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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

天来の美酒/消えちゃった

光文社古典新訳文庫、先月の新刊。帯に「南條竹則・幻想シリーズ第4弾!」と書かれている。そんなことを言われたらもう読むしかないじゃないか。光文社の算段にまんまと引っかかり続けている。

天来の美酒/消えちゃった (光文社古典新訳文庫)

天来の美酒/消えちゃった (光文社古典新訳文庫)

 

アルフレッド・エドガー・コッパード(南條竹則訳)『天来の美酒/消えちゃった』光文社古典新訳文庫、2009年。


短編集である。過去に一冊だけ、国書刊行会の「魔法の本棚」シリーズで単行本が出ていた作家で、勿論初めて読んだ。率直な感想として、もの凄く奇妙な作家だ。内容が怪奇的、ということではなくて、オチのつけ方がおかしい。読み終えても主題が判らなかったり、「終わりかよ!」と叫びたくなるようなものもある。良く言えば味わい深い。

以下、収録作品(三段階評価)。
★☆☆「消えちゃった」
★★☆「天来の美酒」
★★☆「ロッキーと差配人」
★★☆「マーティンじいさん」
★☆☆「ダンキー・フィットロウ」
★☆☆「暦博士
★☆☆「去りし王国の姫君」
★★☆「ソロモンの受難」
★★☆「レイヴン牧師」
★☆☆「おそろしい料理人」
★★★「天国の鐘を鳴らせ」

言い回しが妙に気が利いていたり、特筆に値する一文なんかもどんどん出てくるのだが、作品ごとに評価するとなると微妙なことになった。亀山郁夫以前のロシア文学の翻訳のように、登場する人物が二通りの名前で呼ばれることが多く、しかも短編と短編を続けて読んでいるものだからほとんどそれを覚えられず、終いには誰が発言しているのか判らなくなるという事態もしばしば。コッパードをこれから読む、という方には是非とも、登場人物のフルネームを頭に叩き込むようにお薦めしたい。

「三人の男女がスピードの速い自動車に乗って、フランスを旅していた。ジョン・ラヴェナムと妻のメアリー、それに友人のアンソンという三人連れで、このアンソンという男は気難しく、フランス語はからきししゃべれないし、この国には山がないといって不平をこぼしていた――この男はたぶん、アルプスへ行ったら、広い並木道がないと文句をつけるのだろう」(「消えちゃった」より、10ページ)

表題作の一つ「消えちゃった」の冒頭である。これを読むだけで、コッパードの気味の悪さが一発で判る。そう、気味が悪いのだ。落とすところで落としてくれない。物語に表れる奇想や恐怖に関わらず、それらがなくてもコッパードは気味の悪い印象を与えるに違いない。気の利いた言い回しがどんどん出てきて、話者を見失わない限りはあっという間に読めてしまうのだが、結末に納得がいかないのだ。

「天来の美酒」はもっとずっと取っつきやすい。やっぱり納得はいかないのだが、ふんだんに散りばめられたユーモアが素晴らしい一作だ。「天来の美酒」と呼ばれることとなる神酒かと思われるような絶品の麦酒(エール)をめぐって描かれる物語だ。怪しい美女が唐突に現れて、唐突に終わる物語。

「ロッキーがズンズン歩いて行くと、月があいつを照らしてくれる。夜だというのに、暗いのは林や生垣の中だけだった」(「ロッキーと差配人」より、69ページ)

「ロッキーと差配人」はメルヘンのようだった。作品ごとに語り手の文体が違うのもこの本の魅力の一つで、語りかけるような文章が大変効果的に響いてくる。

「モニカは急に、あっという間に、謎のように死んでしまった。老人の心はこの悲劇に押しつぶされ、身体も弱った。モニカは教会墓地に葬られて、土饅頭の頭のところには、まっさらな白い墓石がおかれた。学校には新任の女の先生が来て、誰も少しも困らなかったし、賢くもならなかった」(「マーティンじいさん」より、83ページ)

