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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

エムズワース卿の受難録

配架-イギリス文学 評価-★★★★★(奇跡) テーマ-ユーモア文学 動物園-英国紳士 動物園-豚 動物園-犬

 なにかやらなければならないことがあると、それ以外のことに対して尋常じゃない集中力を発揮してしまう。そもそも、なにかやらなければならないことがあるというのに、この作家の本が手の届く範囲にあるというのがいけないのだ。その作家とは、P・Gウッドハウス

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)

 

P・Gウッドハウス(岩永正勝・小山太一訳)『P・Gウッドハウス選集II エムズワース卿の受難録』文藝春秋、2005年。


 フランス文学に詳しいふりをしたり、首を傾げながら小難しい本と向き合いもしたものだが、自分はやっぱりユーモア文学が好きだ。昨年末につくった「好きな作家ベスト100」のランキングを見ても、上位三人がクノー、ケストナーチェーホフと、いわゆる「ユーモア文学」の書き手ではないものの、大いに笑わせてくれる作家ばかりなのだ。だってほら、できればずっと笑っていたいじゃない。そんな願いに正面から応えてくれる作家はそれほど多くはないけれど、クノーの場合は「なんでこんなことを真剣に考えてるんだ」と笑わせてくれ、ケストナーは幸せな気持ちで口もとを緩ませてくれ、チェーホフに至っては登場人物たちの扱いがあまりにも残忍で笑えてくる。そしてウッドハウスの場合は、彼らともまたちょっと違う。

 ウッドハウスの場合はのっけから読者を笑わせようと色々仕掛けてくるので、読む冊数が増えるにつれて、本を手にしただけで笑いがこみあげてくるようになった。井上ひさしがどこかで「読者を泣かせるのは簡単だけど、笑わせるのは難しい」というようなことを書いていた気がする。ストーリーが進行するうえでの、どたばたな展開が生みだす笑いだけだったら、大したことはないのだ。この作家の場合はその文体、より主観的に言えば悪意さえ感じる巧妙な比喩、を使って笑わせてくるので、正直ストーリーはなくてもいい。いつだったか「チャンドラーを読むときには犯人なんてだれだっていい」と、さらには「シェイクスピアに関してストーリーは重要ではない」と書いたけれど、自分がウッドハウスを手に取る姿勢にも、これらと通ずるものを感じる。そうなってしまうと、もうその作家たちから離れることはできない。

「ガートルードが母親気取りなのも十分ひどかったが、こちらのひどさは底抜けだ。有無をいわせぬ圧倒的献身を決意したものとみえて、このポップジョイとかいう男は弟よりもぴったりとへばりついていた。メリーさんの羊はメリーさんがどこに行っても付いてきたというが、付きまとわれたメリーさんの心境がロード・エムズワースにも察せられるようになってきた。「ちょっとした親切」をしたくてうずうずしているボーイスカウトどもに取り囲まれた「町一番のお年寄り」みたいな気がして、言いようもなく苛立たしい」(117ページ)

 この本はブランディングズ城を舞台に「綿菓子のような頭脳の持ち主」ことロード・エムズワースを中心に据えたシリーズの、短篇作品のみを集めたものである。田舎屋敷の館主であって、静かな生活を求めるねじの緩んだ老人が、次々と日常をかき乱されていくさまが繰り返し描かれている。とはいえ、外伝的な作品も多く含まれていて、なかでもロード・エムズワースの次男フレディ・スリープウッドはどこにいても主役級の輝きを放つ、伯爵にとっての目のうえのたんこぶだ。ストーリーが進んで彼が結婚してからは、犬用ビスケットの敏腕セールスマンとして、引き続きロード・エムズワースを脅かす。

「「うっ、やあ、フレディ。久しぶりだなあ。元気そうじゃないか!」
 「ぴんぴんさ、ビーファーズ、ぴんぴんだよ。きみのほうは?」
 「ああ、ぼくも大丈夫」ルパート師は相変わらず陰気に言った。「この家で何をしていたんだい?」
 「ドッグ・ビスケットを売ろうとしていた」
 「ドッグ・ビスケットを売っているのか?」
 「ドナルドソンのドッグジョイが唯一無二と理解できる連中にはね。でも、あの石頭の叔母がわかってくれたかというと、まるで駄目。一時間も説明したし、パンフレットをどっさり頭から降りかけたのに」
 「叔母さん? レイディ・アルスターがきみの叔母さんだとは知らなかった」
 「知らなかったのか、ビーファーズ? ロンドンじゅうが知ってると思ったが」」(106ページ)

