統に分類した。系統分類学は、19世紀にキュビエ、リンネ、ヘッケルによって新たに発展したが、それまでは2000年にもわたってアリストテレスの動物学の体系、三巻が動物界の真実を正しく把握したものとされていたのである」(19ページ)

博物学」という言葉の意味の広範さ、そして「博物館」が抱える対象の多様性が学問的・歴史的な観点から説明されているのが非常に面白い。

「ビュフォンの壮大な博物学にふれたが、現在、「博物学」は死語に近い言葉となっている。広辞苑をひもといてみると、博物学は「動植物や鉱物・地質などの自然物の記載や分類などを行なった総合的な学問分野。これから独立して生物学・植物学などが生れる前の呼称」とあり、明治時代にはナチュラル・ヒストリーの訳語として用いられていた」(25ページ)

世界の様々な水族館が紹介される段になって、こんな一文を発見、興奮した。古本巡りをしていると福武文庫の棚でたまに見かけるタイトルである。

「かつてモントレー湾は、アワビ、ウニ、イワシなどの豊富な漁場であったが、乱獲がたたり1950年ごろをさかいにして漁場としては完全に衰退していった。建ち並ぶ缶詰工場は廃屋となったが、キャナリー・ローとアンチョビー工場はそのまま地名として残った。ゴーストタウン化した古い町並みはスタインベックの小説の題材にもなったという」(49ページ)

水族館の設備や飼育方法における常識は、我々素人の想像をはるかに越えたところにあることに気が付く。著者が当たり前という風に書いている箇所が目について仕方がない。つまり、突っ込みどころが多い。

「日本では伊豆三津シーパラダイスの中島将行館長が1981年に初めてラッコを導入したが、ワシントン条約付属書1という厳しい動物輸出入規制のため、ラッコ展示施設は米国の厳しい規準を守り、獣医も米国から同行して監視するというなかで、慎重に飼育が開始された」(55~56ページ)

ラッコ一匹に付き、一人の米国獣医である。絶滅が危惧される品種というのは本当にものすごい管理体制だ。その後江ノ島水族館にも二頭のラッコが到着する。

「新装オープン一週間前に、成田から16時間かけて慎重に輸送され、到着したバンズビー、ニコルズ(後にララ、ココと改名)と呼ばれたこの二頭は、新装されたプールに元気に飛び込んでくれた」(56ページ)

「バンズビー」と「ニコルズ」という名前の方が新たな顧客を掴めるような気がしてならないのは私だけだろうか。

水族館に行きたくなるのは勿論のことだが、読み進めると水族館に行かずして生物の驚異に出会うことができる。例えばウミガメである。

江ノ島水族館では、水族館の入口中央にウミガメ類を開館当初から展示し、1956年にはインド洋のセイロン島沖でとれたものが寄贈されて37年目を迎えているが、日本最大級の体重と長寿記録保持となっている。陸上のゾウガメ類は、200年くらいの長寿と推定されており、ウミガメの寿命は江ノ島水族館では50年くらいではないかと推定しているが、まだ定かではない。健康状態のチェックを継続的に行うことなどの毎日の飼育観察作業も大切だが、江ノ島水族館では1966年から「ウミガメの健康診断」といって毎年八月の第一週の日曜日に全頭の体重、疾病や擦過傷の診断を行っている。獣医をはじめ水族館スタッフ14名によって1997年にはウミガメ全13個体の診断を行った結果、最長老のアオウミガメは甲長(甲らの長さ)112cm、体重175kgであった」(111ページ)

成人してからはまるで水族館に足を運ぶこともなくなってしまったので、容易に想像ができないスケールの話ばかりだ。甲羅の長さだけで1メートルを超えるウミガメに会ってみたい。イルカとクジラに関して付された注解でも驚く。

「ここでイルカとクジラの違いについて一言触れておくと、どちらもクジラの仲間であるのだが、体の大きさが3~4m前後をイルカと呼び、ゴンドウ類のように4m以上のものをクジラと呼称している」(117ページ)

説明を読んでみると勿論品種の違いで我々の想像するそれぞれの動物の差異が生じてはいるのだが、その線引きが身体の大きさで為されているとは知らなかった。

ミナミゾウアザラシの性成熟は雄で四歳、雌で二歳くらいであることが知られている。雄の発情期は自然界では九月から十月ころといわれているが、大吉は夏を除く春でも秋でも交尾を行っていた。交尾行動は特に寒冷期に多いが、六月ころまで発情が継続されると、雌に対し非常に凶暴となり、繁殖用に入れた雌を咬んで傷つけたりするので、三月下旬から六月までは雌を隔離したりしていた」(147ページ)

江ノ島水族館の大吉くんのサディスト的側面もさらりと説明される。もうちょっとこの事実を面白がるような書き方をすることは出来なかったのだろうか。出来ないだろうな。

テーマに親しみが無い分知らないことばかりだったのだけれど、全体的に文章が悪いように思う。文筆業の人が書いているわけではないのだから当たり前なのかもしれないが、文章のテンポが悪く、如何にも「苦労して一文を書きまたしばらく間を空けて一文を継ぎ足して書かれた文章」という感じが否めない。編集でどうにかならなかったのだろうか。ウミガメの下りの引用で何回「江ノ島水族館では~」と書いているかを見れば一目瞭然であろう。

それと、文句ばかり言っているようだがもう一つ、テーマが広範になり過ぎ、どうも詰め込み過ぎているように思えた。個別に一冊の本が書けるような内容を数行でまとめられると、読んでいる方は処理するのが大変である。情報量が多過ぎるし、素人にはいまひとつ理解できない箇所も多い。一つ一つの希少野生生物の保護活動なんて、それだけでドキュメンタリーではないか。著者自身何度も中国・日本間を往復してヨウスコウカワイルカの保護活動に奔走するなど、書きたいことは沢山あるだろうに、ちょっと残念である。

それでも、江ノ島水族館に行ってみたいと思った。ウミガメやミナミゾウアザラシのミナゾウ君に会いたい。文章は決して流麗ではないし、素人にとっては退屈な箇所も多いものの、水族館の魅力が詰まっていることは間違いない。クラゲも見たい。「バンズビー」と「ニコルズ」にも会いたい。この本が書かれてから10年以上も経ってしまっているので全て叶えるのは難しいだろうが、とにかく行かざるを得なくなった。それだけでこの本は十分に役割を果たしていると言えるだろう。

水族館のはなし (岩波新書)

水族館のはなし (岩波新書)

 


<読みたくなった本>
ダーウィン種の起源

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

 
種の起源〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

種の起源〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

 

スタインベック『キャナリー・ロウ』

キャナリー・ロウ―缶詰横町 (福武文庫)

キャナリー・ロウ―缶詰横町 (福武文庫)