零度のエクリチュール
感動した。わたしはいま、猛烈に感動している。過去に二度挑戦し、二度とも読破を諦めた本を、おおいに楽しみながら読むことができたからだ。自分が成長した部分も少なくないのかもしれないが、いまならこう断言できる。それはむしろ忍耐力と内容への関心の欠如、そして翻訳と、さらには翻訳以前の原テクストの基本性格に対する無知に由来した挫折だったのだ、と。
ロラン・バルト(石川美子訳)『零度のエクリチュール 新版』みすず書房、2008年。
日本で大学生をしていたころ、初めてこの本を手に取ったとき(それはちくま文庫版の『エクリチュールの零度』だったが)、わたしはなにからなにまでまちがっていた。バルトを読むためにバルトを読んでいたのだ。つまり、当時のわたしにとって重要だったのは内容ではなく、バルトを読む、という一点のみだったのである。たとえば受験生だったころに、こんな同級生がいた。「早稲田大学に行きたい。早稲田だったら学部はなんでもいい」。おかしな考えかたである。だが、これとまったく同様の倒錯とともに、わたしはバルトを読もうとしていたのだ。ひとことで表せば、それはよくある衒学趣味だったのである。
この『零度のエクリチュール』は、そのような衒学的な姿勢を徹底的に拒む本だ。重要なのは「エクリチュール」という言葉の定義ではない。この概念を導入することによって、どんなにたくさんのことが言い表せるようになるかが重要なのである。定義、それは単なる前提であって、目標とすべきものではぜんぜんないのだ。
そうは言っても、この最初の段階で、読者は大いなる混乱と立ち向かわざるをえなくなるだろう。じっさい、読みはじめてしばらくは、一文字たりとも気を抜けない状態がつづく。二度、三度と読んでも、ひとつの段落をまるまる理解できなかったりもする。たいせつなのは、三つの概念を知ることだ。つまり、「言語」と「文体」と「エクリチュール」である。
「バルトによると、言語とはその時代のあらゆる作家に共通した規則や慣習の総体であり、文体とはひとりの作家の身体や過去から生まれた語り口や修辞である。人間の身体にたとえるならば、言語は人間の身体の一般的な特徴であり、文体はひとりの身体の個別的な特徴のようなものであって、どちらも自由にえらぶことはできない。しかしエクリチュールだけは衣服のように自由に(時代と社会とによって制限されるものの)えらびとることができる。エクリチュールとは、作家みずからが責任をもってえらびとる表現形式であり言葉づかいなのである」(「解説」より、122ページ)
バルトはまず、「言語(ラング、langue)」と「文体(スティル、style)」について、以下のように語っている。
「作家は、言語からは文字どおり何も引き出しはしない。作家にとっては言語とはむしろ境界線のようなものであり、それを越えると自然さに欠ける言葉づかいになってしまうだろう。言語とは活動できる範囲であり、可能なことを規定し、期待させるものである。社会参加の場ではなく、選択の余地のない反射運動にすぎない。作家だけでなく、あらゆる人びとの共有物である。言語は「文芸」に特有の慣習の外側にとどまりつづけて、選択ではなく規定することによって社会的な対象となっている。言語の不透明性のなかに作家としての自由を何のてらいもなく入りこませることなど、だれにもできない」(「エクリチュールとは何か」より、17~18ページ)
「文体とは、作家の「物」であり、栄光であり、牢獄である。孤独である。文体は社会に関心がなく、社会にたいして何かを包み隠しはしない。個人の閉ざされた歩みであって、「文学」についての選択や熟考の所産とはまったくちがっている。文学の慣習の私的な部分であり、作家の神話的な内奥から伸びあがって、作家の責任のおよばないところへと広がってゆく」(「エクリチュールとは何か」より、19ページ)
これらふたつの概念は、作家がなにかを書こうとするとき、絶対の法則として機能している。これらは必然なのだ。そこに、選択の余地があるものとして登場するのが、「エクリチュール(écriture)」である。
「言語の水平性と文体の垂直性は、作家にとってのひとつの自然をあらわしている。なぜなら作家はどちらも選びとりはしないからである。言語のほうは可能性をまず制限するという否定性として機能するし、文体のほうは作家の気質を言葉に結びつける「必然」となっている」(「エクリチュールとは何か」より、21ページ)
