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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ヴェネツィア

 アンリ・ド・レニエ『水都幻談』の影響で猛烈に読みたくなった、ヴェネツィアを題材にした文学作品。この本の存在はずっと以前から知っていて、購入したのもいつだったか思い出せないほど昔のことなのだが、きっかけを見つけられないまま、結局ずっと本棚で眠らせつづけていた。

ヴェネツィア―水の迷宮の夢

ヴェネツィア―水の迷宮の夢

 

ヨシフ・ブロツキー(金関寿夫訳)『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』集英社、1996年。


 ナボコフのように、と書けばわかりやすいと思うが、ブロツキーはアメリカに亡命し、英語で作品を書いたロシア(旧ソ連)の作家である。ちなみに1987年にノーベル文学賞受賞。おそらくそのためだろう、この本は、ブックオフのような新古書店で異常によく見かける。ブックオフの海外文学単行本のコーナーには「どうしてこれが、こんなにたくさん?」という奇妙な常連たちが何人かいて、ブロツキーはその代表格なのだ。ほかにすぐさま思い浮かぶのは、『浴室』『ためらい』で知られるジャン=フィリップ・トゥーサン野崎歓はなぜあれほどトゥーサンを訳しつづけたのだろう?)。ところが、個人的な印象としては、ブロツキーもトゥーサンも、かなり読者を選ぶ作家だ。とりわけブロツキーは、新古書店の客層とはまったく合わない確信がある。

 これは小説でありエッセイでもあり、散文詩にして、さらには旅行ガイドとも読める、要するに、変な作品なのだ。しかもわたしはどういう巡り合わせか、これとまったく同じタイプの奇怪な本を、以前にも読んだことがあった。そう、あのエステルハージ・ペーテルに似ているのだ。『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』を、読みながら何度も思い出した。読んだ当初は「変なの」と感じただけだったが(過去の記事を見ても、星がたったの三つしか付いていない!※)、いま思うと、あれは強烈な本だった。わたしは相手が読書家の友人でも、あの本はなかなか薦めることができない。「おもしろくない」と言われる可能性があまりにも高い、というか、おそらくそれがふつうの反応だからだ。それでいて、あれはわたしにとっては確実に「おもしろい」本なのだ。ブロツキーも、まったく同様である。さきに「読者を選ぶ」と書いたのは、なにも読書に慣れているかどうか、というだけの問題ではない。それはもっと本質的な、おそらく感受性や性格に関することなのだ。
※追記(2014年12月20日):移転に伴い、星五つに修正済みです。

「はるかに遠い昔のこと、1ドルは870リラで、ぼくは32歳だった。そのころ地球は、20億人ぶんだけ今よりは身軽だった」(7ページ)

 ブロツキーはこんなふうに、物語(?)をはじめる。とてもいい書き出しだと思った。まず、「書き出しでインパクトを与えてやろう」という、作家の職業病のような野心をまったく感じさせない。野心的でない、というのも、エステルハージ・ペーテルと共通している(彼は大貴族の家柄の出なので、金や野心を気にかけたことがない)。もっと有名なひとを挙げれば、『不穏の書、断章』フェルナンド・ペソアもそうだ。ヘミングウェイ『移動祝祭日』に、こんな一節がある。「いまの時代にいちばん欠けているのは、野心をまったく持たない書き手と、本当に素晴らしい、埋もれたままの詩だと思うんだ。もちろん、どうやって暮らしていくかという問題もあるけどさ」。ヨシフ・ブロツキーエステルハージ・ペーテルフェルナンド・ペソアは、まさしく「いまの時代にいちばん欠けている」ものを、少なからず体現しているだろう。ブロツキーの比喩には、何度も息を呑んだ。先回りして、いくつか引用してみる。

「がらんどうの部屋が幾つもつづいていた。理屈ではこれと平行して並んでいるあのギャラリーより長いはずはなかった。でも長かった。しかも普通平面を歩いている感じというよりは、そこでは光学の原理など通用しない世界、なにか横倒しになったらせん階段の中を、進んでいるかのようだった」(56ページ)

