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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

死刑囚最後の日

 プラトンを読んでいたときに思い出した一冊。すでに部分的にはフランス語で読んでいたのだが、最後まで読みたくなったので手に取った。

死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)
 

ヴィクトル・ユーゴー豊島与志雄訳)『死刑囚最後の日』岩波文庫、1950年。


 日本ではそれほど大切にされていないけれど、フランスでのユーゴーに対する敬意は、とてつもないものである。たった一人で詩も戯曲も小説も完成させてしまったとまで言われ、この作品に対する評価も、思想と文学どちらの観点からも、とても高い。日本で有名な書き出しと言えば、まっさきにあがるのは川端康成の『雪国』だろうが、フランスではこの『死刑囚最後の日』だ。少し長いけれど、最初の一章をフランス語の原文とともに丸々引用する。原文がどれほど詩的な韻を大切にして書かれていたか、すぐにわかるだろう。小説家であり劇作家である以前に詩人であったユーゴーは、その技巧と感性を、あらゆる文学形式に援用していたのである。

「死刑囚!
 もう五週間のあいだ、私はその考えと一緒に住み、いつもそれと二人きりでおり、いつもその面前に凍えあがり、いつもその重みの下に背を屈めている。
 昔は、というのもこのいく週かがいく年ものように思われるからであるが、昔は私も他の人々と同じように一人前の人間だった。どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。私の精神は若くて豊かで、気まぐれな空想でいっぱいだった。そして楽しげにその一つ一つを、秩序もなく際限もなく、生活のあらい薄い布地を無尽蔵な唐草模様で飾りながら、つぎつぎにひろげて見せてくれた。若い娘、司教のきらびやかな法衣、たけなわな戦争、響きと光とに満ちてる芝居、それからなお若い娘、夜はマロニエの広い茂みの下のほの暗い散歩。私の想像の世界はいつもお祭りみたいだった。私は自分の望むものを何でも考えることができた。私は自由だった。
 今は私は囚われの身である。私の体は監獄の中に鉄鎖に繋がれており、私の精神は一つの観念の中に監禁されている。恐ろしい、血なまぐさい、一徹な観念だ。私はもう一つの考えしかもたず、一つの確信しか持たず、一つの確実さしか持っていない、すなわち、死刑囚!
 私がどんなことをしようと、それが、その地獄めいた考えが、いつもそこに控えていて、鉛の幽霊のように私のそばにつっ立ち、二人きりなのに嫉妬深く、私のあらゆる気散じを追い払い、みじめな私と向かい合い、私が顔をそむけたり眼をつぶったりしようとすれば、その氷のような手で私をゆさぶる。私の精神が逃げだそうとするところにはどこにでも、あらゆる形となって滑りこんでき、人が私に話しかけるどの言葉にも、恐ろしいきまり文句として交わってき、監獄の呪わしい鉄門に私と一緒にしがみつき、目覚めてるあいだじゅう私につきまとい、ぎくりぎくりとした私の眠りをうかがい、そして夢の中にも首切り庖丁の形となって現われてくる。
 私はそれに追っかけられ、はっと目を覚まして考える。「ああ、夢なんだ!」ところが、重い瞼をようやく開きかけて、自分を取り巻いてる恐ろしい現実の中に、監房のしめっぽいじめじめした床石の上に、夜灯の青ざめた光の中に、衣服の布の粗い織り糸の中に、監獄の鉄門ごしに弾薬盒が光ってる警備兵の陰鬱な顔の上にいたるところに書かれてるその宿命的な考えをよくも見ないうちに、すでに一つの声が私の耳に囁くような気がする、「死刑囚!」と」(10~11ページ)
「Condamné à mort !
 Voilà cinq semaines que j'habite avec cette pensée, toujours seul avec elle, toujours glacé de sa présence, toujours courbé sous son poids !
 Autrefois, car il me semble qu'il y a plutôt des années que des semaines, j'étais un homme comme un autre homme. Chaque jour, chaque heure, chaque minute avait son idée. Mon esprit, jeune et riche, était plein de fantaisies. Il s'amusait à me les dérouler les unes après les autres, sans ordre et sans fin, brodant d'inépuisables arabesques cette rude et mince étoffe de la vie. C'étaient des jeunes filles, de splendides chapes d'évêque, des batailles gagnées, des théâtres pleins de bruit et de lumière, et puis encore des jeunes filles et de sombres promenades la nuit sous les larges bras des marronniers. C'était toujours fête dans mon imagination. Je pouvais penser à ce que je voulais, j'étais libre.
 Maintenant je suis captif. Mon corps est aux fers dans un cachot, mon esprit est en prison dans une idée. Une horrible, une sanglante, une implacable idée ! Je n'ai plus qu'une pensée, qu'une conviction, qu'une certitude : condamné à mort !
 Quoi que je fasse, elle est toujours là, cette pensée infernale, comme un spectre de plomb à mes côtés, seule et jalouse, chassant toute distraction, face à face avec moi misérable, et me secouant de ses deux mains de glace quand je veux détourner la tête ou fermer les yeux. Elle se glisse sous toutes les formes où mon esprit voudrait la fuir, se mêle comme un refrain horrible à toutes les paroles qu'on m'adresse, se colle avec moi aux grilles hideuses de mon cachot ; m'obsède éveillé, épie mon sommeil convulsif, et reparaît dans mes rêves sous la forme d'un couteau.
 Je viens de m'éveiller en sursaut, poursuivi par elle et me disant : — Ah ! ce n'est qu'un rêve ! — Hé bien ! avant même que mes yeux lourds aient eu le temps de s'entr'ouvrir assez pour voir cette fatale pensée écrite dans l'horrible réalité qui m'entoure, sur la dalle mouillée et suante de ma cellule, dans les rayons pâles de ma lampe de nuit, dans la trame grossière de la toile de mes vêtements, sur la sombre figure du soldat de garde dont la giberne reluit à travers la grille du cachot, il me semble que déjà une voix a murmuré à mon oreille : — Condamné à mort !」

