Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

La Gloire de mon père

 『Marius』三部作を読んでから、小説も読んでみたいと思っていたマルセル・パニョル。たまたま大学の教授がこの本を推薦してくれたので、手にとってみた。

La Gloire De Mon Pere

La Gloire De Mon Pere

 

Marcel Pagnol, La Gloire de mon père, Éditions de Fallois, 2004.


 直訳すれば「私の父の栄光」というタイトルのこの本、副題には「Souvenirs d'enfance」、つまり「少年時代の思い出」とある。同じ副題がついたパニョルの作品はこの他に三作あり、特に二作目『Le Château de ma mère(私の母の城)』はその題からして、これと合わせて読むべきなのだろう。戯曲や映画の作家として知られるパニョルが書いた、数少ない小説の一つだ。

「Voici que pour la première fois — si je ne compte pas quelques modestes essais — j'écris en prose.
 Il me semble en effet qu'il y a trois genres littéraires bien différents: la poésie, qui est chantée, le théâtre, qui est parlé, et la prose, qui est écrite.」(p.7)
「いくつかのささやかなエッセイを勘定に入れなければ、これは私が書く初めての散文である。
 というのも、私にしてみれば文学には異なる三つの形式があるように思われるのだ。詠われるものとしての詩、話されるものとしての戯曲、そして書かれるものとしての散文である」

 この「まえがき」を読むだけで、マルセル・パニョルに対するイメージが大きく変わる。戯曲を読んでいるだけでは知り得ない著者自身の声が、耳元で囁かれているかのように直接届いてくるのだ。距離感が一気に縮まり、親密さが生まれる。

「Ce n'est plus Raimu qui parle: c'est moi. Par ma seule façon d'écrire, je vais me dévoiler tout entier, et si je ne suis pas sincère — c'est-à-dire sans aucune pudeur — j'aurai perdu mon temps à gâcher du papiers.」(p.8)
「話をするのはもはやライムではなく、私だ。持てる唯一の方法を用いてありのままをさらけ出そうとしており、もしここで本心を隠すようなことがあれば、つまり羞恥心を持つようなことがあれば、私は紙と時間を無駄にすることになるだろう」

 ライムとはパニョルの映画作品の多くに出演している俳優のことで、『Marius』三部作ではセザール役を演じている。例えばコクトーやジュネが挙げられるように、小説家が映画作家でもあるというのはフランスでは決して珍しいことではないが、こんなふうに本の中にまで俳優が介入してくると、あらためて驚く。小説と映画の間に、表現形式以上の違いがないかのようだ。

 「私」の誕生からはじまるこの本は、その副題のとおり彼の少年時代を描いたものである。父ジョゼフは小学校に住みこみ全ての教科を指導する「instituteur」という教職についていて、今となっては存在しないこの職業は第三共和政下の教育がどんなものであったかを教えてくれる。いや、教育だけではない。19世紀末と20世紀初頭のフランス、そこに生きる人びとの日常を知るのに、これほどうってつけの本もなかなかないだろう。例えば教権の権勢を排除することを急務としていた第三共和政下では、神学(théologie)の代わりに反教権主義(anticléricalisme)を教えていた。後にエリック・ホブズボームら歴史学者たちが指摘することになる「歴史の捏造」を目の当たりにしたパニョルは、「truqué(ごまかし)」に気がつきながらもさらりと言ってのける。

「Je n'en fais pas grief à la République: tous les manuels d'histoire du monde n'ont jamais été que des livrets de propagande au service des gouvernements.」(p.16)
「共和国を非難したいわけではない。歴史の教科書はどんなものでも、政体のプロパガンダ以外の何ものでもないからだ。」

 そして語られるのは「歴史の捏造」とはほど遠い、父の栄光、母の美しさ、そして弟ポールの誕生といった日常である。伯母ローズは「私」との散歩の最中に出会った男性と結婚することになり、そして伯父となったその男性ジュールとの間には子どもが産まれる。だが四十代間近のジュールが三十代間近のローズとの間に子どもをもうけられるとは信じられず、生まれたばかりの従兄弟に会いに行くその日、「私」は以下のような期待を胸に込めている。

「Une grande inquiétude me tourmentait. Nous allions voir un enfant de vieux: Mlle Guimard l'avait dit; mais elle n'avait rien précisé, sauf qu'il aurait soixante-huit ans. J'imaginai qu'il serait tout rabougri, et qu'il aurait sans doute des cheveux blancs, avec une barbe blanche comme celle de mon grand-père — plus petite évidemment, et plus fine — une barbe de bébé. Ça ne serait pas beau. Mail il allait peut-être parler tout de suite, et nous dire d'où il venait ! Ça, ce serait intéressant.
 Je fus tout à fait déçu.」(pp.51-52)
「おそろしい不安が私を襲った。ギマール嬢の言葉のとおり、私たちはこれから年老いた子どもに会おうとしているのだ。だが彼女は、赤ん坊がきっと六十八歳であろうということを除いて、確実なことは何も教えてくれなかった。やせ細った、そしておそらく白髪の、さらに祖父のたくわえていたような白ひげを生やした、もちろん祖父のものよりはいくらか薄いであろう、赤ん坊のひげ。あまり美しいものではないだろう。とはいえ、彼は生まれたらすぐに話をはじめ、自身がどこから来たかを教えてくれるにちがいない! それは面白そうだ。
 私は大いに失望した。」

