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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

エセー1

 死ぬまでに絶対に読みたいと思っている本がいくつかある。いや、じつはいくつもある。そのリストには古典に数えられている作品がほとんどすべて入っていて、いっこうに短くなる気配を見せないどころか、日に日に肥大化してきているのだが、わたしの方針としては、主題の関心に基づく読書の流れがそれらの作品に行き着くまでは、手に取りたくないのだ。初めて読むときの印象というのは、とても大切なものだと思っているので、古典とまで呼ばれる作品を、さしたる関心もなしに手に取るわけにはいかない。それはとても権威主義的な考えかたなのだろうけれど、そんなことを言いつつも、それが古典だというだけで手に取る権威主義的な姿勢もいやなのだ。「いまだ!」というタイミングが、いつかきっとやってくる。その信念とともに、たくさんの本との出会いを楽しみにしている。そして今回、高まりつづけるユマニスム熱は、とうとうこの作家を連れてきてくれた。

エセー〈1〉

エセー〈1〉

 

ミシェル・ド・モンテーニュ宮下志朗訳)『エセー1』白水社、2005年。


 と、大げさな口調ではじめてみたものの、ご覧のとおり手に取ったのはまだ第1巻だけである。2005年に刊行がはじまった、この宮下志朗訳の『エセー』は、全7巻予定で、2011年9月現在、第4巻まで刊行されており、この『エセー1』では、第1巻第1章から第25章までが収められている。あとでこの本の性格とともに書くつもりだが、時間をかけてゆっくり付き合っていきたいと思っている。

 ユマニスム運動の旗手となった作家たちの本を読むと、ギリシア・ローマの古典への関心がものすごく高まる。モンテーニュももちろん、その例外ではない。それでも、ペトラルカだったらキケロウェルギリウスエラスムスだったらルキアノスと、その対象がだいたい特定されていたのだが、モンテーニュに関しては、そういった「どの作家から最も影響を受けているか」というような詮索が、ほとんど通用しなかった(もっともエラスムスも、ルキアノス礼讃をしているわけではない。たまたま自分の関心と合致した作家が、何度も言及されていただけである)。

 あえて特定しようとするのなら、おそらくプルタルコスなのだろうが、キケロセネカプラトンアリストテレスルクレティウスディオゲネス・ラエルティオスと、モンテーニュが頻繁に引用する作家の数は驚くほど多い。頻繁に、という条件をつけてもこの人数なのだから、無理に作家を特定しようとするような詮索は、もう馬鹿馬鹿しい邪推でしかないだろう。読みたい本が増えすぎて困るほどだ。

「わたしは固い本とは親しく付き合いませんでしたが、プルタルコスセネカは別でして、両者からは、まるでダナイス(ダナイデス)たちのように、桶をいっぱいにしては、それを空けてと、たえず汲みあげているのです。そのなにがしかは、この紙に注ぎましたが、わたし自身には、まずほとんど染みこんでおりません」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、251ページ)

 この『エセー』で取りあげられるテーマはじつに多岐にわたっていて、読書や実生活において培われてきた知識と経験とが、それぞれのテーマに応じて、縦横無尽に駆使されている。正直、多岐にわたるなどという生やさしいものではない。モンテーニュはもうなんだってテーマにしてしまうのである。

「この雑多な寄せ集め(ラプソディ)においては、入れるには及ばないほどくだらない主題など存在しないのである」(第1巻第13章「国王たちの会談における礼儀」より、92ページ)

 ありとあらゆるテーマが、古典の例を引きながら論じられているのだ。テーマに興味を持てれば、すいすい読めるのだが、ぜんぜん興味が湧かないテーマだと、急に失速したりもする。とはいえ、一篇は短いことがほとんどなので、失速したままでも体力さえあればどんどん次の章へと進めるのだ。あんまり面白いので、もっともっと掘り下げて欲しいと思うような章もある。げらげら笑いながら読める章もあれば、ぜんぜんぴんとこないまま気づけば読み終えてしまっているような章もある。まさしく「雑多な寄せ集め」なのである。