 たとえば、この「Condamné à mort !(死刑囚!)」という言葉を三度繰り返しているところがとても技巧的だよね、などと書きはじめると、途端につまらなくなってしまうが、じつはこの一章からだけでも、いくらでもそういったつまらないことが書ける。「toujours(いつも)」や「chaque(どの~)」の反復を見るだけでも、ユーゴーという文豪がどれほど意識的に、自身の文章に詩を織りこんでいたかがよくわかるのだ。とはいえこういう分析めいたまねは、深入りすればするほど、読書をつまらなくしていくものなので、ただ、声に出して読むときのリズムが、とても心地よいとだけ書いて、先に進みたい。

「初めの二晩は、不安と恐怖とで私は眠れなかった。三日目の晩は、倦怠と疲労のため眠った」(12ページ)

「一つの革命が私のうちに起こったのだった。死刑の判決までは、私は呼吸し脈打ってる自分を感じ、他の人々と同じ世界に生きてるのを感じていた。が今や私は、世間と自分との間に、ある仕切りみたいなものをはっきり感じた。もう何一つ以前と同じ姿には見えなかった」(18ページ)

 死刑通告が与える精神的な苦痛を、これほどまでに執拗に描いた者が、かつてあっただろうか。しかもユーゴーは、この語り手がいったいどんな罪を犯したのかを、いっさい語らない。これが特定のだれかの物語となることを、入念に避けているのである。

「人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている。それではいったい私の地位に何がこんな変化をもたらしたのか」(19ページ)