「フレディ・スリープウッドに会った人間のほとんどは、まるで羊そっくりな男だと感じる。しかし、いま電話に大股で歩み寄ってダイヤルを回しているフレディを見たならば、これはそんじょそこらの羊じゃないと一目で分かっただろう。鋭敏で才気煥発、押しどころ攻めどころをわきまえ、周りをひきずってゆく訓練を受けた羊なのだ」(383ページ)

 こうなるとちょっとばかり、先日紹介した別シリーズ『ユークリッジの商売道』の主人公、ユークリッジとも通ずるものがある。叔母、あるいは伯母が恐怖の象徴だというのは、ウッドハウスの作品においてはもはや常識である。彼が結婚した相手は、この犬用ビスケット「ドッグジョイ」の発売元、ドナルドソン家の令嬢だったのだ。そして準主役のフレディがこんな職業についているためか、なんらかのかたちで犬が絡んでくることが、このシリーズには異常に多い。

「暖炉の前で敷物に寝そべっている犬のそばに寄ると、フレディは身体を折り曲げ、犬の背中の後ろをくすぐった。ボトルズもそれに応えて長い尻尾を振った。血統こそ不明ながら、すばらしい犬である。母親は地元で有名なセックス・アピールたっぷりの美犬だったから、父親の正体を訊ねられても、産婦人科の専門医もきまり悪そうに口をつぐんだに違いない」(139ページ)

ペキニーズが片目をあけ、咆えるべきかいなかをしばし検討したが、咆えるには暑すぎるとの結論に達したらしく、再び眠り込んだ」(143ページ)

 犬が出てきて笑いをかっさらっていく、という法則でまず思い出されるのは、あの忘れがたきジェローム・K・ジェロームの傑作、『ボートの三人男』だ(なにせ副題が「犬は勘定に入れません」)。イギリスユーモア文学の定石を発見した気分である。ちなみに他に発見したつもりでいる定石は、イギリス紳士はやけに医学辞典を引きたがる、ということ。これも『ボートの三人男』と、それからウッドハウス『比類なきジーヴス』を読んだときに目についたところだ。もう少し例があればひっそりと威張ることもできようものだが、いかんせん事例と読書量が足りない。

「一方、ボトルズは偵察を再開した。犬は哲学者であって、すぐ忘れるという能力を身に付けている。「たら」だの「れば」だの、過ぎ去ったことを後悔して時間を無駄にすることはない」(153ページ)

「水盥の後ろで寝ていた犬が片目を開けてロード・エムズワースを見た。何の変哲もない毛深い犬だが、あくどい信用詐欺に引っかけられたのではと警戒する株屋のように冷たい、用心深く疑わしそうな目付きをしていた」(166ページ)

 まだある。

「ミスター・バンティングにジョーがシャイだと言ったのは、ダイナの誤解によるものだった。いつもは正反対で、前回の出会いの折に寡黙だったのは一時の気後れにすぎない。一生かかって探し続けてきた娘がだしぬけに飛び出してきた場合、男の声帯に異常が生じるのを責めるのは酷というものだ。今のジョーは平生に復しており、平生のジョーは活気に満ちていた。ジョーがにっこり笑ったというのは、正確な表現にはならない。感激の笑みにぱっくり開いた口を境に、顔が真っ二つに分かれたのだ。すれ違った小型プードルがそれをあざ笑ったが、ジョーは気がつかなかった」(319ページ)

 本当はまだまだあるのだが、ここでやめておく。以前紹介した『ユークリッジの商売道』では、ペキニーズが独壇場で大暴れしていたのに対して、こちらでは小型プードルだのダックスフントだのエアデール・テリアだの雑種だのも介入してきて、大変賑やかである。ペキニーズというのはいかにも愛玩犬らしい、とても可愛らしい犬種なのだが、ウッドハウスのせいで可愛がれなくなった。駆け寄ってきて、匂いを嗅いで、「こいつは失格だ」と思われたくはない。

 ユークリッジとの類似を見いだして惚れ込んだフレディの他にも、大変気に入った人物がいる。ブランディングズ城の庭師頭、アンガス・マカリスターである。花を愛するロード・エムズワースは、雇い主であるのにもかかわらずこのスコットランド人にはまるで頭が上がらず、庭は彼の独裁のもとで栄華を極めているのだ。