 哄笑を誘うものではないけれど、語り口は終始ユーモラスで、ケストナーの文章を思い出した。どこにも悪意の介在しない笑いは、人そのものに対する愛を感じさせる。ちょうどスタジオジブリの映画のように、悪人など一人として登場しない。

「Mais elle ne formula pas sa pensée et me dit seulement: « As-tu un mouchoir ? »
 Assurément, j'avais un mouchoir: il était tout propre, dans ma poche, depuis huit jours.」(p.59)
「彼女は考えを言葉にすることなく、ただ私に向かって言った。「ハンカチは持った?」
 間違いなく、私はハンカチを持っていた。完璧に清潔なハンカチが、私のポケットに、もう八日来入り続けていた」

 ある年、夏のバカンスを過ごすために、父と伯父は出資しあってオバーニュに別荘を購入する。空っぽの別荘を生活できる環境に整えるため、古道具屋で家具を購入するシーンがあり、これがすこぶる面白い。少し長いが引用。

「« Ça fait cinquante francs !
 — Ho ho ! dit mon père, c'est trop cher !
 — C'est cher, mais c'est beau, dit le brocanteur. La commode est d'époque ! »
 Il montrait du doigt cette ruine vermoulue.
 « Je le crois volontiers, dit mon père. Elle est certainement d'une époque, mais pas de la nôtre ! »
 Le brocanteur prit un air dégoûté et dit:
 « Vous aimez tellement le moderne ?
 — Ma foi, dit mon père, je n'achète pas ça pour un musée. C'est pour m'en servir.»
 Le vieillard parut attristé par cet aveu.
 « Alors, dit-il, ça ne vous fait rien de penser que ce meuble a peut-être vu la reine Marie-Antoinette en chemise de nuit ?
 — D'après son état, dit mon père, ça ne m'étonnerait pas qu'il ait vu le roi Hérode en caleçons !
 — Là, je vous arrête, dit le brocanteur, et je vais vous apprendre une chose: le roi Hérode avait peut-être des caleçons, mais il n'avait pas de commode ! Rien que des coffres à clous d'or, et des espèces de cocottes en bois. Je vous le dis parce que je suis honnête.
 — Je vous remercie, dit mon père. Et puisque vous êtes honnête, vous me faites le tout à trente-cinq francs.»
 Le brocanteur nous regarda tour à tour, hocha la tête avec un douloureux sourire, et déclara:
 « Ce n'est pas possible, parce que je dois cinquante francs à mon propriétaire qui vient encaisser à midi.
 — Alors, dit mon père indigné, si vous lui deviez cent francs, vous oseriez me les demander ?
 — Il faudrait bien ! Où voulez-vous que je les prenne ? Remarquez que si je ne devais que quarante francs, je vous demanderais quarante. Si je devais trente, ça serait trente...
 — Dans ce cas, dit mon père, je ferais mieux de revenir demain, quand vous l'aurez payé et que vous ne lui devrez plus rien.」(pp.62-63)
「「全部で50フランだ!」
 「ホホ!」父は言った。「そりゃあ高すぎる!」
 「高いけれど、ものは良い」古道具屋は言う。「このタンスなんて年代物だ!」
 彼はくたびれた瓦礫を指さした。
 「喜んで信じるよ」父は応える。「こいつは確かに年代物だ。でも我々のじゃない!」
 古道具屋はうんざりした様子で言う。
 「そんなに最新型が好きなのか?」
 「もちろん」父は言う。「美術館のためじゃなく、使うために買うんだ」
 老人はその告白を悲しんでいるようだった。
 「それじゃ」彼は言う。「このタンスが夜着姿のマリー=アントワネットを見ていたとしても、あんたはなにも感じないのかい?」
 「この状態なら」父は言った。「パンツ一丁のヘロデ王を見てても驚かないね!」
 「ちょっと待て」古道具屋は言う。「ひとつ教えてやろう。ヘロデ王はたぶんパンツを持っていたろうが、タンスは持っていなかっただろうよ! 金の鋲を打った大箱と、木製のちっちゃな鍋くらいが関の山さ。こんなことを言うのは俺が正直者だからだ」
 「感謝するよ」父は言う。「あなたは正直者だから、全部で35フランにしてくれるに違いない」
 古道具屋は順々に私たちを見つめ、苦しげな微笑みとともに首を横に振ると言った。
 「そいつは無理な相談だ。12時になったらここの家主が50フランを受け取りに来るんだ」
 「つまり」父は怒った様子で言う。「もし100フラン必要だったら、あなたはその金額を要求すると?」
 「そうしたほうが良いだろうな! 他にどうやってその金を用意しろと? つまり、40フランしか必要なかったら40フランしか要求しないさ。30だったら30だ…」
 「そういうことなら」父は言った。「明日また来たほうが良さそうだ。支払いが済んで、1フランも要求する必要がなくなったときにまた来るよ」」