「おそらく彼らは不幸にも、死刑判決の早急なしかたのうちに責め苦のゆるやかな連続が含まれてることを、かつて考えたことがなかったろう。彼らが除き去るその男のうちには、一つの精神がある、生命に望みをかける一つの精神があり、死を予期していない一つの魂がある、というこの親切な観念に、彼らはただ目をすえたことでもあるだろうか。いや。彼らはただ三角な肉切り庖丁の垂直な落下をその中に見てとるだけであって、受刑人にとってはその前にも後にも何者もないと思ってるにちがいない」(25ページ)

 この本が最初に発表されたのは1829年七月革命の直前であった。大革命以来、獅子奮迅の活躍をつづけていたギロチンは、この時期にはすでに処刑に必要不可欠な道具となっていて、これを用いた公開処刑は、無料で見られるスペクタクルとして、一般大衆の娯楽にまでなっていたのである。

「私の後には、一人の母が残る、一人の妻が残る、一人の子供が残る。
 三歳の小さな女の子で、ばら色でやさしくよわよわしく、黒い大きな目をし、栗色の長い髪を生やしている。
 最後に私が見た時は、その子は二年と一か月だった。
 かくて、私の死後には、子がなく夫がなく父がない三人の女が残る。各種の三人の孤独者だ。法律から作られた三人の寡婦だ。
 私は自分が正当に罰せられてることを認める。しかしそれら三人の無辜の者は、いったい何をしたのか。ただ無鉄砲に、彼らは不名誉を担わせられ、破滅させられる。それが正義なのだ!」(28~29ページ)

「そして彼女が大きくなったら、それまでもし生きてるとすれば、彼女はどうなるだろう。父親のことがパリの人々の頭に残ってるにちがいない。彼女は私のことと私の名前とに顔をあからめるだろう。彼女は私のせいで、心にあるかぎりの愛情で彼女を愛してる私のせいで、軽蔑され排斥され卑しめられるだろう」(84ページ)

 おそろしい時代である。だがこの本を読んでいると、おそろしいのはそれが公開されているからではない、ということに気がつく。公開であれ非公開であれ、処刑そのものがおそろしいことなのだ。死刑制度の存続が犯罪の抑止力となる、という考えかたにも、もう賛同できない。犯罪者であれ死刑擁護論者であれ、いったいだれかこのユーゴーの次元まで、死刑通告を受けた者のことを考えたことがあるのだろうか。ここまでの想像力を働かすことなしには、その存在が抑止力となることもありえないだろう。

「ああ、いかに監獄というものはけがらわしいものであることか。そこにはあらゆるものを汚す一つの毒液がある。すべてが、十五歳の娘の唄でさえも、そこでは色あせてしまう。そこで小鳥を一羽見つければ、翼に泥がついている。そこできれいな花を一つ摘んで嗅げば、くさい臭いがする」(57ページ)

「彼らは言う、それはなんでもない、苦しくはない、安らかな終りだ、その種の死はごく平易なものになっていると。
 では、この六週間の苦悶とこの一日じゅうの残喘とは、いったい何なのか。こんな徐々にまたこんなに早くたってゆくこの取り返しのつかぬ一日の苦悩は、いったい何なのか。死刑台で終わってるこの責苦の段階は、いったい何なのか。
 外見上、それは苦しむことではない。
 けれど、血が一滴一滴つきてゆくことと、知能が一つの考えから一つの考えへと消えてゆくこととは、同じ臨終の痙攣ではないか。
 それにまた、苦しくはないということも、確かであるか。誰かそう告げてくれた者があるか。かつて、切られた頭が血まみれのまま籠のふちに伸びあがって、それは何ともないことだ! と人々に叫んだというような話でもあるのか。
 そういう死にかたをした者で、礼にやってきてこう言った者でもあるのか、これはうまく考案されてる、満足するがいい、機械はよくできていると。
 それはロベスピエールなのか、ルイ十六世なのか……。
 なるほど、わけもないことだ、一分間たらずのうちに、一秒間たらずのうちに、ことはなされてしまう。――が彼らはかつて、重い刃が落ちて肉を切り神経を断ち頸骨をくだく瞬間に、そこにいる者のかわりに自ら身を置いてる場合を、せめて頭のなかだけででも考えてみたことがあるか。なに、ほんの半秒のあいだだ、苦痛はごまかされると……。呪うべきかな!」(106~107ページ)