「「自分のなすべきことをして、自分自身を知れ」という偉大な教訓は、プラトンにしばしば引かれている。この教えのふたつの部分には、いずれも、われわれの義務というものがまるごと含まれているし、またどちらも、相手方を同じように包摂している。自分のなすべきことに取りかかろうとする人間は、自分が何者であって、なにが自分本来のものなのかを知ることを、最初に学ぶ必要があるのだ。そして自分を知る者は、他人のことがらと自分のことがらをとりちがえることはもはやなく、なによりも自分を愛し、自分を鍛えるのであって、余計な心配や、むだな思いやもくろみなどはしりぞけるのだ。愚かしさに望みどおりのものを与えても、それで満足することがないが、英知は、現にあるもので満足して、けっして自分に不満をいだかないのだ。エピクロスによれば、賢者とは将来のことを予測したり心配したりしないのである」(第1巻第3章「われわれの情念は、われわれの先へと運ばれていく」より、29ページ)

「わたしが目標としているのは、もっぱら、自己を発見することで、その自己が、なにかを新たに学んで変わるなら、明日は別の人間になっているかもしれません。わたしには、人に信じてもらうほどの権威もありませんし、そうなりたいとも望みません――他人に教えるには、あまりにも教育がないことを実感しておりますから」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、255~256ページ)

 この「自分はなにを知っているのか」ということを、モンテーニュは執拗に追い求めている。ペトラルカの訳者、近藤恒一が「自己意識と自己省察がユマニスムの特質のひとつ」と書いていたのも思い出される。ところで、白水社が翻訳刊行しているシリーズ「文庫クセジュ」の「クセジュ」とは、モンテーニュ座右の銘である。古フランス語で「Que sçay-je ?」、現代フランス語では「Que sais-je ?」と書く、「わたしはなにを知っているのか?」を意味する言葉だ。モンテーニュにとって『エセー』を書くことは、自分自身を入念に調べ上げることにほかならなかったのである。

アリストテレスは、あらゆることについて自在に論じたが、「死んでみないと、だれだって、あの人は幸福だったとはいえない」というソロンのことばについて、望みどおりの一生を送った人間にしても、死後の評判がかんばしくなくて、子孫が悲惨であったなら、幸福だなどと呼べるのだろうかと問いかけている。動きまわれるうちは、われわれは、あれこれ思い描いて、好きなところに自分を運んでいく。ところが、いったんこの世から離れてしまうと、現実とはなんのかかわりもなくなるのだ。だからソロンに、「人間とは、死後でなければ幸福ではないのだから、けっして幸福にはなれないのだ」といってやったほうがいいのではないのか」(第1巻第3章「われわれの情念は、われわれの先へと運ばれていく」より、31ページ)

「なかには勇ましく、幸福な死というものもある。めざましいばかりの栄達の道を歩んでいたのに、その花の盛りに、死によってぷっつりと糸を切られてしまった人を、わたしは見たことがある。その最期がいかにも華々しいものであったから、わたしの考えでは、彼の熱烈で、野心にもえた意志も、それが中断されたことの高さには及ばなかったのではないのか。彼は、みずからが望んだところに、そこに行くことなく到達したのだ――しかも、自分が期待した以上に、りっぱに、そして栄光に包まれて。走り続けて到達することを念じていた権威と名声とを、横死をとげることで凌駕したのだった」(第1巻第18章「われわれの幸福は、死後でなければ判断してはならない」より、118ページ)

 人が幸福であったかどうかは死後でなければ判断できない、という言葉は、ソフォクレス『オイディプス王』を思い出させる。モンテーニュがこの作品を読んでいないというのはありそうもないことだが、どういうわけか彼は、ソフォクレスアイスキュロスエウリピデスも、少なくともこの第1巻を読むかぎりでは、一度も名前を挙げていないのだ。ひょっとして、まだ発見されていなかったのだろうか? 印刷技術の黎明期にあっては、これらの悲劇作家の作品は出回っていなかったのかもしれない。そのあたりの事情も、調べてみたら面白そうだ。

「その人の人生について判断をくだすとき、わたしはいつでも、最期の死にざまに注目する。わたしの人生における主たる関心とは、最後がみごとに運ばれること、すなわち、静かに、こっそりと死んでいくことにほかならない」(第1巻第18章「われわれの幸福は、死後でなければ判断してはならない」より、118ページ)

「どこで死が待ちかまえているのか、定かでないのだから、こちらが、いたるところで待ち受けよう。死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることができた人間なのだ。いのちを失うことが不幸ではないのだと、しっかり理解した者にとっては、生きることに、なんの不幸もない。死を学ぶことで、われわれは、あらゆる隷属や束縛から解放されるのである」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、131ページ)