 オバーニュで過ごすバカンスは「私」、つまりマルセル・パニョルにとって「les plus beaux jours de ma vie(人生で最も素晴らしいひととき)」となる。自然とたわむれ、朝日を待ち望み、愛にあふれた家族と時を過ごす「私」の姿は、きっとどんな読者に対しても、少年時代への憧憬を呼び起こす。それと同時に、実際にそれを生きているあいだには、それが「最も素晴らしいひととき」であることには気がつけないことも。

「Mon père et mon oncle encourageaient cette manie, qui leur paraissait de bon augure: si bien qu'un jour, et sans que ce mot se trouvât dans une conversation, ils me donnèrent anticonstitutionnellement en me révélant que c'était le mot le plus long de la langue française. Il fallut me l'écrire sur la note de l'épicier que j'avais gardée dans ma poche.」(pp.115-116)
「父と伯父は、私の持っている言葉に対する執着を良い前兆ととらえ奨励していたので、ある日、日常会話に登場することは滅多にないものだけれども、フランス語における最も長い単語「anticonstitutionnellement(憲法に違反して)」を教えてくれた。ポケットの中に常に携帯しているノートに、書き留めておく必要があった。」

 やがて「狩りの王様」であるジュールが経験のない父ジョゼフにこの競技を指南する段になると、「私」はこれまで見たこともなかった父の姿を目にしてショックを受ける。父ジョゼフは常に栄光に満ちていて、「私」にとっては他のどんな人びとよりも尊敬に値する人物であるはずなのだ。

「L'oncle Jules avait parlé toute la soirée en savant et en professeur, tandis que mon père, lui qui était examinateur au certificat d'études, l'avait écouté d'un air attentif, d'un air ignare, comme un élève.
 J'en étais honteux et humilié.」(p.142)
「ジュール伯父は一晩中、学者や教授めいた調子で話しつづけ、教育証書の試験官である父はそのあいだ、まったく無学な生徒のように注意深く彼の話を聞いていた。
 私は不名誉と屈辱を感じた」

 だが父ジョゼフの栄光はこんなことでは崩れはしなかった。彼は生まれて初めて狩りに出たその日に、ジュール伯父が教示した「狩人たちの夢」である鳥「bartavelle(ナンオウイワシャコ)」を二羽も打ち落とすことに成功し、近隣の村人たちは揃って彼を褒め称え祝福する。その人びとのなかには村の司祭も混じっていた。

「C'était la première fois que je voyais mon père en face de l'ennemi sournois.」(p.210)
「父がその腹黒い敵と対峙しているのを見るのは、初めてのことだった」

 すでに見たとおり、第三共和政という時代においては、教育機関は最も教会と相対する組織である。反教権主義的な授業を自ら指導している父にとっては、司祭とは最も忌み嫌うべき共和国の敵であり、普段ならば口を利くことすら決してない。だが栄光に満ちたその日、司祭は彼を祝福し、進んで「私」と並んだ写真まで撮ってくれる。「社会の敵」である司祭は異常なほど気の利いた善人で、父はずいぶん嬉しそうに写真に応じる。こういうのは読んでいて気持ちが良い。

 ありふれた家庭のありふれた幸福を描こうとするほど難しいものもない。悲劇を描くほうがずっと易しい。しかもその幸福を見せることで、読者たち自身の幸福だった少年時代の残像を浮かび上がらせるとなると、ただごとではない。過ぎ去ってしまった、平凡さに隠れているあまりにも幸福な時間、それを思い出しながら紡ぐマルセル・パニョルの姿は、涙すら誘う。

 邦題がどうなっているのかはわからないが、この本は1990年にイヴ・ロベール監督によって映画化もされている。読み終わってから観てみたところ、原作に忠実ながら原作にはない要素も込められた素晴らしい映画だった。あわせて薦めたい。

La Gloire De Mon Pere

La Gloire De Mon Pere

 

追記(2014年10月28日):こちらが言及した映画。残念ながら日本語版は見つけられなかった。


<読みたくなった本>
Marcel Pagnol, Le Château de ma mère

Le Chateau De Ma Mere

Le Chateau De Ma Mere