「言語と文体とのあいだには、もうひとつの形式的実体が存在する余地がある。エクリチュールである。どのような文学形式においても、ひとつの調子――エートスと言ってもよい――の全面的な選択がなされており、まさにその選択において作家ははっきりと自分の個性をあらわす」(「エクリチュールとは何か」より、21ページ)
エクリチュールに関しては、さきに具体例を挙げてしまったほうが、よっぽどわかりやすいと思う。写実主義文学のエクリチュールについて、バルトはこう語っている。
「「タイプをたたく」とか、「どくどく打つ」(血についての表現)、「はじめて幸せだと感じる」などは現実にもちいる言葉であって、写実主義の言葉ではない。だから「文学」であるためには、ライノタイプ機を「ピアノのようにたたく」とか、「動脈が鼓動する」とか、「彼は人生ではじめての幸福な瞬間を抱きしめた」などと書かねばならない」(「エクリチュールと革命」より、87ページ)
とはいえ、それでもこれらの装飾的な表現は、一般的には「文体」として解釈されるものだろう。それが非常にややこしい。バルトが語る「文体」と「エクリチュール」がどのように区別されているのかを、明確に言い表すことができないのだ。
「言語と文体は絶対的な力であるが、エクリチュールは歴史との連帯行為である。言語と文体は対象であるが、エクリチュールは機能である。すなわち、創造と社会とのあいだの関係であり、社会的な目的によって変化した文学言語である。人間としての意図によってとらえられ、そうして「歴史」の大いなる危機に結びつけられた形式である」(「エクリチュールとは何か」より、22ページ)
「エクリチュールは文学の問題提起の中心に位置しており、その問題提起はエクリチュールとともにしか始まらない。それゆえエクリチュールとは本質的に形式の倫理なのである。社会的な場を選択することであり、作家はその場のなかに自分の言葉の「自然」を位置づけようと決意する」(「エクリチュールとは何か」より、23ページ)
日本語の「文体」という言葉は、じつに多くのことを含んでいる。バルトの「文体」は、日本語の「文体」よりも限定された意味しか持たないと考えたほうが単純だ。同時に、日本語の「文体」から削ぎ落とされた多くの意味が、バルトの「エクリチュール」のなかに入っていると言うこともできるだろう。とはいえ、これも恣意的な図式化にすぎない。バルトの「エクリチュール」と「文体」との区別は、ひどくあやふやなのである。
「47年には「文体」との明確な区別がなかった「エクリチュール」は、53年には「文体」とは異なるものとして定義され、70年代になると螺旋を描くように「文体」の近くへもどってきたということである。その後も、彼は「エクリチュール」の意味を自在にひろげてゆく。書く行為、書くことそのもの、書きかた、書かれたもの、といった単純な意味でもちいることもあった」(「解説」より、123ページ)
この『零度のエクリチュール』は、1947年に新聞に掲載されたバルトのデビュー作、論文「零度のエクリチュール」(同名なのがまたややこしい)と、1950年以降に書かれたいくつもの論文を合わせ、それらの内容をもとに1953年に再構成され、刊行された一冊である。この7年のあいだに、バルトが語る「エクリチュール」の意味は大きく揺らいでいたのだ。そして雑誌掲載時には「文体」と呼ばれていたものが「エクリチュール」と置きかえられたり、「文体」について語っていた箇所がまるまる削除されたりしている。これらのテクストの異同については「解説」に、ちょっと尋常じゃないほどの熱意と執拗さをもって詳しく書かれている。訳者はほかのだれにも真似ができないほど原テクストを仔細に点検していて、そしてその成果が、信じがたいほど多くのものをもたらしてくれているのだ。これはただの新訳ではなく、とんでもない労作であり、すばらしい仕事である。
最初に書いたとおり、重要なのは「エクリチュール」という語の定義ではない。それはけっして完全な厳密さをもって為されることはないのだ。われわれは「言葉づかい」であるとか「語の選択」という、もやもやとした訳語を浮かべながら、前へ進まざるをえない。バルトだって混乱しているのだ。そしてこの混乱を共有することで、『零度のエクリチュール』は、まるで冒険小説のようになる。
エクリチュールは、それをもちいる人びとの状況を明示するものだ。なにせ「選択の余地がある」のだから、その恣意性がじつに多くのことを語るのである。これは文学よりも政治の分野で、いっそう顕著に表れる。