「アンガス・マカリスターはバイオリン・ケースのような足を踏み出し、苔を踏みつけた。その意図は明白だ。苔に対する侮蔑と嫌悪、要は苔反対派の典型的態度。ロード・エムズワースは顔をしかめ、鼻眼鏡ごしに相手をためつすがめつ眺めた。めったに宗教的に物事を考えたりしないロード・エムズワースだが、今は考えた。なぜ神様は、庭師を造ってくださいと頼まれると必ずスコットランド人で造るのだろうか? もう一歩進んで、アンガス・マカリスターについて言うならば、なぜこいつを人間に造ったのか? とびきりの騾馬を造る部品が無駄になっているではないか。もし騾馬であったなら、アンガス・マカリスターが好きになれたかもしれないのに」(164ページ)

「まもなくロード・エムズワースは苗木小屋を離れ、館へ向かってふらふらと歩きだした。最高の気分だった。朝からずっと、完全なる満足と静寂にひたっていたのだ。加えてこの日、珍しいことにはアンガス・マカリスターさえ邪魔をしなかった。通常であれば、この人間の姿をした騾馬に何事か説いて聞かせると、向こうは「ふム」と言ってはスコットランド魂を見せつけ、「うぐム」と言ってはまたスコットランド魂を見せつけ、そのあとはひげをいじくりながら無言でスコットランド魂を見せつける。感情の繊細な雇い主にとっては、なんとも気に障る態度なのだ。しかし、今日の午後に限っては、ハリウッド映画に出てくるペコペコ社員ですら通信教育でマカリスターの指導を受けたくなるほどの従順さだった。したがって、ロード・エムズワースも平生のように心が騒ぐことはなかった。いつもなら、協議によって採択された健全にして高尚な政策はこちらが背を向けたとたんに放棄され、アンガスは知らん顔でスイートピーニューディール革新政策を実施するものなのだが」(190ページ)

 アンガス・マカリスターを語る際のウッドハウスは、妙に生き生きとしていて、その文章も冴えに冴えている。例えば二番目の引用文のうち「ハリウッド映画に出てくるペコペコ社員ですら通信教育でマカリスターの指導を受けたくなるほどの従順さだった」という部分。どう見ても「通信教育で」という一言が起爆剤となっている。それ、書く必要あったか? というような無駄なディテールが心底楽しいのだ。

「この娘を見ていると、なるほどこれは笑いを忘れた娘だと分かる。メーテルリンクの劇に出てくる象徴的な役みたいだ」(113ページ)

「いつもであれば、この大それた行為の知らせはロード・エムズワースを動転させたに違いない。しかし今は、惨めさですっかり消沈していたので、身震いさえしなかった。ソクラテスが自決に用いた毒人参の毒が入っていればいいのにという表情で、コーヒーを飲んだ」(162ページ)

 比喩などの表現の絶妙ぶりは相変わらずだ。これがためにこの作家は、私のなかでシェイクスピアと結びついたのだった。こっそりマキューアンとも結びついている。

「「蛆虫!」ジェインが叫んだ。「薄汚い、のろのろした、いじいじした、背骨がゼラチンでできている蛆虫!」」(203ページ)

「ダイナはちょっと勝手が違った感じがしていた。最初会ったときのジョーは、悪徳の町ゴモラから逃げ出すときにうっかり振り返ったために塩の柱に変えられてしまったロトの妻の物真似でもしているのかと思えた。しかし、実際は見事な話し手で、誰とすり替わったのかと思うほどだった。彫像がいきなりおしゃべりになったようなのだ」(321ページ)

 巻末には番外編として「天翔けるフレッド叔父さん」という作品も収録されている。主人公であるロード・イッケナムは、もうほとんどアナーキストと言ってもいいくらい、既存の常識を木っ端微塵にする強者だ。他にも作品があるのなら、読んでみたい。

「「見も知らない男が娘と結婚しようとしているのを見つけて、肝をつぶしました。すぐその男を呼び寄せたら、これがまたどうしようもない男。鰻のゼリー寄せを作っているの」
 「何を?」
 「鰻のゼリー寄せを売っている屋台の手伝いなのよ」
 「そりゃあ」ロード・イッケナムが言った。「立派なもんじゃないか。鰻をゼリーで寄せるには、相当高い知性が要るぞ。とてもじゃないが、誰にも簡単にできる代物じゃない。たとえば、誰かがわしのところに来て『この鰻をゼリーで寄せろ』などと言ったら、わしはお手上げだ。ま、これは憶測にすぎんが、ラムジーマクドナルドやウィンストン・チャーチルだってそう言うに決まっておるね」」(401ページ)