「「お入りなさい」と浮かれた声がしたが、スウィートアップルは入らずに、大声で言った。「道を教えてくれませんか?」
 「どこへ行くの?」と声がこたえた。
 「この世の終わりへ」
 「お入りなさい」中にいる連中は叫んだ。「ここがそうだよ!」」(「暦博士」より、128ページ)

「マーティンじいさん」や「暦博士」、「ソロモンの受難」と「レイヴン牧師」と「天国の鐘を鳴らせ」はどれも、神学的なモチーフが飛び交っている作品だった。コッパードは形而上のことを取り沙汰すのが得意なようで、それ自体をテーマとしていない作品の中にも人生観や死生観がばんばん描かれている。究極的なのが、最後の中篇「天国の鐘を鳴らせ」である。

「今も無茶苦茶に本を読んで、暇さえあれば本ばかり開いていた。しかし、何のために?――一体何のために?――ある者はひそかにそれを訊いてみたが、けっきょく、「わからない」という結論に落ち着くのだ」(「天国の鐘を鳴らせ」より、235ページ)

「教会というものは知っての通り、どれもそれ自身の非行の種を、迷いの罠をかかえている。“教会”のやり方は、人を改宗させて、組織して、買収することだ。そうやって、刑而上学的な嘘八百を頭に詰め込むと、神聖な霊感は衰えて消えてゆくんだ」(「天国の鐘を鳴らせ」より、250ページ)

「可哀想なマリー! 悲しいことだ――あの可哀想な、挫折した女! 彼女は――ああ、天にまします善良な主よ――彼女は――そう――ロマンチストに生まれついたけれども、翼を持たないロマンチストだった! 彼女の胸には焔が燃えていたが、飛ぶための知恵がなかった」(「天国の鐘を鳴らせ」より、275ページ)

『カラマーゾフの兄弟』を徹底的に短くしたら「天国の鐘を鳴らせ」になる、というのは言い過ぎだろうか。この作品には大満足。構成は他の作品とまるっきり毛色が違うが、この作家の美点が見事に発揮された一作だ。フェントン・フェバリーという男の一代記で、読後感からして他を圧倒していた。つまり、散々書いてきた「オチがない」というのが覆されているのだ。

長めに書かれた「解説」も面白かった。こんな短編の書き手はまずいないだろうから、そういう意味ではやみつきになる可能性を持った作家。唯一無二は絶対の価値だ。ちなみにボルヘスのようなことも言っている。

「思うに、この世界のもっとも優れた物語はみな短く、短いが故に優れているのだ。「放蕩息子」や「良きサマリア人」の話よりも優れた物語がどこにあろう? 以前、わたしは走ることが大好きで、あらゆる距離を喜んで走った。ことにクロスカントリーが好きだった。しかし、成績が良いのは短距離走だけだった。わたしは出版社から長篇を書けと迫られると、よくこのことを引き合いに出したものだ……(中略)……わたしはただのエピソードを叙事詩のスケールに詰め込んで、いんちきな神秘主義だの、でたらめな心理学だの、経師屋のへらず口だので穴埋めするというおそろしい仕事は御免蒙ったのだ」(「解説」より、自伝からの引用、289ページ) 

「放蕩息子」と「良きサマリア人」は、言うまでもなく新約聖書の逸話。ここでもキリスト教が顔を出しているのは興味深い。

随分と長い間、短編を読んでいなかったことに気付く。『ドン・キホーテ』の直後に読んだせいか、短編の持つ心地よさに驚愕した。たまに読むと、本当に素晴らしい。

天来の美酒/消えちゃった (光文社古典新訳文庫)

天来の美酒/消えちゃった (光文社古典新訳文庫)

 


<読みたくなった本>
コッパード『郵便局と蛇』
国書刊行会「魔法の本棚」シリーズ。
追記(2014年10月19日):文庫化されていました。

郵便局と蛇: A・E・コッパード短篇集 (ちくま文庫)

郵便局と蛇: A・E・コッパード短篇集 (ちくま文庫)

 

ミドルトン『幽霊船』
国書刊行会「魔法の本棚」シリーズ。コッパードのお気に入りで、しかも南條竹則訳。

幽霊船(魔法の本棚)

幽霊船(魔法の本棚)