「ボードレールがどこかで「人生の重大な状況において身ぶりがしめす誇張された真実」について語っていたが、フランス革命とはとりわけそのように重大な状況のひとつであった。流される血ゆえに、事実は非常に重苦しくなり、その事実を表現するには演劇的な誇張のある形式そのものが必要であった。革命的なエクリチュールとはその誇張された身ぶりであって、それのみが毎日の死刑を続行させることができたのである。今日では大げさに見えることも、当時は現実に見合ったものにすぎなかった。誇張をしめす記号にみちたエクリチュールも、当時を正確にあらわすエクリチュールであった。言葉がこれほど奇異にみえて、これほど欺瞞のなかったことは、いまだかつてなかった。そうした誇張は悲劇にふさわしい形式だっただけでなく、悲劇の意識でもあった」(「政治的なエクリチュール」より、31ページ)
「それぞれの政治体制が自分のエクリチュールをもっていることは疑いがない。そしてエクリチュールの歴史はこれからなすべきこととして依然として残されている。エクリチュールは、言葉が目に見えて社会参加した形式であるから、貴重な両義性によって、権力の存在と仮象とを――権力の現実のすがたと、そう見られたいと思うすがたとを――同時にふくんでいる」(「政治的なエクリチュール」より、34ページ)
たとえば「マルクス主義的な言葉づかい」と聞いて、なにか思いあたるものがないだろうか? もしくは、シュルレアリストたちが相手を非難するときにもちいていた言葉が「唯物論者」や「ダダイスト」であったことを思い出すだけでもいい(参照:ブルトン『性についての探究』)。これらの一見無垢な言葉が罵詈雑言と見なされるのは、彼らが共有していたエクリチュールに依るのだ。
「知識人のエクリチュールはどれも「知性の一足飛び」の第一歩となる。理想的に自由な言語でも、けっしてわたし個人を表わすことはできないだろうし、わたしの歴史も自由もまったく知らせないままであろうというのに、わたしが身をゆだねるエクリチュールのほうはすでに制度そのものとなっている。エクリチュールはわたしの過去と選択とをあばきだし、わたしにひとつの歴史をあたえて、わたしの状況を明示する」(「政治的なエクリチュール」より、36ページ)
「フランス語のように国家的基準がある言語の内部では、話しかたは集団ごとに異なっており、それぞれの人はみずからの言語の囚われ人となっている。自分の階級の外に出ると、最初のひとことがその人の特徴をしめし、完璧に位置づけて、経歴全体とともにその人をあからさまにしてしまう。人はその言語によって提示され、明らかにされ、打算や寛容による虚偽から漏れ出る形式の真実によって正体を暴露される。だから、言語の多様性は「必然」のように機能し、それゆえに悲劇のもととなるのである」(「エクリチュールと言葉」より、100ページ)
これは政治的な文脈として語られていることではあるが、文学とも無関係ではない。というか、まさしくこの政治的な要素が、後に語られるとおり、プルーストによって文学の領域に組みこまれていくようになるのだ。だが、それを理解するためにはバルトが語る小説のエクリチュールの歴史を、一から追ってみる必要があるだろう。バルトは古典的な小説のエクリチュールの代表として、「単純過去」と「三人称」を挙げる。
「「単純過去」は、フランス語の話し言葉では使われなくなったが、やはり「物語」の隅石であって、芸術であることをつねに示している。「文芸」の慣習の一部をなしており、もはやひとつの時間をあらわす役割はもってはいない」(「小説のエクリチュール」より、41ページ)
これはフランス語をかじったことがないと、理解するのが難しいところだろう。フランス語の動詞活用にはさまざまな「法(mode)」と「時制(temps)」があるのだが、なかでも「単純過去(passé simple)」は、口語でも用いるほかの過去形「複合過去(passé composé)」や「半過去(imparfait)」とは異なり、現在との連続性をまったく持たない過去を示すための時制なのである。つまり、物語のための時制だ。「単純過去」を使うことそれ自体が、書かれていることが物語であるということの宣言となるのである。
「単純過去はあらゆる世界構築の理想的な道具であり、さまざまな宇宙開闢論や神話や「歴史」や「小説」における作りものの時制である。前提としているのは、構築され、入念に作られ、切り離されて、意味ありげな数行に還元された世界であって、無造作に置かれ、広げられ、そのまま提示されている世界ではない。単純過去のうしろには、つねに創造主や神や語り手が隠れている」(「小説のエクリチュール」より、41~42ページ)