 以前プラトン『ゴルギアス』を取りあげたときに書いたとおり、死に対する考えかたというのは、いつだってその人の哲学におけるかなり重要な部分である。死生観という言葉のとおり、死に対する考えがなければ生に対する考えもありえないのだ。

「われわれの誕生が、われわれにすべてのものごとの誕生をもたらしたのと同じで、われわれの死は、すべてのものごとの死をもたらすであろう。したがって、今から百年後に自分が生きてないことを嘆くなどは、今から百年前に生きていなかったことを嘆くと同じく、愚かなことというしかない」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、140ページ)

 先日読んだバルビュスの『地獄』に、これとほとんど同じ哲学が開陳されていたことを思い出して驚いた。彼はカントとデカルトを引きながらその言葉に辿りついたと書いていたが、カントはまだしもデカルトが『エセー』を読んでいなかったとも考えにくい。考えすぎなのかもしれないが、こういう思想の系譜のようなものを見つけると、妙にはしゃいでしまう。そしてモンテーニュプラトンの描くソクラテスさながらに、「死」になりきって議論を進めていく。

「もしおまえが一日生きたならば、それですべてを見たことになる。その一日は、すべての日と等しいのだ。別の光も、別の闇もないのだ。この太陽、この月、これらの星、それらの配置は、おまえの祖先が享受したものにほかならず、おまえの子孫を楽しませるものと変わらないのだ」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、143ページ)

「おまえの人生がどこで終わろうと、それで全部なのだ。人生の有用性とは、その長さにではなく、使い方にある。長く生きても、少しだけしか生きなかった者もいる。生きているうちは、しっかり心にとめておくんだ――おまえが十分に生きたかどうかは、その年数ではなしに、おまえの意志にかかっているということをな」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、146ページ)

 占いや神託について書かれた章では、ルキアノス「偽予言者アレクサンドロス」を思い出した。キケロの『占いについて』という本がたびたび引かれていたので、併せて読んだら面白いだろう。

「古代の人々は、公私において、たいていのことを手がける場合に、占いに頼っていたのであったが、それらすべてを、われわれの宗教は廃止したのである。とはいえ、われわれのあいだには依然として、天体や、霊魂や、人体の特徴や、夢など、占いの方法がいくつか残っているではないか。これこそは、われわれの本性が熱狂的なまでに好奇心が強いことの、注目すべき例であって、そのために、われわれは現在のことがらを消化するだけでは不十分だとばかりに、未来のことにも心を奪われて、あたら時をすごしているのである」(第1巻第11章「さまざまな予言について」より、79~80ページ)

「自分たちの予言をあれこれ検討したり、注釈を付けたりして、ことが起こると、典拠としてこれを持ち出してくる連中を、いろいろ見てきたが、あれもこれも述べられているのだから、当たりもすれば、はずれもするのは当然の話だ。≪一日中、矢を放っていれば、的に当たらないわけがない≫(キケロ『占いについて』2の59の121)ではないか。たまに、ぴったり当たったといって、それだけでわたしが、彼らを尊敬するようなことなど全然ない。むしろ、いつでもうそをいうというルールでもあれば、彼らの予言には、より確実性があることになる」(第1巻第11章「さまざまな予言について」より、83ページ)

 ルキアノスエピクロス哲学の信奉者として予言そのものの信憑性に疑いを投げたのだったが、モンテーニュもほとんど同じことをしている。別の章に、こんな言葉もあった。

「哲学する連中がどういおうと、それが徳をめぐる場合であっても、われわれの究極の目標は快楽なのだ。彼らにとっては胸がむかつくような、この快楽ということばを、耳ががんがんするほど聞かせてやりたいと思う。このことばが、この上ない喜びと、極度の満足とを意味するとしたら、快楽が、なににもまして、徳に助けられていることに由来するのである。快楽なるものは、がっしりと力強く、たくましくて、雄々しくあればあるほど、それだけ本当に心地よいのだ。したがって、徳を、これまでのように力強さと命名するのではなくて、むしろ、喜びという、もっと好ましく、優しくて、自然な名前を付けてもいいのではないのか」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、122ページ)

 ところで、エピクロスは三百巻の書物を残したそうだ(253ページ)。現代においてはそのすべてが散逸してしまっているだなんて! まさしくペトラルカがキケロに宛てた言葉のとおり、「私には大きな悲しみであり、現代にとっては大きな恥辱、後世にたいしては大きな不正」である(ペトラルカ(近藤恒一訳)『ルネサンス書簡集』岩波文庫、1989年、153ページ)。モンテーニュの時代には、まだ現存していたのだろうか?