「われわれの世界では、もし天使の翼がほしければ、空軍に入るくらいしか手はない」(87ページ)

「ぼくらは、潟(ラグーナ)に辷るように入りこみ、死者の島、サン・ミケーレ島に向かっていた。月はとてつもなく高い所にあり、それはまるで五線譜の上につけ足した雲の加線に書かれてある、頭がくらくらするほど鋭いシの音のようで、下界の水面の頁になんとか載って映っているという感じだった」(130~131ページ)

 この作家は、なにを書いても詩になってしまうような詩人だ。ところが小説を構成するための論理の力も、議論の余地はあるとはいえ、どうにかこうにか持っている。冒頭にある若き日々の回想も、詩心と論理性を同時に感じさせる、すばらしいものだった。

「その時にぼくが心に描いていたイタリアは、50年代の白黒映画と、また同じようにモノクロームであるぼくの創作方法とが混ざりあったようなところだった」(8ページ)

「そのころのぼくらは、外見(スタイル)と内面、美と知性とは、切りはなせないものだと考えていた。ぼくらは結局のところ、ただ本ばかり読んでいる頭でっかちだった。しかしある年頃には、もしきみが文学を信奉していたなら、まわりのものもみんながきみと同じ意見や趣味をもつか、あるいはもつべきだと考えがちなのだ。だから、もしエレガントに見える人がいたなら、もうそれだけでその人物はわが党の士だと思ってしまう。外の世界を知らなかったし、特に西のことに無知だったから、スタイルが十把ひとからげに買いこむことのできて、美が単に商品になりうるなんてことには、そのころはまだとんと気づいていなかったのだ」(15ページ)

 ちなみに、ここで語られている「モノクロームであるぼくの創作方法」の一端が、レニエの影響下にあるということも告白されている。

「1966年のいつだったろう? ぼくが26の年のことだ。ある友達が、フランスの作家アンリ・ド・レニエの中編小説を三冊、貸してくれたことがあった。あの素晴らしい詩人ミハイル・クズミンによるロシア語訳だった。そのときぼくがレニエについて知っていたことといえば、彼が高踏派(パルナシアン)最後の世代に属する一人で、いい詩人だが、読む者の魂を震撼さすほどでもないということぐらいだった」(40ページ)

 そのうちの一冊が、冬のヴェネツィアを舞台にしていたものだった、というのだ。タイトルはうろ覚えらしく、ここでは「勝手に『田園娯楽小説』と呼ぶことに」されている。そしてブロツキーは、その作品の形式、すなわち「章だてが短く、つまり小説がせいぜい一頁か一頁半の章の連続からなっていた」ことが、迷宮としてのヴェネツィアの雰囲気とぴったり合致していると感じたのである。

「たまたまぼくが自分の感性が最も鋭い時機に、この小説に遭遇して、それから受けた一番大事なことと言えば、それが文章を作るうえで一番大事な教えを与えてくれた、ということである。つまり、物語がおもしろくなるのかどうかは、内容そのものではなくて、どのように話がつながっていくかにかかっている、ということをそれは教えてくれたのだ」(42ページ)

 もちろん、レニエの作品に『田園娯楽小説』などというタイトルの中篇小説は存在しない。調べてみたところ、どうも『L'Entrevue(対面、会見、会談などの意)』という作品らしい。たいへん気になるのだが、もちろん翻訳されたことはなく、残念ながら本国フランスでも絶版状態だった。

 古来から、ヴェネツィアの魅力に取り憑かれた作家は数多い。レニエはもちろんのこと、トーマス・マンゲーテモンテスキューなど、ほかにもたくさんの作家の名前が挙がっていた。