「単純過去は、創造行為を意味している。すなわち、創造であることを示し、押しつけてくる。もっとも暗鬱なリアリズムにかかわるときでも、単純過去は安心させてくれる。なぜなら、単純過去のおかげで、動詞は閉ざされ定義され名詞化された行為を表現するようになり、「物語」はひとつの名称をもって、際限のない言葉の恐怖から逃れるからである」(「小説のエクリチュール」より、43ページ)
じっさい、フランス語の話し言葉と書き言葉の乖離は、とんでもないことになっている。クノーはこの事情を指して、「これらは二つの異なる言語であり、フランス語とラテン語のように異なっている」と言っているほどだ(『あなたまかせのお話』、247ページ)。だが、まさしくこの乖離にこそ、「小説のエクリチュール」なるものが潜む余地がある。クノーとバルトの問題意識の共有については書きたいことがたくさんあるのだが、ひとまずはバルトから逸れないように、「小説のエクリチュール」を形成するもうひとつの要素、「三人称」のほうを向くことにしよう。
「三人称が用いられない場合には、小説に到達することができないか、小説を破壊する意志があるかである。「彼」ははっきりと神話を示している」(「小説のエクリチュール」より、46ページ)
「三人称は、もっとも伝統墨守な人たちと、もっとも文章に凝らない人たちを魅きつけるし、自分の作品が新鮮さをもつには約束ごとが必要だと最終的に考える人たちをも魅きつける。いずれにせよ、三人称とは社会と作者のあいだに明瞭な契約がかわされているというしるしであり、作者にとっては自分が望むやりかたで世界を持続させる第一の方法でもある」(「小説のエクリチュール」より、46~47ページ)
これらの形式的な要素(「単純過去」や「三人称」)を意識するということは、歴史がエクリチュールを語ることを可能にしたことの証明でもある。最初の「言語」段階における問題を乗り越えることなしには、「文体」も「エクリチュール」も意識することはできないのだ。
「1650年ごろまでは「フランス文学」はまだ言語の問題をのりこえておらず、それゆえにまだエクリチュールを知ることはなかったと言える。実際のところ、言語がみずからの構造そのものについて迷っているかぎり、言葉づかいの倫理など不可能なのである。エクリチュールが出現するのは、言語が国家規模で形成されて、いわゆる否定性になったときでしかない」(「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」より、70ページ)
「エクリチュールとは、最初は自由だが、結局は作家を「歴史」に縛りつける鎖である――「歴史」自体が縛られているのだが」(「小説のエクリチュール」より、51ページ)
エクリチュールが出現することで、初めて作家たちはそれまでの形式を意識するようになる。そして形式を取り入れるのか、それとも破壊していくのか、という選択を迫られるようになる。古典主義時代における詩は、現代的な観点からすると信じがたいことだが、それまでは韻律などの約束ごとが要請されるというだけで、本質的には散文と変わることのないものだった。
「詩の語彙そのものが、創意ではなく慣用による語彙なのである。比喩表現は、孤立ではなく集団として、創造ではなく慣習によって特徴的なものとなっている。したがって古典主義詩人のつとめは、より濃密でより鮮やかな新しい語をみつけることではない。古くからの儀礼をきちんと執りおこない、関係の調和や簡潔さを完成し、韻律の厳密な限界へと思考をみちびいたり帰着させたりすることである。古典主義の凝った文体は、言葉ではなく関係のほうを凝らしている。すなわち表現法の芸術であって、創造の芸術ではない」(「詩的エクリチュールは存在するか」より、57ページ)
そしてこの状況に初めて変化をもたらしたのが、ユーゴーである。『死刑囚最後の日』を紹介したときに細かく書いたとおり、ユーゴーの書く文章は、小説であれ戯曲であれ詩であれ、常に韻を無視していないのだ。詩のリズムをあらゆる文学形式に取り入れた最初の人物、詩人を本職としながら小説も戯曲も評論も書いたのが、ヴィクトル・ユーゴーであった。