 ユーゴーはこの作品を文学として書くことで、単なる論文には絶対に生み出せない効果を持たせている。その唐突さ、苦痛、苦悩、どれをとっても、読者に吐き気を催させるのに十分なものだ。

「どういうわけだろう、係りの看守が私の監房のなかにはいってきて、帽子をぬぎ、会釈をし、邪魔するいいわけをして、荒々しい声をできるだけやわらげながらたずねた、朝食になにか食べたいものはないかと……。
 私は戦慄を覚えた。――今日なんだろうか?」(59ページ)

「鎖に繋がれた者たちが出発した日と同じに、季節の雨が、こまかな冷たい雨が、降っていた。これを書いている今もなおその雨が降っている。おそらく今日じゅうは降るだろう。私の生命よりも長く降りつづくことだろう」(66ページ)

 また、死刑執行において踏襲される手順が克明に描かれることで、その慣習がいかに忌むべきものであるかも伝わってくる。まず首のまわりの髪を切る。それから着ているものの襟を切る。その一連の準備作業が行われているあいだ、死刑囚はいったいどんな心境におかれていることだろうか。判決からの一秒一秒が、拷問にも等しい精神的苦痛をもって、囚人を蝕むのである。

「扉のそばと壁にそって、司祭と憲兵らのほかになお、数人の者が立っていた。三人のあいつらもいた。
 三人のうち最初のは、いちばん背が高く、いちばん年長で、あぶらぎって赤い顔をしていた。フロックを着て、変な形の三角帽をかぶっていた。そいつがそうだった。
 そいつが死刑執行人、断頭台の給仕だった。他の二人はそいつについてる助手だった。
 私が腰をおろすや否や、その二人が後ろから猫のように近寄ってきた。それから突然、私は刃物の冷たさを髪のなかに感じた。はさみの音が耳に響いた。
 私の髪の毛は手当りしだいに切られて、ひと房ずつ肩の上に落ちた。三角帽の男はそれを太い手で静かにはらいのけた」(123ページ)

「車はふつうの荷馬車で、痩せこけた馬が一頭つけられていて、ビセートル付近の野菜作りらが着るような赤い模様の青の上っ張りを着てる、荷馬車ひきが一人ついていた。
 三角帽の大きな男がまっ先に乗った。
 「こんにちは、サンソン先生!」と鉄柵にぶらさがってる子供らは叫んだ」(126ページ)

 ところで、私はナントという都市に住んでいた。そして、あの町のどの広場に、かつてギロチンが置かれていたかを知っている。大学教授の一人が教えてくれたのだ。恐怖政治の時代には、血が黒く渇く暇もないほど、肉切り庖丁の刃がひっきりなしに上下し、いつまでも赤が褪せることのない広場だったと伝えられている。文明国とは思えないような、グロテスクな過去である。だが、それが過去となったのは、フランスが文明国だったからなのだ。死刑は廃止しなければならない。

「真正面に、パレ・ド・ジュスティスの角となってる四角な塔のすこし前方に数軒の居酒屋があって、その中二階は好位置だというので見物人でいっぱいだった。ことに女が多かった。居酒屋にとっては上乗の日にちがいない。
 テーブルや椅子やふみ台や荷車などが貸し出されていた。どれにもみなしなうほど見物人が乗っていた。人の血をあてこんだ商人らが声のかぎりに叫んでいた。
 「席のいるかたはありませんか。」
 そういう群集に対して私は憤激を覚えた。彼らにむかって叫んでやりたかった。
 「俺の席のほしい者はないか。」」(128ページ)

