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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

クリトン

 『ソクラテスの弁明』と併録されることのきわめて多い、裁判後のソクラテスとその友クリトンとの対話を描いた掌篇。どれくらい掌篇かと言うと、わずか40ページほどの作品である。

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))

 

プラトン(田中美知太郎訳)「クリトン」『ソクラテスの弁明ほか』中公クラシックス、2002年。


 正直、個別に取り上げるほどの作品ではない気もするのだが、『ソクラテスの弁明』と『ゴルギアス』を単独で紹介したかったので、こういう扱いになってしまった。これは死刑判決が下ったあと、クリトンが獄中のソクラテスを訪ねて、脱獄のための最後の説得を試みるというものである。『ソクラテスの弁明』と時系列が直接繋がっているので、ぜひとも合わせて読みたい作品。

クリトンソクラテス、いまからでもまだ間にあうのだが、君はぼくの言を容れて、自分を救うことをやってみないかね? ぼくにとって君に死なれることは、一つの災難にとどまらないのだ。ぼくがけっして二度と見つけられない、そういう知人を失うというだけではない。そういうことをおいても、なおまた、君のこともぼくのこともよくは知らない大多数の人たちに、ぼくは、金銭をつかう気になりさえすれば君を救うことができたのに、君のことをかまわないでしまったように思われるだろう。しかし友人よりも金銭を大事にしたと思われるなんて、これより不面目な思われようが何かあるだろうか。というのは、大多数の人たちは、われわれが熱心に望んだにもかかわらず君のほうが自発的にここから出てゆくことを欲しなかったのだと言っても、そんなことは信じないだろうからね」(94~95ページ)

 対話篇という形式は、相手が違う意見を持っているからこそ生きるものなのだ、ということがよくわかった。というのも、このクリトンはそもそもソクラテスの信奉者の一人として登場してきているので、議論はほとんどソクラテスがクリトンの同意を得ることのみによって進み、まるで広がりを持たないのだ。ほとんどソクラテスの独白といってもよく、語られていることも『ソクラテスの弁明』においてすでに表明されていたことが多い。

ソクラテス:大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ」(111ページ)

ソクラテス:たとい不正な目にあっても、世の多数の者が考えるように、不正の仕返しをするということは、とにかく、どんなにしても不正をおこなってはならないのだとすると、そういうこともゆるされないことになる」(116ページ)

 だが、プラトンはこの独白状況を放置したりはしない。ソクラテスアテネの国法を擬人化し、今度はそれを相手に対話を進めていくのだ。国法が姿を現したら、きっとこう言うだろう、という前提のもとに、クリトンの薦める脱獄がどれほど避けるべきものであるかを説いていく。『プロタゴラス』のときにも思ったことだが、プラトンが描くソクラテスの論法は面白い。一見当たり前と思えることにしつこいほど同意を求め、しかも最後にいくつかの同意のあいだの矛盾を指摘したり、抽象的なものが擬人化されたりするので、読んでいて飽きない。

「いいかね、よく考えてごらん。もしおまえがこれを踏みにじって、その何かの点で誤りをおかしているならば、それは、おまえ自身に対しても、おまえの知人たちに対しても、なんの善い所業となるのか、ということをね。というのは、おまえの知人たち自身も、追放になって自分の国を奪われたり、財産を失ったりするような、危険な目にあうことは、ほとんど明らかだからだ。また、おまえ自身、まずいちばん近くにある国のどこかへ、というと、テバイでもメガラでも、どちらも善い法律や風習をもっているから、あそこへ行くとしても、ソクラテス、おまえはその国制の敵として迎えられることになるだろう。そして、自分たちの国のことを心配している人たちは、おまえを国法の破壊者と考えて、おまえに疑いの目を向けるだろう。そしておまえは、おまえの裁判をした人たちの考えに裏づけを与えることになり、あの判決を下したのは正当だったと思われるようにすることになるだろう。なぜなら、いやしくも国法を破壊するような者なら、若い者や考えのない者を破滅に導くにきまっていると、たぶん考えられるだろうからね。
 それではどうするかね? 善い法律や風習をもっている国とか、人々のうちでもとくに律儀な人たちなどには、避けて近づかないことにするかね? そしてそういうことをするとき、おまえには、人生がはたして生き甲斐のあるものとなるだろうか。
 それとも、どうかね? おまえはその人たちに近づいて、恥ずかしげもなく問答を交わすつもりなのかね? いったい何を論じてだ、ソクラテス? いや、それは言うまでもなく、ここで論じていたと同じこと、人間にとって最大の価値をもつものは徳であり、なかでも正義であり、合法性であり、国法であるというようなことをかね? そしてソクラテスという者の、その所業が、ぶざまなものに見えてくるだろうとは思わないのかね? とにかく、そう見えてくると、わたしたちは思わずにはいられないのだ」(131~132ページ)

 最後に、さりげなくとても面白い一節があったので、引用しておく。

ソクラテス:ここのところで、クリトン、ひとつ気をつけてもらいたいのは、これらのことに同意を与えていくうちに心にもない同意をすることのないように、ということだ。なぜなら、ぼくはよく知っているのだが、こういうことはただ少数の人が考えることなのであって、将来においてもそれは少数意見にとどまるだろう。だから、ちゃんとこう考えている人と、そうでない人とでは、いっしょに共通の考えを決めるということはできないのだ。おたがいに、相手の考える案を見て、軽蔑しあうにきまっているのだ。だから君も、よくよく考えてみてくれたまえ。君はぼくと共同してくれるか、どうか。ぼくと同じ考えをもてるか、どうか」(117ページ)

 少数者、周辺的存在であるということは、サイードの知識人の定義を思い出させる。『夜の果てへの旅』のなかでのセリーヌの言葉を、予言しているかのようだ。「たとえ奴らが七億九千五百万人で、僕のほうは一人ぼっちでも、間違っているのは奴らの方さ」。権力に抗し、周縁から行われる批判のみが常に正しい。それは古代ギリシャも現代も、なんら変わることのない真理なのかもしれない。

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))

 


<読みたくなった本>
ユーゴー『死刑囚最後の日』
カミュ『異邦人』
→死刑囚の心理。前者はひたすら苦悶、後者はおそろしい孤独。

死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)
 
異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)