 だが、モンテーニュがどれだけエピクロスルクレティウスを引用していようと、それを理由に彼をエピキュリアンと呼ぶことはできないだろう。特定の作家の影響を詮索できなかったのと同様、モンテーニュになにかの枠を当てはめることはできない。そういう肩書きを付けようとすることは、なにもかも矮小化にすぎないのだが、モンテーニュにおいてはとりわけそうだ。彼はたしかにエピクロス哲学を受容してはいるのだろうが、それをすでに自分のものとし、自分の言葉として発しているのである。

「われわれは他人の知識で物知りにはなれるかもしれないが、賢くなるには、自分自身の英知によるしかない」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、234ページ)

「それをどこからいただいたのかなど、思いきって、忘れてしまってかまわないのです。とにかく、それをわがものにしてしまうことです。真理や理性は、万人に共同のものであり、それを最初にいった人のものでも、あとからいった人のものでもないのです。「プラトンによれば」でも、「わたしによれば」でも、同じことなのです。だって、プラトンもわたしも、同じように見て、理解しているのですから」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、262ページ)

 わたしも文章を書くときには他人のものを引用してばかりいるのだが、そこからどんな方向へと向かうべきなのか、とても具体的な例で示してもらった気分だ。何度も何度も引用している文章が、形を変えはじめる瞬間というものがある。そのときそれは自分の言葉になっているのだろう。

「教師は授業の際に、そこに出てくる単語のことだけではなく、その意味や実体についても説明を求めるべきです。また、生徒がどれだけ覚えたかではなく、その生活を証拠として、その成果を判断する必要があります。習ったばかりのことを、さまざまの視点で考えさせて、それと同じくらい多様な主題について適用させることで、生徒がしっかり把握して、自分のものとしているのかを、プラトンの教育方針に即して、子供の進歩の具合を探りながら、確かめていくのです。腹におさめたときと同じ状態で、食べ物を吐き出したとするならば、それは、よく消化できてないことの証拠にほかなりません。消化すべきものとして与えられたものの、形状が変化していないということは、胃がその機能をはたしていないわけです」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、260ページ)

「暗記しておぼえているのは、知っていることにはなりません。それは、もらったものを、記憶のなかに保存してあるにすぎません。正しく知っていることならば、お手本を見なくても、書物に目をやらなくても、自由自在に使いこなせます。もっぱら書物にたよった知識力とは、なんとなさけない知識力であることか! わたしは、書物による知識が装飾となることを願ってはいますが、それを土台にとは思っていないのです」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、263ページ)

「お子さんの勉学への意欲と愛情とをそそること、これがなによりも肝心なのです。さもないと、たくさん書物を背負わされたロバができあがるだけです。それでは、鞭でひっぱたいて、ポケットに学問を詰めこんでいるだけではないですか。しっかりと学問をおこなうには、ただ自分の家に泊めるだけではだめで、学問と結婚しなくてはいけないのであります」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、308ページ)

 この「子供たちの教育について」という章はギュルソン伯爵夫人ディアーヌ・ド・フォワに宛てた手紙で、そのため例外的に「ですます調」で訳されているのだが、ここには子どもや親だけではなく、なにかを学ぼうとする人ならだれもが知っておかなければならない、とても大切なことが書かれているように思える。

「歴史を覚えさせるよりも、それについて判断することを教えるべきなのです。歴史というのは、わたしが思いますに、あらゆる題材のなかでも、われわれの精神というものが、もっとも多様な方法でもって、打ち込める題材なのです。わたしは、ティトゥス・リウィウスのなかに、他人が読みとらなかったことを、それこそ山ほど読みとっています。そしてプルタルコスも、ティトゥス・リウィウスのなかに、わたしが読みとることができたこと以外を、それもたぶん、著者がそこに盛りこんだこと以外を、たくさん読みとったわけなのです。ある人々にとっては、それは純粋に文法の勉強なわけですが、他の人々にとっては、哲学的な分析であり、われわれの本性のうちで、もっとも晦渋な部分へと分け入っていくことにもなるのです」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、271ページ)