「あらゆる韻律のなかでもっとも関係を重視するアレクサンドランにたいしてユゴーは歪みをあたえようとしたが、その歪みにはすでに現代詩の未来そのものが含まれている。なぜなら関係重視の意図を消滅させて、語の爆発で置きかえることが問題となっているからである。実際に現代の詩は、古典主義の詩にもいかなる韻文にも対立しなければならないので、機能的になりがちな言語の性質を破壊して、言語の語彙的な基盤しか残さないようにする。諸関係のなかで保持しているのは語彙の動きと音楽とだけであって、語彙の真実ではない」(「詩的エクリチュールは存在するか」より、58ページ)
「ロマン主義革命は形式を攪乱することに名目的には非常に熱心であったが、自分のイデオロギーによるエクリチュールを慎重に持ちつづけていた。ジャンルや言葉を混ぜ合わせることで少しばかり譲歩をしたが、そのことによって道具性という古典主義言語の本質を保持することができたのである。たしかに、ますます「存在感」をましてゆく道具ではあったが(とりわけシャトーブリアンの場合)、結局は気高さもなく用いられた道具であり、言語のいかなる孤独感も知ることのない道具であった。ただユゴーだけが、自分の持続と空間という身体的な次元から、特異な言葉のテーマ体系を引き出していた。伝統の観点からではなく、自分自身の存在の途方もない裏面に依拠することによってしか読みえなくなったテーマ体系をである。ユゴーだけが自分の文体の重みで古典主義エクリチュールに圧力をかけ、炸裂のまぎわまで至らしめることができたのだった」(「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」より、73ページ)
そしてエクリチュールの問題が意識されるようになると、作家は「文体の職人」として、つまり習得したエクリチュールを職人芸としてもちいることで、「自動装置的な芸術」を生みだすようになってゆく。
「エクリチュールは多様化しはじめる。それ以降は、それぞれのエクリチュールが――凝ったものにせよ、ポピュリスム的なものや、中性的なもの、あるいは口語的なものにせよ――、作家が自分のブルジョア的な立場を引き受けるか嫌悪するかをしめす最初の行為になろうとする。それぞれのエクリチュールが、「文学」なき作家という現代の「形式」におけるあのオルフェウス的な問題に答えるこころみとなる。この100年というもの、フロベール、マラルメ、ランボー、ゴンクール兄弟、シュールレアリストたち、クノー、サルトル、ブランショ、カミュといった作家が文学言語の統合や分裂や順応へのいくつかの道を描いてきたし、いまもなお描いている。だが問題となっているのは、しかじかの形式の冒険とか、修辞のできばえのよさとか、語彙の大胆さといったことではない。作家が言葉の複合体を描きだすたびに問われるのは、「文学」の存在そのものである。現代性がそのエクリチュールの多様性のなかに読みとらせようとしているのは、みずからの歴史の袋小路なのである」(「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」より、74~75ページ)
「エクリチュールの多様化とは、作家にひとつの選択を強いて形式をひとつの行動となし、エクリチュールの倫理を生じさせる、という現代的な事象である。文学の創造をかたちづくっていたあらゆる側面に、これからは新たな深みがくわわることになる。知的機能に依存した装置のようなものを自分で作りあげてゆく形式である。現代のエクリチュールは、文学的な行為のまわりで成長するまさに自立した有機体なのである。文学的行為をその意図とは関係のない価値で飾りたてて、二重の存在様式のなかにたえず引きこみ、副次的な歴史や妥協や贖罪を内在させる不透明な記号を言葉の内容のうえに重ねあわせてゆく。その結果、思考の状況にひとつの宿命が混ざりあう。あとから付け加えられ、しばしば矛盾し、つねにやっかいな、形式の宿命である」(「言語のユートピア」より、104ページ)
フロベールが生みだした新しい形式は、それを継承した者たち(すなわち、モーパッサン、ゾラ、ドーデ)によって、ひとつの「自動装置」にされてしまった。バルトは自然主義に対してかなり辛辣な態度を採っているように見えるが、じっさいわたしにも、ゾラの『居酒屋』をいま読むことに、史料として有用である以外の価値があるとも思えない。ドーデは、いまでは忘れ去られた児童文学作家という扱いしか受けていないように思える。モーパッサンに関しては、『女の一生』などの長篇を指しているのだと思いたいものだ。
