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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

雑記:笑顔が湧き出るユーモア文学

 日本で書店員をやっていたころに大変よくして頂いた空犬さんが、ご自身のブログ空犬通信のなかで「こんなときだからこそ、本を」という記事を書いていらっしゃいました。記事によると、発起人は上落合にある伊野尾書店の店長さんだとか。大切な友人たちのために何かできることはないか、と模索している最中だったので、是非ともこの素晴らしい流れに参加させて頂きたく、こんなリストを作成してみました。


<笑顔が湧き出るユーモア文学>

 選書の基準は、まず気楽に手に取れること、次に頭を使う必要がないこと、そして何より笑えることです。漫画よりも長い時間楽しめて、普段なかなか小説を手に取ることのない方にも薦められる本を厳選致しました。

 ずっと以前に登録して放置していたアマゾンのリンク機能を使用していますが、実はこれはただ表紙を見て頂くためで、できれば書店に足を運んで頂きたいと思っています。というのは、かつて自分が働いていたいくつかの店も含めて、このすさまじい状況下においても営業をつづけている書店が非常に多いことを知ったからです。前掲の空犬さんも書かれていることですが、余震がつづくなかで本のような商品を扱うのは決して簡単なことではありません。気晴らしがてら、直接近所の本屋まで足を運んで頂ければ、これに勝る喜びはなく、本屋に慣れていない方にも探して頂けるよう、想定される棚配置を併記致しました。近隣書店の営業状況につきましては、各書店のホームページ等をご参照ください。

 では、まずはイチオシの作家としてエーリヒ・ケストナー

エーリヒ・ケストナー(丘沢静也訳)『飛ぶ教室』光文社古典新訳文庫
→文庫売場:光文社、光文社古典新訳文庫

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

 

エーリヒ・ケストナー(小松太郎訳)『雪の中の三人男』創元推理文庫
→文庫売場:東京創元社創元推理文庫

雪の中の三人男 (創元推理文庫 508-2)

雪の中の三人男 (創元推理文庫 508-2)

 

エーリヒ・ケストナー池田香代子訳)『ふたりのロッテ』岩波少年文庫
→児童書売場:児童文庫、岩波少年文庫

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)

 


 ケストナーは主に児童文学の作家として扱われ、ゆえに岩波少年文庫といった児童文庫レーベルに収められている作品が多いのですが、それらは決して大人には不向きということではなく、むしろ成人して何年も経ってはじめて、その真価に気づくことができるものだと思います。「8歳から80歳までの子どもたちへ」という彼自身の言葉は、それをもっとも簡潔に言い当てていることでしょう。

 彼の作品の特徴としては、まずファンタジー的な要素がまったく含まれていないこと。よく比較される同じドイツの児童文学作家、『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデとは異なり、ケストナーはあくまでも現実世界のなか、それも日常と呼ばれる空間のごく小さな世界に隠れている感動を描きます。

「子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない」(『飛ぶ教室』より、18ページ)

 しかし先述したとおり、ケストナーは歴史的には児童文学作家として分類されてきました。それには彼特有の簡明な語り口、ユーモラスな描写が寄与していることは間違いありません。ちょうどサン=テグジュペリ『星の王子さま』のように、ケストナーは大人たちが忘れかけている「本当に大切なこと」を描く筆力を持っています。余談ですが『戦争と平和』などで知られるトルストイは、最晩年になると平易で簡潔な表現を求めるようになり、『イワンのばか』をはじめとする非常に短い作品群(その多くはロシア民話の再話)を生みだしました。ケストナーの文章には、晩年のトルストイが求めたものが表れているようにも思えます。

「月は、寝室の大きな窓からのぞきこみ、これはこれはとおどろく。ふたりの女の子がならんで横たわり、目はあわせないようにしながらも、まだしゃくりあげているほうの子が、いまその手で、もうひとりの、自分をなでてくれている子の手を、ゆっくりとまさぐろうとしている。
 「これでよし」と、銀色の年とった月は考える。「これでわたしも、安心して沈める」
 そして、ほんとうに沈んでいく」(『ふたりのロッテ』より、28~29ページ)

 まだケストナーを読んだことのない方は幸福です。これからこの感動を味わうことができるのですから。最初に手に取られるには、『飛ぶ教室』を無条件におすすめします。『雪の中の三人男』はケストナーが最初から大人を読者に想定して書いた珍しい作品の一つで、『消え失せた密画』と『一杯の珈琲から』と合わせて「ユーモア三部作」と呼ばれ、三作とも創元推理文庫に収められています。『ふたりのロッテ』は、大切なひとがそばにいるのなら、是非とも読み聞かせてもらいたいもの。タイトルを挙げたもの以外でも、この作家の本はどれもおすすめです。