「一年前に死んでしまった、あのレニエをくれた友達が、密輸品のため白黒だったが、ダーク・ボガード主演のヴィスコンティの『ヴェニスに死す』の、なかば私的な試写会に連れて行ってくれたことがあった。残念ながら映画自体はたいしたことはなかった。第一、ぼくはあの小説そのものも、あまり好きではなかったのだ。それでもなお、あのオープニング・シーン、ボガード氏が蒸気船の上のデッキチェアーに深ぶかとこしかけているシーンを見ながら、クレジットが流れているのも忘れて、ああぼくはどうして彼のように死に至る病でないのだろう、とうらめしく思ったものだ。そしていまでも、その時の無念さを、鮮かに思い出すことができる」(44ページ)

ゲーテはこの町のことを「ビーバー共和国」と呼んでいた。しかしおそらくモンテスキューの「魚だけのすむ場所」のほうがもっとぴったりとくる」(108ページ)

 ところどころに、文学と関連の深い比喩や描写が見られるのも楽しい。とりわけ多いのは、ダンテの『神曲』や、ギリシア神話のモチーフだ。

「ぼくらはアカデミアの桟橋で降りた。再びかたい地面へ、そしてそれにふさわしい道徳律がはびこるところへ。それからしばらくの間狭い路地から路地をぬけて、ひっそりと建っているペンシオーネのロビーにあずけられ、頬っぺたに彼女のキスを受けた――勇ましいヒーローというよりも怪物ミノタウロスになったような気分だった。そしておやすみと言って、ぼくのアリアドネは消えてしまった。高価な香水(シャリマーだったのかな)の糸を引くような香りを後に残して――しかしすぐにそれもどこかへ消えた」(20ページ)

 フランス語には「fil d'Ariane(アリアドネの糸)」という慣用句がある。「困難解決への手がかり」という意味だ。この表現とその由来を知る者にとって、上に挙げたものほど魅力的な比喩もないだろう。

「彼の後について入った所は図書室と、17世紀紳士(ジェントルマン)の書斎を混ぜ合わせたような所だった。洋服戸棚くらいの大きさの赤い木の本箱には、針金が十字に渡してあって、その奥の背表紙から判断すると、紳士の生きた時代は16世紀の可能性もあった。イソップからゼノンまで、AからZに順番に並べた上質皮革の表紙の、白くて分厚い本の数は60冊。紳士にはちょうどいい分量だった。これ以上本を持つと、人は思想家になってしまい、折角の紳士的な振る舞いや、その財産に、あまりぞっとしない結果をもたらすことになるかもしれないからだ」(55~56ページ)

「ある事物の、頭がライオンで体がイルカであれば、それはもう立派な怪獣だ。イルカはその体をまるめ、ライオンは牙をきしらせる。それは門の飾りであったり、これといった目的もなしに、ただ壁から飛び出ていたりする。何の目的もないということで、かえってその存在が余計に心に残る。ある種の仕事をしていると、そしてある年頃には、無目的ということ以上に心惹かれることはない。性(ジェンダー)はいうまでもなく、二つかそれ以上の特徴や属性の混交ということについても、同じことが言える。結局、これら悪夢から生まれたような生き物たち――ガーゴイルバシリスク、乳房のあるスフィンクス、羽根の生えたライオン、ケルベロスミノタウロスケンタウロス、キマイラ――すべて神話世界の生き物ばかりだが(もちろんこうした神話は、古典シュルレアリスムとしての地位を与えられて、しかるべきである)、それらは、種の進化の、遺伝的な記憶を象徴して言う意味で、ぼくらの自画像なのだ。水から湧き出てきたこの町が、そんな怪物たちでいっぱいなのも別に不思議はない」(85ページ)

 ヴェネツィアアドリア海の女王、水の都である。そして、ブロツキーの『ヴェネツィア』ほど、水について多くを語った本を、わたしは知らない。ちなみにこの本の原題は『Watermark』である。日本語の副題にも「水の迷宮の夢」とあるとおり、水というものが、この作品の本筋(そんなものがあるとすれば)を辿るうえで、かなり大きな部分を占めているのだ。