「自然主義派は質が低下してゆき、現実とはまったくかかわりのない「言葉の自然」を求めることは断念して、かといって「社会的な自然」の言語を見いだそうと望むわけでもなく――のちにクノーがすることだが――、逆説的なことに自動装置的な芸術を生みだすことになってしまった。それまではなかった誇示的表現と文学協定をむすんだことをしめす芸術を。フロベールのエクリチュールだけは不思議な魅惑をすこしずつ作りあげていったので、フロベールの作品を夢中になって読むことは今なお可能である。第二の声にみちた自然――諸記号は表現するよりもはるかに納得させる――のなかへ夢中で入りこんでゆくように読むのである。写実主義的なエクリチュールのほうはけっして納得させることができない。描写することだけを強いられている。物体のように生気のない現実を――作家は記号を適応させる技術によってしか影響をおよぼしえないであろう現実を――「表現する」にはただひとつの最適の形式しかありえない、と言いたがる二元論的な独断にしたがっているのである」(「エクリチュールと革命」より、84ページ)
しかし、この「質の低下」は、後に語られているエクリチュールの宿命的な性格、すなわち「革命的なものでありつづけることはできない」という性格とも、無関係ではないのだ。エクリチュールが多様化していくことで、作家たちは新たなるエクリチュールを創出しようと躍起になっていく。
「作家は、ほかに闘いがなくなっても、自分を正当化するにじゅうぶんな情熱はもっている。形式の創出という情熱である。新しい文学言語の解放はあきらめても、すくなくとも古い文学言語をしのぐことはできる。作者の意図や凝った表現や華麗さや懐古趣味などを古い言語につぎこんで、豊饒だが消えゆく運命にある言語をつくりだすことはできる。伝統にもとづいたこの偉大なエクリチュールが――ジッドやヴァレリーやモンテルラン、そしてブルトンさえもがそのようなエクリチュールなのだが――しめしているのは、形式はその重厚さや非凡なひだなどによって歴史を超越した価値になるということである。司祭の儀典の言葉がそうでありうるように」(「エクリチュールと沈黙」より、92ページ)
「現代のいかなるエクリチュールにも二重の願いがある。すなわち、断絶の動きと、出現の動きである。このうえなく革命的な状況という構図そのものがあって、その根本的に曖昧な点は、「革命」は自分が破壊したいもののなかから自分の所有したいもののイメージ自体を引きださねばならないということである。現代芸術全体がそうであるように、文学的エクリチュールもまた「歴史」の放棄と「歴史」の夢との両方を担っている」(「言語のユートピア」より、107ページ)
たとえばさきに挙げたエクリチュールの政治性は、プルーストによって作中人物の描きかたに援用されるようになる。ほんのひとこと口をきくだけでその人の状況を明示してしまうエクリチュールの暴露性が、ついに文学に取り込まれたのだ(『失われた時を求めて』に登場する女中フランソワーズは、なんと奇妙な言葉づかいをしていることだろう!)。
「作家が、ある人物をその言葉と完全に一体化させるようになるには、そして作中人物をまさに言葉で生彩をあたえられた濃密な量感として純然たるかたちのもとに登場させるようになるには、おそらくプルーストを待たねばならなかった。たとえばバルザックの作中人物は、社会の力関係だけに安易にとどまっており、代数的な交代要素のように社会を構成している。ところがプルーストの人物のほうは、固有の言葉づかいという不透明性のなかに凝縮されており、その次元にこそ人物の歴史的な状況の全体――職業、階級、財産、遺伝、生物学的特徴など――が現実的に組みこまれ、秩序立てられている。こうして「文学」は、おそらく諸現象を再現しうるであろう「自然」として、社会を認識しはじめる。作家は、現実に話されている言語をもはや風変わりなものとしてではなく社会の全容をくみあげる本質的な対象として追いかけるようになり、そうするあいだにエクリチュールのほうは人びとの現実の言葉をエクリチュールを反射させる場だとみなすようになる」(「エクリチュールと言葉」より、99ページ)
「話し言葉を復元することは、はじめは奇抜さをおもしろがる模倣のかたちで考え出されたのだが、ついには社会矛盾の全容を表現するようになった」(「エクリチュールと言葉」より、100ページ)
こうして現実に話されている言葉が、作家たちの興味の対象となる。バルザックやユーゴーは、田舎者の方言や民衆の言葉というものを、文飾的にしかもちいることはなかった。それが現代においては、「社会の全容をくみあげる本質的な対象」となったのである。つまり、クノーの登場である。