「それにしても、われわれの時代には、知性のある人々のあいだでも、いつのまにか哲学が、空しくて、空想的なものの代名詞のようになってしまい、社会的評価においても、実際においても、役立たずの、無価値なものにまでなってしまったことは、まったくもって驚くべきことというしかありません。わたしには、哲学へと通じるまっすぐな道に立ちはだかる、七面倒くさい屁理屈がその原因だと思えてなりません。子供に向かって、哲学を、しかめ面をして、気むずかしそうに眉をひそめた、こわい顔つきの、なんだか近寄りがたいものとして描き出すなど、とんでもないあやまちです。いったいだれが、哲学に、この青白くて、おぞましい、いつわりの顔をした仮面をかぶせてしまったのでしょうか? 本当は、これほど陽気で、元気いっぱいで、楽しくて、茶目っ気たっぷりのとまでいいたくなるようなものはないのです。哲学が説くのは、どれもこれも愉快な、お祭り気分なのです。悲しくて、冷え冷えするような表情をしていたら、それは、そんな場所に哲学は住んでないということにほかなりません」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、278ページ)

 本を読んでいて、これこそ自分が言いたかった言葉だ! とはしゃいでしまうことがあるが、それを言語化できるということは、ぼんやりと頭に思い浮かべているだけのこととはぜんぜん違う。初めてサイードの『知識人とは何か』を読んだときには、そんなことばかり考えてしまった。どうすればここまで言語化できるのだろう、と。モンテーニュはその過程のことを教えてくれている。

「ものごとをきちんと備えているならば、ことばなど、後から余るほどついてきますし、もしもことばがついてきたがらないなら、引きずってでもこさせることでしょう。自分の思っていることが、うまくことばにならないのでという弁解を聞くことがあります。そうした人たちには、頭には、いいことがたくさん詰まっているけれど、能弁でないために、それをうまく表現できないのだというような顔をします。でも、これはごまかしなのです。このことを、わたしがどのように考えているか、おわかりですか? それは影みたいなもので、いくつかの形をなさない観念が寄り集まってきてはいても、自分のなかですっきりと解きほぐせていないために、それを外に表せないのです。つまり、自分のいってることがまだわかっていないのです。彼らが、ことばを産み落とそうとして、やや口ごもっているのを見れば、その苦しみは分娩時のものではなくて、いわば受胎時のものであって、彼らがまだ、その不完全な胎児をなめまわしているだけだとわかるはずです。わたし自身は――これはソクラテスもはっきりいってますが――、精神のなかに生き生きとした、明確な考え方を持っている人間ならば、それこそベルガモ訛りででも、あるいは、口がきけないなら、顔の表情によってでも、それを表出できると信じています」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、293~294ページ)

 ほかにもたくさん、書ききれないほどいろいろなことを想起してくれる文章があった。詩の解釈や韻律に固執する態度への悪口、専門用語を作りあげてなにかを言おうとすることの浅はかさについては、ほかのところでも散々繰り返しているので、ここでは割愛する。

「わたしは、りっぱな脚韻がよい詩を作ると考える人々には賛成できません。もし詩人がしたいというのなら、短い音節を長く伸ばしたって、そんなことはかまわないのです。詩人の創意がおもしろく表れていて、エスプリと判断力がしっかり機能している場合、わたしならば、「りっぱな詩人だけれど、作詞家としてはへぼですね」というでしょう」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、296ページ)

「服装において、なにかしら特別で、珍しい方法で、自分を目立たせようとするのは、小心さの表れなのですが、ことばの場合も、新奇な表現とか、よく知られていない単語などを探しまわるのは、学をひけらかしたい(スコラスチック)という、子供じみた野心のせいなのです。わたしなどは、いっそのこと、パリの中央市場(レ・アル)で使われることばだけで済ませないかと思っています。文法学者のアリストファネスは、エピクロスの用語の単純さと、明晰な言語をめざした、その雄弁術を非難したわけですが、彼はなにもわかっていなかったのです」(第1巻第25章「子供たちの教育について」より、299ページ)

 ちなみに、引用文には必ずもとの章題を付したが、これらの章題がその章の内容を要約しているわけではけっしてない。むしろ章題からは推測すらできない話題がどんどん飛び出してきて、大いに楽しませてくれるというのがモンテーニュの書きかただ。話題はいつも脱線し、戻ってきてはまた脱線する、という右往左往を繰り返している。

「このわたしは、自分をしっかり所有し、使いこなしているとはいえない。そこでは偶然が、わたし以上に権利を有していて、自分だけで、わが精神を探ったり、働かせたりして、そこに見いだすものよりも、むしろ、ふとした機会とか、人々といっしょにいる場合とか、あるいは、声をふるわせたときなどのほうが、精神から多くのものを引き出せるのだ。したがって、わたしの場合、書かれたものよりも、話されたもののほうがましなのだ。まあ、全然価値のないもののあいだでの選択という話ではあるが」(第1巻第10章「口のはやさと口のおそさについて」より、76~77ページ)