 さて、次はちょっと雰囲気を変えて、抱腹絶倒の英文学。

ジェローム・K・ジェローム丸谷才一訳)『ボートの三人男』中公文庫
→文庫売場:中央公論新社、中公文庫

ボートの三人男 (中公文庫)

ボートの三人男 (中公文庫)

 

P・Gウッドハウス森村たまき訳)『比類なきジーヴス』国書刊行会ウッドハウス・コレクション」
→文芸書(単行本)売場:外国文学、イギリス文学

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

 

P・Gウッドハウス(岩永正勝・小山太一訳)『ユークリッジの商売道』文藝春秋P・Gウッドハウス選集IV」
→文芸書(単行本)売場:外国文学、イギリス文学

ユークリッジの商売道 (P・G・ウッドハウス選集4)

ユークリッジの商売道 (P・G・ウッドハウス選集4)

 


 ケストナーの小説は抜群にユーモラスですが、といって「ユーモア文学」と断言するには、あまりにも心を打つものがあります。ここで紹介するのは手放しに「ユーモア文学」と名付けることのできる、読者に腹を抱えこませるために書かれた小説群です。

 まずジェロームの『ボートの三人男』はユーモア文学の古典として知られるもので、登場人物たちの頭の悪すぎる会話と、読後に何も残らない圧倒的な無価値が逆に価値となった伝説的な作品です。原書の刊行はなんと1889年。イギリス紳士たちに対するイメージは、この作品を読んでいるかいないかで大きく変わってくることでしょう。

「夕食の前はハリスもジョージもぼくも喧嘩腰で、不機嫌で、言葉つきはガミガミしていた。夕食が済むと、互にほほえみあい、犬にまで微笑を投げるのであった。ぼくたちはお互に愛し合っていた。ぼくたちはあらゆる人を愛した。ハリスがボートのなかを歩き廻って、ジョージの足の底豆を踏みつけた。これが夕食前だったら、ジョージは必ずや、この世および未来におけるハリスの運命について、思慮ぶかい人を戦慄させるだけのさまざまな願を表明したに相違ない。ところが今は、「気をつけてくれよ。底豆ができてんだから」と言うだけだ。そしてハリスのほうにしても、もしこれが食前だったら、ジョージみたいな足の大きい奴が寝転んでいる以上十ヤード以内の所を歩く人間だったら誰でも足を踏みつけるのは当り前だ、ジョージはこんな狭い舟にあんなに大きな足で乗るべきじゃないんだ。もし乗るんだったら夕食前みたいに舟べりから足を投げだしてるほうがいいだろう、と言ったに違いない。ところが今は食後なものだから、「やあ、御免、御免。ぼくが悪かった」と謝った。するとジョージは、「いや、何でもないんだ。ぼくのほうが悪かったんだよ」と答える。それに対してハリスは、「いや、ぼくが悪かったんだ」と言う。こういうのは聞いていて気持がいい」(『ボートの三人男』より、140~141ページ)

 しかしジェロームの作品はこの代表作以外はまったく知られておらず、お笑い芸人でいうところの「一発屋」のような扱いとなっています。とはいえユーモア文学そのものは決して廃れることはありませんでした。そして読者たちの要請に応えるように現れたのが、P・Gウッドハウス(ペルハム・グランヴィル・ウッドハウス、1881-1975)です。

 ウッドハウスは多作家で、数えあげたらきりがないほどの作品を書いています。シリーズ化されている作品群も多く、そのなかでも最も有名なのが『比類なきジーヴス』にはじまる、オックスフォード大学出身の馬鹿バーティー・ウースターと、何故か彼に仕えている完璧な執事ジーヴスを描いた、ファンの間では「ジーヴスもの」と呼ばれるシリーズです。

「「まあそのことはいいとして、これからどうする? それが問題なんだ」
 「わからん」
 「ありがとう」ビンゴは言った。「頼りになるな」」(『比類なきジーヴス』より、287~288ページ)

 国書刊行会による「ウッドハウス・コレクション」はこのジーヴスのシリーズを扱ったもので、今日までになんと第十二弾まで刊行されています。読者の要請がなければここまで続刊されることなどありえず、この巻数だけでもウッドハウスがどれほど魅力的な作家であるかが見てとれることでしょう。また国書刊行会は「ウッドハウススペシャル」という別レーベルも刊行していて、こちらではジーヴスもの以外のシリーズを扱っています。

 そして国書刊行会が「ウッドハウス・コレクション」を創始したのとほとんど同時期に、この作家の紹介をはじめた出版社がもうひとつありました。それが文藝春秋の「P・Gウッドハウス選集」です。現在四巻目まで刊行と、巻数こそ国書刊行会のものほど多くはありませんが、一巻ごとにシリーズを変えての網羅的な紹介、そして何より編訳者たちのこの作家に対する(異常な)愛着と熱意が大変魅力的なシリーズです。