 今回もたくさんの作品が掲載されているのだが、あえて一番を挙げれば、この「天翔けるフレッド叔父さん」か「ブランディングズ城を襲う無法の嵐」だった。後者は巻末エッセイ「探偵小説とウッドハウス」でもすばらしい評価を受けていて、「ミステリの創作にあたっても手本となるような緊密な構成の(しかし表面的にはそれを感じさせない余裕に満ちた)作品」と書かれている(420ページ)。この巻末エッセイは「探偵小説研究家」という肩書きの真田啓介という人が書いているのだが、これだけで著作にあたってみたいと思わせるほど、興味深い内容に溢れた文章だった。ウッドハウスと相互に影響を与え続けたシャーロック・ホームズのシリーズなど、探偵小説はもとより、ユーモアの観点から読んでみたいと思わせる作品がたくさん挙げられていて嬉しい。

 ただ、併収されたもうひとつのおまけ、「文体の問題、あるいはホームズとモダンガール」という、あるミステリー作家がウッドハウスの文体を真似てみた、というパロディ作品は、本当にひどい代物だった。これ、載せる必要あったのだろうか。編纂者たちのお茶目が過ぎただけ、という気がしないでもないが、逆説的にウッドハウスがどうして唯一無二の存在になり得たのかを証明している。書き手が自分の書いていることを面白くて仕方ないと誇示してくるような文章からは、笑いは生まれないんだな、と思った。それと、本編に比べて訳文がよっぽどずさんで、その投げっぷりが面白かった。

 期待していたことは何一つとして裏切られることもなく、大変楽しい時間を過ごせた。でも、シリーズとして捉えるとやっぱりユークリッジのほうが好きだ。とはいえそれも好みの問題でしかないので、笑いを求めている方はもちろんのこと、犬好きにも無条件でおすすめする。

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)

 

追記(2014年10月22日):見事文庫化されました。

エムズワース卿の受難録 (文春文庫)

エムズワース卿の受難録 (文春文庫)

 


<読みたくなった本>
ウッドハウスブランディングズ城の夏の稲妻』
ウッドハウスブランディングズ城は荒れ模様』
→どちらも国書刊行会、森山たまき訳の「ウッドハウススペシャル」の一冊。エムズワースシリーズの長篇作品。

ブランディングズ城の夏の稲妻 (ウッドハウス・スペシャル)

ブランディングズ城の夏の稲妻 (ウッドハウス・スペシャル)

 

ジョン・バニヤン天路歴程
「この姿を見て、彼女は古代の英雄を思い出した。この巨大な若い男が目をきっと見開いて、両の手にばたつく犬どもを下げて立っているのを見れば、不思議な畏敬の念に打たれぬ者とてあるまい。悪に勝利する正義の神の立像を思い起こさせる姿ではないか。遠い昔に読んだ物語のヒーロー、あれは誰だったかしら? まあ、『天路歴程』に出てくるクリスチャンあたりだろうか」(156ページ)

天路歴程 第1部 (岩波文庫 赤 207-1)

天路歴程 第1部 (岩波文庫 赤 207-1)

 
天路歴程 第2部 (岩波文庫 赤 207-2)

天路歴程 第2部 (岩波文庫 赤 207-2)

 

ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』
「父はディケンズの小説に出てくるミスター・ミコーバーそっくりの楽天家だったの。あれほど実用に向いてない人っていないんじゃないかしら」(324ページ)
→以前、新潮文庫中野好夫訳を熱心に薦めて頂いた記憶がある。

デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (新潮文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (新潮文庫)

 
デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (新潮文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (新潮文庫)

 
デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (新潮文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (新潮文庫)

 
デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (新潮文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (新潮文庫)

 

ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
→「探偵小説とウッドハウス」によると、この作家はウッドハウスの大ファンだそうだ。

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

 

ウッドハウス編『A Century of Humour
ウッドハウスの編纂によるユーモア文学アンソロジー。電子版なら無料で読むことができるものの、やっぱり本のかたちで読まないと気持ちが悪いので探してみたところ、なんと1934年の初版が95ポンドで売りにだされているのを見つけた。こんなん買えるか。ちなみに電子版はこちら