「水は人の水平感覚を狂わせる。特に夜、その表面が舗装された道路のように滑らかに見える時だ。足の下のデッキがどれほど堅い材質でできていようと、水の上では陸にいるときよりも感覚が鋭くなる。体の器官すべてが平衡を保つために集中した状態となるからだろうか。水の上にいると、町を歩いている時のように、ぼんやり放心するようなこともない。まるで体全体がコンパスになったかのように、脚が体と感覚とをいつもチェックしている。水の上では、おそらくはるかかなた、めぐりめぐって届いて来る脊索動物だったころの記憶のこだまのようなものが、意識を研ぎ澄ますのにちがいない」(19ページ)

「もしもぼくが本筋からはずれるとすれば、それはこの町では当然至極のことで、それすなわち水と共鳴しているのである。そして、言いかえるならば、これから書くことは、けっきょく物語なんていうものではなく、「間違った季節の」にごった水の流れみたいなものになるかもしれない。時にそれは青く見え、時に灰色にも茶色にも見える。しかし常に冷たいし、とても飲めた代物ではない。どうしてぼくがそんな水を一生懸命濾過しようとしているのか。つまりそこには、いろいろなものが写っているからだ。ぼく自身の姿も含めて」(25ページ)

 わたしも夜のヴェネツィアを歩いてみたことがある。道路と運河の境がなくなる、というのは、ほんとうにそうなのだ。黒がすべてを呑みこみ、次の一歩を踏み出す勇気を奪い去ってしまう。繁華街をすこし離れたところを歩いていたため、ほんとうにおそろしかった。しかも迷う。

「冬の夜には、海は東からの逆風のせいで水嵩が増える。運河はすべて風呂桶のように縁まで水を満たし、時には溢れたりする。しかし誰も階下から「水道管!」などといって叫びながら駆け上がってくることはない。だって階下なんてないのだから。町全体がくるぶしまで水に浸かっている。そしてボートは、カッシオドルスの言葉を借りると「動物のように壁につながれ」、はね上る。巡礼者、つまり旅行者の靴は、水をいっぱい吸いこんでしめってしまい、ホテルの部屋のラジエーターの上で、乾燥中。土地の人は、クローゼットの奥に入り、(しまいこんである)ゴムのオーバーシューズを捜し出す。ラジオから「高潮(アックア・アルタ)」というアナウンサーの声が流れると、人通りは途絶え、通りは空っぽになる。店も、バーもレストランも軽食堂(トラットリーア)もみな閉まってしまう。ネオンサインだけが、灯りつづけて、舗装道路がちょっと見には、運河と見分けがつかないようになると、それはもうただのナルシスチックな行為となる」(96ページ)

「十字軍の兵士を、商人を、聖マルコの遺骸を、トルコ人たちを、あらゆる種類の商船を、軍艦を、観光船を運んだのは、この水なのだ。そう、この水は、この町に住んでいた人々、滞在した人は言うに及ばず、今きみがしているように、この町の通りを往き来したり、やっとのことで通り抜けたりしながら歩いたことのある人のすべてを、その水面に映してきたのだ。その表面が昼間は泥っぽい緑色で、夜は空に負けじとばかり漆黒となるのは、無理もないことかもしれない。それは奇跡のようなものだ、千年もの間、人を喜ばせもおこらせもしてきたのに、穴があかないこと。そしてきみの喉をうるおすことはないだろうが、今も変わらぬH2Oだということ、しかもそれが増えつづけていること」(100ページ) 

 レニエの影響を直接感じた部分もあった。『水都幻談』のなかにあった、「われの好む時刻なり。部屋のうちはおほかた暮れゆけど、戸外はなほ昼にして、糸杉の大樹は、そが黒ずめる梢を明るき空高く浮き出せり」という文章が、さりげなく援用されているように思えたのだ。たぶん深読みのしすぎだろうけれど、以下の一節がそれだ。

