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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

雑記:2010年一番面白かった本

 2010年に読んで一番面白かった本を発表します。昨年は気の迷いで「ニナ文藝賞」などという講談社あたりが主催しそうな名前をでっち上げましたが、ちょっと悲しくなるほどださい上に、代替案も特に見つからないので、今年は単に「一番面白かった本」とします。

 「好きな作家ベスト100」を挙げたときにも書いたとおり、今年は読んでいる冊数が例年に比べて遙かに少なかったものの、印象に残っている本を思い返してみるとその数は決して少なくはなく、ずいぶんと選書に恵まれた感があります。そんな良書たちの中からわざわざ一冊を決める必要などまるでないのですが、お祭り行事ということで無理をして選んでみました。


 まずは最終候補に残った作品から。引用文は印象に残っているものの内、特に気に入っているものを一節だけ選び出しました。

ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』
「否でも応でも狂人だってやつと、自分からすき好んで狂人になるやつと、どっちがより狂ってるんでしょうかね?」(後篇(一)、245ページ)

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈前篇1〉 (岩波文庫)

 


エステルハージ・ペーテル『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』
「私はミツィを知った。正しくはミチと発音するらしいが、私はミツィと呼んでいる。ここはミツィが豊かな地方だ。道端で炭火を使って焼いている。スパイスを効かせたひき肉。うまい。それなのに、ビールもワインもないときている。水にさえこと欠くありさま。あるものときたら、黄色い色したねばねばの液体ばかり、これはもうありえないしろもの、もっと的確に言うなら、馬の唾とでも呼んだ方がいい。注ぎ口には死んだハエがへばりついている。馬の唾はハエの死体を避けるすべもなく、その上をドクドクと流れていく」(263ページ)

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

 


ジョルジュ・ペレック『煙滅』
「その後、バオバブが枯れ、プールが苔で覆われ、捨て去られた家屋が崩れても、モンスーンが吹けば、荒立つ波浪が沿岸の道具を作動させ、あの謎の電路が発動するのである。すると、すぐさま、忘れられた場面が寸分たがわず復活するのだった。それはまるで『ロクス・ソルス』のある場面のようだった。カントレル博士が作った大型クーラーボックスの中で、亡くなった者が没前の山場を何度も熱演する場面である」(38~39ページ)

煙滅 (フィクションの楽しみ)

煙滅 (フィクションの楽しみ)

 


ペルハム・グランヴィル・ウッドハウス『比類なきジーヴス』
「「まあそのことはいいとして、これからどうする? それが問題なんだ」
 「わからん」
 「ありがとう」ビンゴは言った。「頼りになるな」」(287~288ページ)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

 


ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』
「街路にちらかるものは昨日の二倍に増えたように見える。つまり人間の糞便のことだ。このあいだの大雨で柔らかくなっているものや、どろどろに溶けたものがある。通りを歩くいまも、そばで男女が排泄している。鼻が曲がるほど猛烈な悪臭が空気を染め、濃い霧のようにたちこめている。そのなかを進むのは難行苦行だ。中央に銅像のある樹に囲まれた広場では、犬の群れが男の死体をむさぼっていた。死んでからさほど時間がたっていないのだろう。犬が歯のあいだに肉をくわえ、骨から剥ぎとろうと首をふっており、手足がまだ硬直していないのがわかる。一羽のカラスが祝宴の余禄にありつこうと、空き場所を狙ってぴょんぴょん跳びはねている」(285ページ)

白の闇 新装版

白の闇 新装版

 


ヘミングウェイ『移動祝祭日』(再読)
「それからだいぶたったある日のこと、私はサン・ジェルマン大通りを歩いてくるジョイスとばったり出会った。彼は一人でマチネーにいってきたところだった。目が悪くて俳優たちの姿は見えなくとも、そのセリフを聞くのが彼は好きだったのだ。一杯付き合ってくれ、と言われたので、私は彼と一緒にドゥー・マゴに入った」(181ページ)

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

 


フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』
「可能なもの、近いもの、正当なものを夢みるひとのほうが、遠くのものや奇妙なものを夢みて身を滅ぼすひとよりも哀れだ、と私は思う。大いなる夢をみたり、気が狂っていたりするならば、自分の夢を信じることができて倖せだし、ただの夢想家にとっては、夢想は無言で彼を揺する魂の音楽だ。ところが、可能なものを夢みる場合は、本当の失望を味わうおそれがある。自分がローマ皇帝でなかったことを私はそんなに深く残念がることはできないが、いつも九時ごろ右の通りへと入ってゆく可愛いお針子に一度も声をかけなかったことは痛恨することができる」(86~87ページ)

不穏の書、断章

不穏の書、断章

 


ジェイムズ・ジョイス『若い藝術家の肖像』
「ぼくは自分が信じてないものに仕えることをしない。家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも藝術のある様式で、自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るためのたった一つの武器として、沈黙と流寓とそれから狡智を使って」(454ページ)

若い藝術家の肖像

若い藝術家の肖像

 


ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』
「ミスター・オウグルヴィーという人物がいつもお茶の時間にやってくる。そしてしばしばエミリーと連れだって、修道院の廃墟まで散策に出る。エミリーは修道院の絵を何枚か描いたが、そこに描かれていたのは廃墟ではなく、栄えていた往時の姿であった」(「アイルランド便り」より、176ページ)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

 


Albert Camus, L'étranger(再読)
「Il voulait encore me parler de Dieu, mais je me suis avancé vers lui et j'ai tenté de lui expliquer une dernière fois qu'il me restait peu de temps. Je ne voulais pas le perdre avec Dieu.」(pp.180)
「彼はまだ私に神様の話をしたがったが、私は彼の前に進み出て最後にもう一度説明を試みた。つまり、私にはもう僅かな時間しか残されておらず、それを神様などと一緒に浪費するつもりはないということを」

L'Etranger (Collection Folio, 2)

L'Etranger (Collection Folio, 2)

 


Eugène Ionesco, La Cantatrice chauve suivi de La Leçon
M.SMITH (toujours dans son journal) : Tiens, c'est écrit que Bobby Watson est mort.
 Mme SMITH : Mon Dieu, le pauvre, quand est-ce qu'il est mort?
 M.SMITH : Pourquoi prends-tu cet air étonné? Tu le savais bien. Il est mort il y a deux ans. Tu te rappelles, on a été à son enterrement, il y a un an et demi.
 Mme SMITH : Bien sûr que je me rappelle. Je me suis rappelé tout de suite, mais je ne comprends pas pourquoi toi-même tu as été si étonné de voir ça sur le journal.
 M.SMITH : Ça n'y était pas sur le journal. Il y a déjà trois -ans qu'on a parlé de son décès.」(pp.17-18)
スミス氏(新聞を読みながら):ごらん、ボビー・ワトソンが亡くなったそうだよ。
 スミス夫人:おや、まあ。かわいそうに。いつ亡くなったの?
 スミス氏:どうしてそんなに驚いてるんだ? 知ってのとおり、彼はもう二年も前に亡くなったじゃないか。覚えているだろう、一年半前に彼の埋葬に立ち会ったじゃないか。
 スミス夫人:もちろん覚えてるわ、すぐに思い出したわ。でも、どうしてあなたが新聞でそれを読んで、そんなに驚いてるのかがわからないの。
 スミス氏:新聞に載っちゃいないよ。もう三年も前に、彼の死について話し合ったじゃないか」

LA Cantatrice Chauve: Anti-Piece ; Suivi De, LA Lecon : Drame Comique (Collection Folio, 236)

LA Cantatrice Chauve: Anti-Piece ; Suivi De, LA Lecon : Drame Comique (Collection Folio, 236)

 


