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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ロボットとは何か

吉祥寺のブックスルーエに立ち寄った時に薦められた一冊。どうやら彼は手当たり次第にこの新刊を推薦しているようだ。そんな気持ちになるのも理解できる、誰にも興味のあるテーマを論じた講談社現代新書の新刊。

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)

 

石黒浩『ロボットとは何か――人の心を映す鏡』講談社現代新書、2009年。


あっという間に読み終えてしまった。ロボット工学の第一人者による著書ということもあって完全に理系の読み物を予想していたのだが、嬉しいことにこの予想は外れた。完全に文系で育った私でもスラスラと読めるのは、この著者の立っている科学者にしては特異とも言えるスタンスのおかげである。

「ロボットが心を持つようになるかどうかは分からない。ただ、ロボットが心を持たないとしても、その仕草に心を感じることはできる。我々の目は、ロボットにも人と同じような心を見ているのである。そして、そのロボットを見る人の目には、そのロボットに対する感情が表れる。このようにしていつの日か、ロボットも、人間同士の心のつながりの輪に入っていくことができるのだろう」(5ページ)

つまり、この著者はロボットに対する研究を通じて人間一般の理解に努めようとしているのだ。ロボットに心を感じる動きをさせるには、まず人間の心を理解していなくてはならない。彼は認知科学や心理学を援用しながら、人間そのものの深淵へと下っていこうとする。

「ロボットが複雑になればなるほど、人間は親近感を高めていくが、ある程度人間らしくなると、突然不気味な感覚を持つのである。また、動くロボットと動かないロボットでは、その不気味さの度合いは異なり、動くロボットの方が強い不気味感をもたらす」(54ページ)

面白いのがこの「不気味の谷」と呼ばれる現象である。人間らしさを持つものが人間らしく動かないと、まるで死体が動いているように見えるというのだ。彼は四歳の自分の娘そっくりのアンドロイドを作成し、それを娘と対面させる。その際の娘の反応が「不気味」であったのだ。当たり前のようにも思えるがこれとは反対に、より人間らしさを追求した精緻な動きをするアンドロイドは人に不気味がられないというのだ。こういったロボットの印象を研究することによって、彼は人間の本質にも近づいていく。

「研究者とは変な生き物で、自分の興味とモラルの境界が常に揺れ動いている。一般にはモラルのない行為とされていても、それが研究の興味につながれば、かなり大胆なことをしてしまうのである」(125ページ)

娘そっくりのアンドロイドを作ったのと同様に、彼は自分そっくりのアンドロイド「ジェミノイド」を作成する。ここまでいくとマッド・サイエンティストすれすれである。

「レオナルド・ダ・ビンチは、人間を知るために人体解剖をした。それは、人間を知りたいという純粋な欲求から社会のタブーに立ち向かった、ある意味で勇気ある行動なのだろう。近年話題になった、人間のクローンを作るという研究も同様であろう。そして、これから我々は性行動と社会という問題にも取り組まなければいけない時期がくることが予想される」(167ページ)

ロボットと性を結びつけることの困難は容易に想像できる。著者が成人女性型のアンドロイドを作成した時に「ダッチワイフを作成しているだけだ」という批判が寄せられているのが端的な例だろう。ところが人間を人間らしくするための根本的な要素には「情動」というものがあるのだ。それは知的情動と性的情動に大分され、人間が抱く競争原理にも通じている。ここで問題になっているのは性的情動の方だが、カルージュの『独身者の機械』を思い出さずにはいられなかった。ロボットに更なる完成をもたらすにはこの情動を組み込む必要があるのだが、実際にそうなった時には、性的対象が人間から機械へと移り変わる可能性も当然考えられるだろう。その時人は一つの神話を失い、そこに新たな神話がとって代わるのだ。

「人間がパソコンを使わなければ、パソコンやインターネットが人間を支配することはない。ただ問題なのは、社会に必要不可欠な道具となったパソコンは、個人の都合で電源を切ることもできなくなっているということである。人間が使う道具が、社会に埋め込まれることによって、人間個人では自由にできないものになってしまっている」(207~208ページ)

この本の素晴らしいところは理系の文脈に依るものだけでなく、文系的な示唆にも満ち満ちていることだ。インターネットの電源を切れない現代人は、果たして本当に機械を支配する側に立っているのだろうか。ロボットという言葉が持つSF映画的な征服者というイメージは、もっと静的な意味において正しい見方となる可能性があるのだ。気がつけば携帯を携帯せざるを得なくなり、気がつけばインターネットの網から抜け出せなくなっている。ロボットの含有する多機能性は、そのような新たなる静かな支配者となる可能性がある。そして今人間が行っている動作がロボットにとって代わる時、果たして人間には何が残るのか。とにもかくにもロボット研究には人間理解が不可欠なのである。

今後著者がどのようなロボットを作り上げるのか、楽しみである。まだまだSF映画のように動くロボットには程遠いようだが、何年も経てば彼は様々な問題を克服するに違いない。ロボット工学の現在が判るという意味でも、新刊の内に読んでおきたい一冊である。

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)

 


<読みたくなった本>
アイザック・アシモフ『われはロボット』
→ロボットが社会に出るときには、この小説の「ロボット三原則」が常に取り沙汰される。

カレル・チャペック『ロボット』
→ロボットが人権を獲得するために反乱を起こす。

ロボット (岩波文庫)

ロボット (岩波文庫)