 フランスで、ギロチンによる公開処刑が廃止されたのは1939年、そして死刑制度そのものが廃止されたのは、1981年のことだった。ユーゴーがこれを書いてから、なお100年以上もの歳月を要したのである。日本での廃止は、いつになるのだろう。

「「赦してください、赦してください!」と私はくりかえした。「さもなくば、御慈悲に、もう五分間猶予してください。どうなるかわかりません、赦されるかもしれません。私くらいの年齢で、こんな死にかたをするのは、どうにも恐ろしいことです。最後のまぎわに特赦がくる、そういうこともたびたびありました。私が特赦を受けないとすれば、誰が特赦を受ける資格がありましょう?」」(132ページ)

 1829年ユーゴーはこの書物を匿名で出版し、そして1832年には仮面を脱いで、自らの署名とともに序文を追加している。岩波文庫版のこの一冊には、その「序」も付されている。こちらはまるきり論文であるが、書かれていることのグロテスクさは本文に引けを取らない。だが、グロテスクなのはユーゴーではなく、社会のほうなのだということを忘れないでおこう。匿名で発表された際の簡潔な序文も忘れがたいものである。

「本書の成立を会得するのに、二つのしかたがある。すなわち、黄ばんだ不揃いなひとたばの紙が実際あって、一人のみじめな男の最後の思想が、それに一つ一つ書き留められているのが見出されたのだと。あるいはまた、哲学者とか詩人とか、とにかく一人の者が、芸術のために自然を観察している夢想家があって、本書のなかにあるような観念を心にうかべ、それを取りあげて、というよりむしろそれに捉えられて、それからのがれる途はただ、それを一冊の書物として投げ出すよりほかはなかったのだと。
 その二つの説明のうち、どちらなりと好きなほうを読者は選ぶがよい」(「序」より、135ページ)

 ゾラが1898年にドレフュスを弁護する以前にも、政治を慮る作家たち、知識人の姿はあったのだ。スタンダールは「文学に政治を持ち込むな」と言ったけれど、『赤と黒』と政治を切り離すことなど、できはしない。文学にできることは、われわれが予想しているよりも、もっとずっと大きいのかもしれない。

死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)
 


<併読おすすめ>
カミュ『異邦人』
→暴力的で衝撃的な死刑判決。

異邦人 (新潮文庫)

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カミュ『転落』
→拷問による精神的苦痛。

転落・追放と王国 (新潮文庫)

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ヴォルテールシュヴァリエ・ド・ラ・バール事件』
→原題は「L'affaire du Chevalier de la Barre」。邦訳があるのかどうかは不明。冤罪によって死刑にされた青年を擁護した文章で、青年はヴォルテールの『哲学辞典』の読者だったという理由だけで、嫌疑をかけられた。

Affaire Du Chev de La Ba (Folio 2 Euros)

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ブノワ・デュトゥールトゥル『幼女と煙草』
→救われた死刑囚。

幼女と煙草

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フーコー『監獄の誕生』
→冒頭の詳細きわまりない拷問の描写を思い出した。

監獄の誕生―監視と処罰

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プラトン『ソクラテスの弁明』
→死刑という制度を論じた最初の書物。

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))

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<読みたくなった本>
ベッカリーア『犯罪と刑罰』

犯罪と刑罰 (岩波文庫)

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安達正勝『死刑執行人サンソン』

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

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カミュ『ギロチン』

カミュ全集〈9〉尼僧への鎮魂歌・オルメドの騎士・ギロチン (1973年)

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アナトール・フランス『神々は渇く』

神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

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シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

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ディケンズ二都物語

二都物語 (新潮文庫)

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ユーゴーレ・ミゼラブル

レ・ミゼラブル〈1〉 (ちくま文庫)

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デュマ『モンテ・クリスト伯

モンテ・クリスト伯〈1〉 (岩波文庫)

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カフカ『審判』

審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)

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サルバドール・エリソンド『ファラベウフ』

ファラベウフ―あるいはある瞬間の記録 (叢書アンデスの風)

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