「息が続かないので、わたしはどうしても、とぎれとぎれになる。まともに構成したり、展開したりすることが苦手なのだ。ごくありふれたことがらに用いる語彙や表現についても、子供なみの知識しかない。そこで、題材を自分の力に合わせて、いえることだけをいおうと心がけたのだ。もしも、こちらが引っぱられていくような主題を選んだならば、わたしの能力だと、その主題に背きかねないのだから」(第1巻第20章「想像力について」より、168~169ページ)

 謙遜なのかなんなのかよくわからない書きかたをしていても、油断は禁物だ。モンテーニュは終始のびのびと書いているのだが、それによって読者までがだらけにだらけた瞬間に、いきなり、とても味わい深いことを言ったりもするのだ。

「でも、わたしはいくぶん慰められもする。まず第一に、物忘れのひどさという欠点のおかげで、わたしのなかにすぐ首をもたげかねない、野心という欠点を矯正できるではないかと、特別に理屈をつけたりする。なぜなら、世間とのつきあいに首をつっこもうという人が、物覚えが悪ければ、これはもう、どうにもたえがたい欠点ということになるではないか。それにまた、自然のさまざまな営みが物語るように、記憶力が弱くなると、おのずと、それに応じてわたしの他の能力を強化してくれたように思う。記憶力という恵みによって、他人の創意やら意見が、わたしのなかにずっと残っていたら、そのせいで、理性や判断力を、いつもひとさまの足跡の上に寝そべらせることになって、活力を失わせかねないではないか」(第1巻第9章「うそつきについて」より、65ページ)

 モンテーニュという人は、その書いている内容の割には、碩学にして博覧強記の人、というようなイメージが湧かないのだけれど、それはきっと、彼が言葉を紡いでいる地点がかぎりなく読者に近いからなのだろう。それはペトラルカも同じだ。ペトラルカを取りあげたときに書いたのと同じ親密さが、モンテーニュのなかにもある。

「われわれはよく、「あの男はギリシア語とかラテン語を知っているのだろうか? 詩や散文を書いたりするのだろうか?」と、考えたりする。それなのに、「それで、あの男はより優れた、思慮深い人間になったのだろうか?」という本質的な問題は、あとまわしになってしまっているのだ。本来ならば、だれが多く知っているかではなく、だれが、もっともよく知っているかを問うべきだったのである」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、231ページ)

「わたしは、あちらこちらと、さまざまな書物から、気に入った文章をつまみ食いしてくる。でも、それらをしまっておくためではなくて――なぜならば、そんな保管場所はもっていないのだ――、この本に移し替えるためなのだ。そして、本当のところ、それは、最初の場所にあったときと同じことで、相変わらず、わたしのものではない。こんなふうに思うのだ――現在の知識があるからこそ、学識があるといえるのだと。過去の知識でそうなるのではないし、未来の知識でも、そうはなれない」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、231~232ページ)

 けっして学を衒うことなく、わかりやすい言葉で、真摯に学問と向きあっている。「知識人」という言葉が19世紀末に生まれたものであることが残念だ。でも、この姿勢は先に読んだエラスムスやペトラルカにも共通のものではなかったか? 一般化することはもちろんできないが、これもユマニスムの特質、つまりギリシア・ローマの古典に通じることがもたらす成果のひとつとして、数えられるものなのかもしれない。もちろん、わかりにくい言葉を話すスコラ学が敵として君臨していたから、という理由のほうも見逃せないが。

「学問することで、われわれの精神の働きが、改善されず、判断が、より健全にならないというのならば、わたしはむしろ、その生徒はテニスかなんかをして時間をすごしたほうがましだと思う。それならば、せめて肉体だけは、より身軽になれるのだから」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、235ページ)

「知識を精神に結びつけるのではだめで、精神に合体させなければいけないのだ。精神に、知識のシャワーをかけるのではだめで、精神を知識で染め上げないといけない。そして、もしも知識が精神を変えることがなく、その不完全な状態を改善してくれないのなら、どう考えても、知識などはそのまま放置しておいたほうがよほどましなのである。知識というのは、危険な刀剣であって、力が弱く、使い方を知らない者が手にすると、かえって持ち手をさまたげて、傷つけてしまう。≪だから、なにも学ばなかったほうがよかったんだ≫(キケロトゥスクルム荘対談集』2の4の12)ということになる」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、238~239ページ)

