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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

白の闇

配架-ポルトガル文学 評価-★★★★★(奇跡) テーマ-盲目 テーマ-パンデミック いわゆる-メルヘン

仕事の都合というかプライベートの都合というか、プライベートをも浸食する仕事の都合というか、まったく本を読む時間を持てなかった。半月も本を読めずにいると発狂しそうになる。だから今日仕事が一段落して、喫茶店に駆け込んだ時にこの本を開けた喜びは格別なものだった。『ドン・キホーテ』のような大長編を期待していた方がいたら申し訳ないが、これだって今後古典の仲間入りをすることは疑いようのない傑作である。

白の闇 新装版

白の闇 新装版

 

ジョゼ・サラマーゴ雨沢泰訳)『白の闇 新装版』NHK出版、2008年。


パンデミック文学」というカテゴリー分けが許されるなら、これはカミュの『ペスト』と並んで筆頭にあがる小説となるだろう。目が見えなくなる感染症の世界的流行、映画化もされたことからあらすじを知っている人も多いと思う。僕は映画を観ていないので勝手なことは言えないが、この寓話をあらすじだけで済ませてしまうのはあまりにも勿体ないことだ。ショッキングなストーリーもさることながら、ここには文学の持つ強い力がある。つまり、絶対に映像化できない魅力が秘められているのだ。

「なんにもない、まるで霧にまかれたか、ミルク色の海に落ちたようだ。でも失明したらそんなふうじゃないだろう、と送る男が言った。真っ暗だっていうじゃないか。いや、まっ白に見えます」(9ページ)

小説を映像化する困難の最たるもの、それは文体である。文体・語り口は、風景描写や会話の応酬を文字から舞台・俳優に移すだけでは絶対に表現できないものなのだ。そしてこの小説における文体は特異を極めている。めまいを覚えるほど改行の少ないページを開くと、尻込みしてしまう人もいるだろう。上に引用した通り、この小説には会話文を表わす鉤括弧が一度も使われることがなく、表舞台に登場する人びとは一切の名前を持たないのである。

「三人目の男が口をひらいた。一番。そこで黙った。つづけて名前を言うのかと思ったが、つぎに男が口にした言葉は、警察官です、だった。医者の妻は思った。名前を言わなかった。この人もここでは名前がなんの意味も持たないことを知ってるんだわ」(70ページ)

一番最初に目の前がまっ白になる病気にかかった男は「最初に失明した男」と呼ばれ、「医者」「医者の妻」「サングラスの娘」といった言葉がそのまま固有名詞として扱われるようになるのだ。「医者」は眼科医であり、「最初に失明した男」を急患として迎えたことから感染し、自身も失明してしまう。病院の待合室に居合わせた「サングラスの娘」や「斜視の少年」も次々に感染していき、事態の拡大を恐れた政府は彼らを使われなくなった精神病院に隔離し、厳しい管理下におくこととなる。

「まだその事実を無視する人がいるだろうか――美徳はいつも完璧を期した小道で落とし穴に出会うが、罪と悪徳はひどく幸運にめぐまれているものである」(33ページ)

この精神病院が物語の最初の舞台となる。目の見えなくなった人だけがここに集められ、突如視覚を失った彼らにとってはあまりにも酷な自活が強いられるのだ。

「これがわれわれなんだな、半分は無関心、半分は悪意からできている」(40ページ)

しかし、収容された患者たちの中に、一人だけ目の見える人間がいた。夫の身を案じて、自分も失明したふりをしていた「医者の妻」である。自分もいつ感染するかわからないという恐怖の中で世界が忌避した人びとの杖となろうとした彼女は、物語の中で重要な役割を果たすことになるのだ。

「ああ、神様、視覚をとりもどしたい。目が見えるようになりたい。ほんのかすかな影でもいい。鏡の前に立ち、黒っぽいぼやけたものを見て、あれがわたしの顔だ、と言えたらいいのに。光を持つものは、いまやなにひとつわたしのものではないのだ」(80ページ)

この精神病院で繰り広げられることは壮絶である。目が見えないというのに勝手のわからない病院に収容された患者たちは病室から出ることもままならず、どうせ誰も見ていないのだという考えの下に次第に平然とルールを犯すようになっていく。見放された精神病院のトイレには水がなく、政府の確約した食糧の配給も守られなくなってくる。患者たちは糞便が悪臭を放つ中でわずかな食糧を奪い合い、解決が見込まれないまま収容患者数はどんどん増え、無政府状態は加速していく。

「目が見えなくなることと、死体になることは同じじゃないぞ。はい、しかし死んだら目は見えなくなります」(122ページ)

「死んでいく者はだれでもすでに死んでいて、それに気づかないのです。われわれが死ぬのは、生まれた瞬間からわかってることじゃないか? それは、ある意味で、われわれが生まれながらにして死んでいるということですよ」(219ページ)

そして、そこに新たに収監された拳銃を持つ悪党集団が現れ、彼らは配給されるわずかな食糧を独占するようになる。さらに彼らは自分たちの性欲を満たすために収監された女性たちを次々と襲っていくのである。食糧が欲しければお前の妻をレイプさせろと、彼らは平気で宣うのだ。

「ひとつだけ意見を言わせてもらえば、わたしたちは死んでるんだわ。死んでるから目が見えないの。別の言い方がよければ、こう言ってあげようか。目が見えないから死んでるの、それは同じことなのよ」(272ページ)