「夕暮れになると、どんな町でも美しく見えるものだ。しかし、なかには、他所と比べてとり分け美しくなる町がある。すなわち、浮彫りはよりしなやかに、円柱はいっそう円みを帯び、柱頭はもっと身をくねらせ、蛇腹はさらにしっかり屋根を支え、尖塔はますます決然と聳えたち、壁龕はいっそう深みを帯び、使徒の服はさらに優雅に流れ、天使たちはさらに軽やかに宙に浮かぶのだ。通りはすでに闇につつまれていても、河岸(フォンダメンタ)はまだ日中。巨大な水の鏡には、「まるでばらまかれた古靴のような」モーターボート、水上バス(ヴァポレット)、ゴンドラ、遊覧用小舟(ディンギー)、荷船(はしけ)などが、水に映ったバロックやゴシックのファサードを飽きずにふみつけている。きみの姿や水に映る雲もその例外ではない」(83ページ)

 もちろん、水以外のことが語られる場面でも、ブロツキーの描写は非常に美しい。テーマは関係ないのだ。この人の作品をもっと読んでみたいと思う。

「今まではずっと訳の分かった不気味さだったが、ここにきて、なぜだか訳の分からない不気味な雰囲気に包まれてきた。館の主人とぼくの連れは、いくらかおくれて後ろのほうにいた。ぼくは一人きりだった。あたりは埃だらけ、目に入るすべてのものの色や形が、埃のグレーに柔らげられて落ち着いて見えた。大理石のはめこんであるテーブル、磁器の小像、ソファー、椅子、寄木の床までも。すべてのものに埃が積もっていた。しかし、小像や胸像などにとっては、かえってそれが効果をあげていた。妙に顔形や襞が強調されて、それらをグループとして、生き生きと見せていた。しかしたいていの場合、埃の層は厚ぼったくて堅かった。その上、一種の完結性の雰囲気を持っていて、まるでもうこれ以上新しい埃は受け付けませんよと宣言しているようだった。思うに、平面というのは、常に埃を待ち望んでいる。それは埃が「時の肉」だからである。ある詩人も言っているように、埃は時の肉であり、血であるからだ。しかしここでは、その待望の熱もすでに冷えてしまっているかに見えた。埃は事物自身の内に向かって侵食を始め、それらと融合し、最後には入れ替わってしまおうと目論んでいるかに、ぼくには思えた。もちろん、事物の材質にもよった。中には極めて耐久性の高い事物もあるのだ。それらは分解さえしない。ただ少し灰色がかってくるくらいのものだ。時は自分の好きな事物の形をとることに、全く異論はないのだから。その中で時が事物を追い越しながらずっと進んできたこれら一つながりの真空の部屋で、それはすでに起こっていたことだったのだ」(59~60ページ)

「たぶんこの町のレンガへの感傷には、ぼくの歪んだスノビズムも影響していると思う。剥げた漆喰塗装のかさぶたのおかげで見えてきた真っ赤な筋肉にも近い野卑な赤。そう、卵みたいだな。ぼくはしょっちゅう想像するのだが――朝食を自分でつくっている時などとくに――未知の文明が、缶詰を有機質で作ることを思いついているんじゃないか。レンガとレンガ積みを肉で、生でない、しかし緋色の、同じ大きさの細胞でつくることを思いついてるのではないだろうか、と。もしそれが壁や煙突になるならば、ちがう種のごく普通の姿の自画像というわけになるだろう。結局のところ全能の神のように、ぼくらはすべてのものを自分自身のイメージで作りあげる。もっと他に信頼できるお手本がないからだ。ぼくらが作り上げる物は、ぼくたちの告白よりも自分自身についてもっと多くを語っている」(64ページ)

 ところどころに差し挟まれる辛辣なユーモアも、大きな魅力だ。本筋からの脱線を繰り返すことや、無意味に、しかも飛び抜けてユーモラスなことなども、ほんとうにエステルハージ・ペーテルによく似ている。

「別の人生を送ろうとすれば、まず古いほうの人生を畳んでしまわなければならない。それも手際よくやる必要がある。しかしそんな仕事を満足いくように、やりおおせることのできる人間はそうざらにはいないのだ。しかし、ほんの時たま配偶者が行方をくらましてくれたり、政治組織のおかげなどでうまくいくこともある」(67ページ)