 本を読み、いろいろなことを学ぶようになってから、自分が一冊も本を読まない人生を送っていたら、どんなに幸せだっただろうと考えたことがある。学問はまさしく「危険な刀剣」、諸刃の剣なのだ。今はそんなことは考えない。自分は書物からは離れられないし、覚悟を決めたからには、ひたすら「精神を知識で染め上げる」のみだ。

「賢くて、いらいらしているぐらいならば、なんだか気も変だし、無気力だと思われるぐらいのほうが、まだましだ――欠点があっても、それで楽しかったり、せいぜい自分をだましおおせるうちは」(ホラティウス『書簡詩集』2の2の126~128の引用、第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、129ページ)

「学問というのは、たしかに良薬だ。しかし、どんな薬といえども、それを入れる容器が悪ければ、変質や腐敗をこうむらずに保存することは無理なのである。はっきりした視力を持ちながら、まっすぐ見られない人もいる。その結果、善を見ながらも、それにしたがわず、学問を見ながらも、それを使わないことになる」(第1巻第24章「教師ぶることについて」より、240ページ)

 先の「子供たちの教育について」とこの「教師ぶることについて」の章には、とりわけ学問への姿勢に関する記述が多かったのだが、なにやら下ネタだらけの章もあったりする。第20章「想像力について」だ。ここはもう、げらげら笑いながら読んだ。

「そういえば、ヴィトリ=ル=フランソワの町を通ったときに、堅信礼の際にソワソンの司教からジェルマンなる名前をいただいたという男と会ったことがある。22歳の年齢となるまでは、マリーという名前で、当地の住民はだれもが女として見てきたのだ。わたしが会ったときには、ひげもじゃで、年老いて、結婚もしていなかった。「ぽーんと飛び上がろうとして、ぐっとふんばったら、ちんぼこが出てきたんです」と彼はいった。こんなことがあったので、地元の娘たちのあいだでは、マリー・ジェルマンみたいに男になるといけないから、大股広げて飛んだり走ったりしないように気をつけなくちゃという俗謡が歌われている。こうしたできごとがたびたび起こるのは、不思議でもなんでもない」(第1巻第20章「想像力について」より、154~155ページ)

 それから、「習慣について」。ここでは他国・他民族のさまざまな慣習がフランスでのそれと対比され、とてもモンテーニュらしい考察が繰り広げられている。たとえば外国に暮らしたことがある人間は、自国の文化を批判的な目で見ることができる。モンテーニュはその目を、書物を通じて手に入れたのである。

「習慣という、この強烈な偏見と手を切ろうと思う人は、なんの疑いもなしに、迷うことなく受け入れられている多くのことがらが、実は一皮むけば、それを支えるものといえば、白くなった髭と、しわだらけの顔しかないことがわかるであろう。そして、その仮面をはがして、ものごとを真実と理性に照らしてみるならば、彼は自分の判断力が完全にひっくり返されたような感じがするだろうけれど、その結果として、はるかに確実な状態に置かれたような気にもなるだろう」(第1巻第22章「習慣について。容認されている法律を安易に変えないことについて」より、191ページ)

 以下の一節などは、まるでフランス革命とその後の恐怖政治を占っているかのようだ。なんて書くと、キケロを引きながらこてんぱんにされるかもしれないが。

「国家に動揺を与える人は、とかく、最初にその崩壊にまきこまれがちである。騒乱の成果が、それを引き起こした者の手元に残ることはあまりない――彼は、ほかの漁師たちのために、水をたたき、かき回しているにすぎない。この王国という大きな建物の結合と組織は、とりわけその老年を迎えてから、変革によって関節をはずされ、破壊されてしまい、そうした毀損に対して、いくらでも入口や開口部を提供する羽目となっている。国王の尊厳は、山頂から中腹にまでは容易には落ちないものだけれど、中腹から山麓までは一気に落下してしまう」(第1巻第22章「習慣について。容認されている法律を安易に変えないことについて」より、195ページ)

 この本の正しい読みかたは、枕もとに置いて、気の向くままに手に取ることだと思う。二度目に読むときには、今回引かなかったほうの文章が輝いて見えるに違いない。一気呵成に読んでどうこうできる類の書物ではぜんぜんないのだ。