Marcel Pagnol, La Gloire de mon père
「Voici que pour la première fois — si je ne compte pas quelques modestes essais — j'écris en prose.
 Il me semble en effet qu'il y a trois genres littéraires bien différents: la poésie, qui est chantée, le théâtre, qui est parlé, et la prose, qui est écrite.」(p.7)
「いくつかのささやかなエッセイを勘定に入れなければ、これは私が書く初めての散文である。
 というのも、私にしてみれば文学には異なる三つの形式があるように思われるのだ。詠われるものとしての詩、話されるものとしての戯曲、そして書かれるものとしての散文である」

La Gloire De Mon Pere

La Gloire De Mon Pere

 


以上12作品が、最終候補に残りながらも受賞には至らなかった傑作たちです。というわけで、今年の一番はこれになりました。

ギュスターヴ・フロベール『感情教育』
「いかに豊かな才も、それを十全に開花させる場所とては世に一つしかない。パリだ! それというのも、彼の脳裡では芸術と、学問と、恋愛(ペルランなら、これぞ神の三位一体とでもいうところだ)はこの都の専属物だったから」(上巻、156ページ)

「くそ、もううんざりだよ。ロベスピエールの断頭台、皇帝ナポレオンの長靴、ルイ=フィリップの雨傘と、つぎからつぎへ何にでも平伏するやつら、パンを投げ与えてくれる者ならだれにでもいつだって忠誠を誓う卑しいやつらにはうんざりだよ! タレイランミラボーは、金で動いたからといっていつも声高にやっつけられるが、なに、下の階の使い走りの便利屋ね、あいつなんかに一回の使い走り三フランの値でもつけてやりゃあ、五十サンチームで国を売ることぐらい朝飯前だろうよ。ああ、大間違いだったんだ! われわれはヨーロッパ全土に火をかけてしまうべきだったんだよ!」(下巻、239ページ)

感情教育 上 (河出文庫)

感情教育 上 (河出文庫)

 
感情教育 下 (河出文庫)

感情教育 下 (河出文庫)

 


 ジョイスの『若い藝術家の肖像』は会社を辞めて流浪の旅に出ることを後押ししてくれた一冊で、ヘミングウェイの『移動祝祭日』はフランスへと渡る気持ちを盛り上げてくれた一冊ですが、このフロベールはその二つの化学反応を同時に自分の内部に引き起こした爆弾のようなものでした。サイードの評論『知識人とは何か』を通じて手に取った本ではありましたが、あのときこの本を読んでいなかったら、自分が今パリの宿でこんなことを書くこともなかったかもしれません。

 いくつか他の候補の説明をすると、セルバンテスの『ドン・キホーテ』は言うまでもない傑作ですが、年始の、それも一番早い時期に読んだため今年読んだ本に数える気になれず、同じく年始に話題になったペレックの『煙滅』も、半年以上経ってみれば強烈だった印象もずいぶん変わりました。

 エステルハージ・ペーテルフェルナンド・ペソアが私の中で繋がっているのは、彼らは富や名声のために本を書いているわけではないという、現代的には非常に珍しい作家たちであるということと、どちらも小説というよりは限りなく詩的な随筆を書いていることからです。特にフェルナンド・ペソアは携帯しなかったことが最も悔やまれる一冊で、ポルトガル繋がりではサラマーゴも、翻訳可能なほどの個性を持った文体に驚かせてもらいました。

 ウィリアム・トレヴァーの採った人びとの描き方は、個人的な感想としてはギュスターヴ・フロベールの血を受け継いでいて、直系の弟子であったモーパッサンの短篇よりもむしろトレヴァーのそれの方が、テーマの選択や人物描写の点でフロベールに近いと思えました。つまり登場人物の感情を、徹底的に客観視しているということ。まるで戯曲のように作家の感情が排除されているということです。これも『ボヴァリー夫人』を読んだときには気がつけなかった、フロベールの大いなる魅力の一つでした。
 
「一片の大きな雲が空を漂っていく。「パリのほうへ流れていくわ」とルイーズがいう、「ついていきたいんでしょう、ちがう?」」(下巻、18ページ)

 来年もまた素敵な本たちに出会えますように。それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。