「多分芸術というのは、単に感覚器官の記憶能力の限界に挑戦する、感覚器官の反作用にすぎないのかもしれない。とにかく、きみはその命令にしたがってカメラを掴む。なにしろそいつは、脳細胞と瞳の能力を補ってくれるすげえやつなのだ。もしもこの町が金に困ったなら、真っすぐにコダック社に乗り込んでいき、援助を求めることだ。それともフィルムにうんと税金をかけるかだ。その上、この町が存在するかぎり、そしてこの町に冬の光がふり注ぐかぎり、投資するには、コダック株が一番であろう」(82~83ページ)

 大別するのなら、これはブラックユーモアと呼ばれるのだろう。一部のチェコの作家が得意とするような、自分の陥った悲劇的状況を無理やり笑い飛ばすような哄笑。ソ連で一年半の強制労働をさせられて、国外追放された挙げ句に、「政治組織のおかげでうまくいく」と書けることの強さ。

「ぼくのような仕事をしていると――、これはロマン派以来の考えかたかもしれないが――なにか災厄がやってくると、その真犯人は「運命の力フォルツァ・デル・デスティーノ)」などではなくて、それはいつも人間が犯す過ちではないか、と思ってしまうのだ。(保険会社に勤める連中は、この二つを別物として考えられるらしいが、それこそまことに、人間想像力の偉業だと言えよう)」(102ページ)

「その日は暖かくて天気も良く、空は青くてすべてが素晴らしかった。フォンダメンテとサン・ミケーレ島に背をむけて、病院の壁をまるで抱きかかえるように、左肩をほとんど壁にこすりつけながら、太陽に向かって目を細めた。その時だ。突然ぼくは思った。ぼくは猫なんだ。今、魚を食ったばかりの猫。その時誰かがぼくに呼びかけたら、きっとぼくはニャーと返事したことだろう。ぼくは絶対的に、動物的な幸せを満喫していた。それから12時間後、もちろんニューヨークに着いた後のことだが、ぼくは自分の人生でおそらく最悪の状況に対面した――少なくともその時はそう思えた。でもぼくの中には、猫がまだ居残っていた。その時その猫がいなかったら、ぼくは今、どこかべらぼうに金のかかる精神病院の壁を、よじ登っていたにちがいない」(106ページ)

 サン・ミケーレ島は墓場しかない死者たちの島であり、今ではヨシフ・ブロツキーもここに眠っている。ちなみにこの島、正装をしていないと、上陸すらさせてもらえないのだ。すぐ近くにはエズラ・パウンドとオルガ・ラッジの墓もあった。わたしが行ったときには、ブロツキーの墓の手前に、一個のパナマ帽が供えられていた。まだ見るからに新しい、たくさんの花とともに。

「もし夜中に仕事をするのならば、パルテノン神殿の柱くらいたくさんの蝋燭に、火を灯すことだ。といって雰囲気を出すためでも、照明のためでもない。これなら暖かかろうと思いこむためである」(120ページ)

ヴェネツィアに住んでいる人が決してやらないことが一つある。ゴンドラに乗ることだ。まず料金が高いということがある。外国人旅行者たち、とくに金持ちしか、その料金は払えない。ゴンドラに乗っている人たちの平均年齢が高いのも納得できるだろう。70代の人なら、教師の月給10分の1の金額を平気で支払えるだろうからだ。老衰のロメオと、よろつくジュリエットの光景を見ると、ぞっとまではしないけれど、いつも悲しくなり、思わず目をそらす。若い人々、つまりこういう光景に似つかわしいような人々にとって、ゴンドラは、五つ星のホテルと同じくらい手の届かないものなのだ。経済というのは、いうまでもなく、人口の統計を反映するものである。しかし、それでも二重に悲しいではないか。美は世界を変えることができず、ただの報酬に成り下がってしまうなんて」(128~129ページ)