「なにかをくわだてることのうちには、それがめざすものの性質がただよっている。くわだてることが、実現することのかなりの部分を占め、それと同質のものとなっているからにほかならない。燦然と輝く徳の、幸福や至福は、その最初の入口から、最後の関門にいたるまで、その付属の建物や通りのすべてに満ちあふれているのだ」(第1巻第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より、123ページ)

「それぞれのことがらの偶有性や状況から引き出される困難ゆえに、はたしてなにが最適なのかを見きわめて選択することができずに、優柔不断となり、途方に暮れてしまうようなときに、もっとも確実なのは、たとえ、それ以外の考察からは、そうするように導かれなくても、とにかく、名誉と正義が多い側を選ぶことだと思う。そしてまた、どちらが近道か見当がつかないというのなら、いつも、まっすぐな道を選ぶことだ」(第1巻第23章「同じ意図から異なる結果になること」より、213~214ページ)

 一読しただけでなにかまとまった意見表明を許すようなものではない。でも、この本を読んでいるのといないのでは、その後の人生が変わってくるとさえ思える。とりあえず、読みたくなった本のうち何冊か、少なくともプルタルコスの『対比列伝』を読むまでは、再開しないことにした。可能なかぎりゆっくり読み進め、何度も読み返していきたい。

「個人の理性の権限は、その個人にしか及ばないのである」(第1巻第22章「習慣について。容認されている法律を安易に変えないことについて」より、198ページ)

 訳文のことをなにも書いていないのは、これが宮下志朗の翻訳だからだ。わたしにとってはそれだけで、手に取る理由ともなるのである。ところで、この『エセー』の底本は、これまでは軽んじられてきた1595年版だそうだ。訳者による巻末の「『エセー』の底本について」を読むと、この研究者がどうしてラブレーから16世紀の出版事情へと関心の対象を広げていったのかがよくわかって、とても面白い。日本に宮下志朗がいたことを嬉しく思う。

エセー〈1〉

エセー〈1〉

 


<読みたくなった本>
プラトン『国家』

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 
国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

プラトン『饗宴』

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

 

プラトン『テアイテトス』

テアイテトス (岩波文庫 青 601-4)

テアイテトス (岩波文庫 青 601-4)

 

キケロトゥスクルム荘対談集』

キケロー選集〈12〉哲学(5)

キケロー選集〈12〉哲学(5)

 

キケロ『占いについて』

キケロー選集〈11〉哲学IV―神々の本性について 運命について

キケロー選集〈11〉哲学IV―神々の本性について 運命について

 

キケロ『善と悪の究極について』

キケロー選集〈10〉哲学III―善と悪の究極について

キケロー選集〈10〉哲学III―善と悪の究極について

 

セネカ『書簡集』

セネカ 道徳書簡集―倫理の手紙集

セネカ 道徳書簡集―倫理の手紙集

 

ルクレティウス『物の本質について』

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)

 

M. Screech, Montaigne's Annotated Copy of Lucretius
プルタルコス『英雄伝(対比列伝)』

英雄伝〈1〉 (西洋古典叢書)

英雄伝〈1〉 (西洋古典叢書)

 

プルタルコス『モラリア』

モラリア〈1〉 (西洋古典叢書)

モラリア〈1〉 (西洋古典叢書)

 

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

 
ギリシア哲学者列伝〈中〉 (岩波文庫)

ギリシア哲学者列伝〈中〉 (岩波文庫)

 
ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

 

ホラティウス『カルミナ』

ホラティウス全集

ホラティウス全集

 

ユスティス・リプシウス『政治学』
アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜』

Attic Nights, Volume I: Books 1-5 (Loeb Classical Library)

Attic Nights, Volume I: Books 1-5 (Loeb Classical Library)

 

アグリッパ・フォン・ネッテスハイム『オカルト哲学』

Three Books of Occult Philosophy (Llewellyn's Sourcebook)

Three Books of Occult Philosophy (Llewellyn's Sourcebook)

 

リュサンジュ『国家の誕生、持続、崩壊について』
ダンテ『神曲

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

 
神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

 
神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

 

アリオスト『狂えるオルランド』

狂えるオルランド

狂えるオルランド

 

ノエル・デュ・ファイユ『ユートラペル物語』

Les Baliverneries Et Les Contes D'eutrapel

Les Baliverneries Et Les Contes D'eutrapel

 

ロベール・オーロットモンテーニュとエセー』

モンテーニュとエセー (文庫クセジュ)

モンテーニュとエセー (文庫クセジュ)