 第一巻『ジーヴスの事件簿』、第二巻『エムズワース卿の受難録』、第三巻『マリナー氏の冒険譚』、そして第四巻『ユークリッジの商売道』とあるなかで、おすすめしたいのは第四巻。というか、実は三巻目まではまだ読めていないだけなのですが、この選集の一巻ごとの独立性を考えると、どこから手を出しても問題ありません。この巻の中心人物であるユークリッジについては、下の引用で足りると思います。

「「ひと財産作りたくないか?」
 「作りたい」
 「じゃ、我輩の伝記を書け。思いっきり書いて、上がりは二人で山分けだ。ここしばらく、貴公の書いたものをじっくり読んでみたが、どれもなっちゃいない。何がいかんというに、貴公は人間の心という泉の深さを知らんのだな。ろくでもない与太話をでっち上げて、ちまちま書きつけているにすぎん。ひとつ、我輩の生き様に取り組んでみろ。これこそ書くに値するテーマだ。金はザクザク――イギリスで連載、アメリカで連載、両方の単行本の印税、舞台化の権利金に映画化の権利金――まあ、固く見積もっても、それぞれ五万ポンドにはなるな」
 「そんなに?」
 「固い線だ。そこでだな、こうするとしよう、な。貴公はいいやつだし長年の親友だから、イギリスでの連載の版権、我輩の取り分は百ポンドで譲ろう」
 「ぼくが百ポンド持ってるなんて、どうして思うんだ?」
 「じゃあ、イギリス版権にアメリカでの連載料も添えて、五十」
 「おい、襟がボタンから飛び出してるぞ」
 「ええいっ、全ての権利をひっくるめて、二十五でどうだ」
 「おあいにくさま」
 「じゃあ、致し方ない」ユークリッジはふと思いついたように言った。「当座のつなぎに半ポンド貸してくれ」」(『ユークリッジの商売道』より、13~14ページ)

 あまり指摘されてはいないのですが、この作家は非常に比喩がうまく、がちがちの文学を既にたくさん読んでいる方でも、感心しながら読み進められることかと思います。「僕は油断なく目を配りながらホールを移動した。煉瓦のかけらを手にした子供があちこちに潜んでいる、見知らぬ路地に迷い込んだ野良猫のように緊張していた」(同上、168ページ)だとか、「僕は部屋の隅にそっと避難し、新米の猛獣使いの心境を味わっていた。どうしたわけかライオンの檻に閉じ込められてしまい、こういう場合の対処法が書いてある通信教育の第三課を必死に思い出そうとしている心境だ」(同上、351ページ)だとか。現代イギリス文学を語る際には欠かせない、やはり比喩の使い方が抜群にうまいイアン・マキューアンなんかも、実はウッドハウスの大ファンなのではないかと、こっそり考えていたりもします。

 どこから手をつけるかという点に関しては、三冊目に挙げた『ユークリッジの商売道』をおすすめしたいと思います。どれも速読にはまったく向かない、ゆっくりと味わうべき本なのですが、『ユークリッジの商売道』は短篇集なので、より自分のペースで読み進めやすいかと。ところが私自身の体験では、一つの章を読み終えたときにちらりと目に入る隣のページの章題が気になって、一篇ずつ読むつもりだったのがついつい先へ進んでしまう、ということが頻発しました。実は『比類なきジーヴス』もほとんど短篇集なのですが、こちらには章題はありません(なかったはず。手もとにないので確認できません)。

 書きはじめたら思った以上に長くなってしまったので、ここで一旦やめようと思います。六冊もあればもう十分と思いつつも、記事を書く前に思いつくままに挙げたリストがあるので、一応下に列挙しておきます。興味を持たれた方は探してみてください。遠くからではありますが、皆様の無事を心よりお祈り申し上げます。みんな、がんばれ。

<ある種の観点からユーモア文学に分類できるであろう書籍リスト>
オウィディウス『恋愛指南』岩波文庫
ケネス・グレーアム『たのしい川べ』岩波少年文庫
パーネル・ホール『探偵になりたい』ハヤカワミステリー文庫
R・A・ラファティ『宇宙舟歌』国書刊行会未来の文学
ニコライ・ゴーゴリ『鼻/外套/査察官』光文社古典新訳文庫
フョードル・ドストエフスキー『鰐』講談社文芸文庫
アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』新潮クレストブックス
ジャンニ・ロダーリ『猫とともに去りぬ』光文社古典新訳文庫
ジャック・ルーボー『麗しのオルタンス』創元推理文庫
レーモン・クノー『地下鉄のザジ』中公文庫
マルセル・エイメ『マルセル・エメ傑作短篇集』中公文庫
井上ひさし『ブンとフン』新潮文庫
北杜夫『船乗りクプクプの冒険』新潮文庫
宮沢章夫『牛への道』新潮文庫