 肝心なことを忘れていた。ブロツキーが行くのは冬のヴェネツィアである。彼は17年ものあいだ、ほぼ毎年のように、冬のヴェネツィアを訪れていたというのだ。勤めていた大学の冬休みを利用して、とのことだが、もちろん理由はそれだけではない。彼は「銃口をつきつけられても」、この町を夏に訪ねるつもりはないとまで書いている(28ページ)。

「冬という抽象的な季節にこそ、人生はその真の姿を現わすとぼくには思えるのだ。場所がアドリア海でもそれは同じ。冬はすべてのものをきびしくてありのままに見せるからだ。あるいはこれは寒いときほど商売繁盛するヴェネツィアのブティックの宣伝文句と考えてみてもいい。というのも、一つにはもちろん時々脱皮して、新しい殻を着たいという動物的衝動もあるけれど、冬には単に保温のためだけにも、服をたくさん着込む必要があるからだ。それでもなおどんな旅行者も、かならず替えのセーター、ジャケットやスカート、シャツ、スラックス、ブラウスを携えてこの町にやってくる。ヴェネツィアとは、旅行者も町の者も、初めから自分達が見せ物になるということを心得ているような町なのだ」(29ページ)

 水と同じくらい頻繁に言及されているのが、目である。すでに挙げたたくさんの引用からも明らかなとおり、視界や視覚が、ここではきわめて重要なのだ。

「目が最初にとらえる物事の表面というものは、しばしばその内面よりも多くを語っていることがあるのだ」(25ページ)

「何に目を留めるかによってその人の人格が決まってくる」(34ページ)

 水と目、それから涙。これらがヴェネツィアという町とめまぐるしく絡み合って、作品の全体を支配している。この作品の本筋を挙げるとすれば、それはきっとここから取り出されるべきなのだろう。だが、ブロツキーを読むのに、つまらない解釈は無用だ。

「この世が存続するかぎり、この町は目に愛され続けることだろう。この町を一度見てしまうと、他のなにを見ても、もの足らなくなる」(113ページ)

 最後に、訳文について。この本の訳文については、とても語りにくい。「良くない」と言い切ることはできず、かといって「名訳」と手放しに賞讃することもできないのだ。ところどころ、驚くほど美しい日本語が飛び出してくる。その反面、句読点の打ち方がおかしかったり、言葉を費やしすぎて必要以上に複雑になっている文章が多かったりもする。なんというか、ひどく荒削りなのだ。つまり、この訳文からは、まるで彫琢の痕跡が見られない。訳者であれ編集者であれ、しっかりと原稿を読みなおしたのだろうか、と訝ってしまう。訳者の日本語感覚は、悪くないどころか、かなりいい。それでも、まだ他者に見せられる段階ではない草稿を読んでいるような不安定さがある。いったいどうしてこんなことが起こるのか、正直よくわからない。

 これほど魅力的な作品なのだから、いつかほかの訳者が、新しい選択肢をつくってもいいと思った。エステルハージ・ペーテルの隣が、本棚での定位置になるだろう。気の向くままに読み返したい。ブロツキーのほかの作品にも、たいへん興味が湧いた。

ヴェネツィア―水の迷宮の夢

ヴェネツィア―水の迷宮の夢

 


<読みたくなった本>
ブロツキー『私人』

私人―ノーベル賞受賞講演

私人―ノーベル賞受賞講演

 

ウンベルト・サバ詩集』

ウンベルト・サバ詩集

ウンベルト・サバ詩集

 

Henri de Regnier, L'entrevue
イタロ・ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』

ゲーテ『イタリア紀行』

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

 
イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

 
イタリア紀行 下 (岩波文庫 赤 406-1)

イタリア紀行 下 (岩波文庫 赤 406-1)

 

ユルスナール『ピラネージの黒い脳髄』

ピラネージの黒い脳髄 (白水社アートコレクション)

ピラネージの黒い脳髄 (白水社アートコレクション)

 

スーザン・ソンタグ『反解釈』

反解釈 (ちくま学芸文庫)

反解釈 (ちくま学芸文庫)

 

コクトー『オルフェ』

オルフェ (1976年)

オルフェ (1976年)