サラマーゴは執拗なまでに凄惨な場面を描き出そうとする。混乱が支配する世界において、人はどこまで醜くなるのか。視覚に頼りすぎている現代人への警鐘だけでは終わらないのだ。そしてこの執拗さこそが、警鐘を恐怖へと駆り立てるのである。

「二点間を移動するのに、自動車、トラック、バイクはともかく、自転車さえ運転しようとする者がいなくなったので、乗り物が市内全域にごちゃごちゃ散らばっているのも否定できない事実だった。すなわち、恐怖が人のたしなみに打ち勝った場所にことごとく車両が放置されていたというわけだ。牽引トラックが一台の乗用車を前輪の車軸から吊り下げたまま停止しているのは、その証拠ともいうべきグロテスクな光景だった」(140ページ)

この混沌たる精神病院で、人びとは五感全てを備えていた時を夢見る。外の世界は一体どうなっているのだろうか、と。しかし精神病院を離れ街へ出ても、悲惨な状況は変わらない。それどころかサラマーゴの執拗さにはさらに拍車がかかっていく。

「街路にちらかるものは昨日の二倍に増えたように見える。つまり人間の糞便のことだ。このあいだの大雨で柔らかくなっているものや、どろどろに溶けたものがある。通りを歩くいまも、そばで男女が排泄している。鼻が曲がるほど猛烈な悪臭が空気を染め、濃い霧のようにたちこめている。そのなかを進むのは難行苦行だ。中央に銅像のある樹に囲まれた広場では、犬の群れが男の死体をむさぼっていた。死んでからさほど時間がたっていないのだろう。犬が歯のあいだに肉をくわえ、骨から剥ぎとろうと首をふっており、手足がまだ硬直していないのがわかる。一羽のカラスが祝宴の余禄にありつこうと、空き場所を狙ってぴょんぴょん跳びはねている」(285ページ)

「建物の窓にはひとつも明かりが灯っておらず、家の前をぼうっと照らす仄かな灯影もない。そこにあるのは、もはや町ではなかった。建物、屋根、煙突といったものを、型で固めて冷やした漆黒のコールタールの塊だった。すべてが死に、すべてが消えていた」(296~297ページ)

この光を失った世界、もとい、人びとの視界が圧倒的な光に覆われた世界ではどんなに些細な事柄でも機能しなくなっている。食糧難は病院内と変わらず、街路は墓場へと変容し、腐肉と糞便の悪臭が立ち込めている。そんななか、ただ一人だけ目の見える人間がいるのだ。

「まわりの人すべてが失明した世界で、目が見えることがいったいどういう意味を持つのか、あなた方にはわからないし、知りようもない。もちろんわたしは女王でもない。ただこの恐怖を見るために生まれてきた人間かもしれない」(299~300ページ)

文体の特徴に関して書き添えておくと、この小説には形容詞がほとんど出てこない。鉤括弧も名前も形容詞もなく、あるものはひたすら動作、動作、動作。そこに思考と会話が差し込まれることで、この小説は成り立っているのだ。

「わたしたちには形容詞などなんの役にも立たないことがおわかりのはずよ。たとえば、ある人が人殺しをしたとする。その場合、事実を隠すことなく率直に話すほうがいいし、その行為自体の恐ろしさがとても衝撃的だから、恐ろしいと言う必要はないんじゃないかしら」(318ページ)

思考の逡巡よりも動きが先に立つため、ページを開くときの印象とは全く異なり凄まじい疾走感をもって読める小説だ。悲惨という言葉だけでは説明しきれないものがあり、サラマーゴはそれを執拗に、本当に執拗に書いた。人類がみな失明した世界は、これほどまでに壮絶な様相を呈する。とはいえ、いかに目が見えると言っても、我々は本当に世界の姿を見抜けているのだろうか。見てはいけないものこそが、見なければならないものなのかもしれない。そんなことを考えさせられる小説だった。ノーベル賞は伊達じゃない。

白の闇 新装版

白の闇 新装版

 


<読みたくなった本>
カミュ『ペスト』
ゴールディング『蠅の王』
パンデミックつながり。解説に言及のあった二作。『ペスト』は先述の通りだが、『蠅の王』というのが解せない。僕はこの小説が嫌いである。それが『トム・ソーヤーの冒険』と同じ理由で嫌いなのだから、もう一度読んだ方が身のためかもしれない。確かに、精神の頽廃とその蔓延という意味では、これもパンデミック文学だ。

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

 
蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

ギルバート・アデア『閉じた本』
ウェルズ「盲人国」『タイム・マシン』岩波文庫版)
→盲目つながり。前者は失明した作家が雇い入れる助手の、言っていることが段々信じられなくなってくるという奇妙な小説。後者は盲人しかいない国に迷い込んだ、目の見える人間の話。『白の闇』につながるものがある。

閉じた本 (創元推理文庫)

閉じた本 (創元推理文庫)

 
タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)

 

ペソア『不穏の書、断章』
サラマーゴ『リカルド・レイスの死の年』
ポルトガルつながり。前者は詩人で、後者は前者を主人公にサラマーゴが書いた小説。リンクの仕方が面白い。

不穏の書、断章

不穏の書、断章

 
リカルド・レイスの死の年 (ポルトガル文学叢書)

リカルド・レイスの死の年 (ポルトガル文学叢書)