「まさしくクノーは、書かれた言説が話し言葉に染まってゆくことがあらゆる部分で可能であると示そうとしたのだった。クノーの作品では、文学言語の社会化がエクリチュールのあらゆる層を同時にとらえている。書記法や語彙、そしてそれほど目立たないが、より重要なのが語り口である。もちろんクノーのこのエクリチュールは「文学」の外部に位置しているわけではない。というのは、つねに社会の限られた部分で消費されるので普遍性はもたないが、ひとつの経験や楽しみはもたらすからである。とにかく、はじめて文学的なものがエクリチュールだけではなくなったのである。「文学」は「形式」から拒絶されて、もはやひとつの範疇にすぎなくなっている。言語が奥深い経験となって、「文学」のほうは皮肉となっている。いやむしろ、「文学」は公然と言語の問題提起に立ちもどらされており、実際に、もはやそれでしかなくなっているのである」(「エクリチュールと言葉」より、101ページ)
クノーは『地下鉄のザジ』を書いたとき、冒頭に「Doukipudonktan ?」という一見謎の文章を置いた。これは書き言葉としては「D'ou qu'ils puent donc tant ?」と書かれるはずのものを、話し言葉でじっさいに発音される音だけを残した結果なのである(ちなみに生田耕作はこれを「なんてくせえやつらだ」と訳し、10月に出た久保昭博の新訳版では「なんなのこいつらなんでこんなにくせえんだ」となっている。どちらもすばらしい)。クノーとバルトが同じ問題意識を共有していたことは疑いない。そもそも「エクリチュール」という概念それ自体が、わたしにはフランス語という「言語」なしには誕生しなかったように思える。書き言葉と話し言葉の圧倒的な乖離があったからこそ、『地下鉄のザジ』も『零度のエクリチュール』も書かれることになったのだ。
「文学なき文学作品というこの円積問題にたいして、べつの解決法を想像することもできる。それは完全に「自然な」言葉に変換することであろう。ただしここでは自然とは社会でしかありえないと理解してのことなのだが。その際に問題となるのは、たとえばクノーの構想によれば、自然状態という完全な素朴さ(写実主義やポピュリスムの描写のようなものではない――それはセリーヌのような作家とプレヴェールのような作家のエクリチュールの違いを見ればわかる)のなかに、話し言葉の表現が不意に出現するように文学を大きく開放することであろう。結局は、ユゴーによって宣言されて挫折で終わったあのレトリック革命にたどりつくことになるのだろう。忘れてならないのは、文学言語とは本質的に時代錯誤的だということである。方言とほとんどおなじ特徴をもっている。したがって、文学言語を歴史的にすることよりも完全な革命など考えつくことはできない。しかし、ここで作家たちは分裂する。サルトルやカミュのような作家は、言語がもちうる慣用的で絶対的なものすべてを文学言語から取りのぞいて普遍性に到達したいと考える。クノーやプレヴェールのような作家は、もっとも具体的な社会的自然のなかで実際に話され復元された言語に自分のいくつかの作品においてできるだけ近づこうとする。つまり前者は言語の直接的規範のようなものに、後者は現実の多様性に依拠しているのである」(「付録:『コンバ』紙に発表した論文「零度のエクリチュール」(1947)」より、135ページ)
「クノーは、現代のエクリチュールの問題をよくしめしている。なぜなら彼は、言葉の偶然性の尊重――それが詩の根本的な特質であるが――を、現実の言語の原則に結びつけようとしているからである。言葉の誕生にたいするこのまなざしは、現代性の詩法であったが(たとえば「沈黙のそれぞれの原子が、熟した果実の幸運である」のように)、もはや、かつてマラルメやロートレアモンやヴァレリーが探ったような紺碧で沈黙した冥界の領域のほうへ進んでいるのではない。そのまなざしは、地上における現代の人びとの領域にそそがれて、人びとの唇のうえに、人びとの言葉のなかに、真実と詩を、「歴史」と自由を、同時に看破しようとしているのである」(「付録:『コンバ』紙に発表した論文「エクリチュールと言葉」(1950)」より、147~148ページ)
以上に挙げたふたつの引用は、書籍化されるにあたってバルトが削除した、クノーに言及した部分である。考えれば考えるほど、バルトがクノーに対して無関心でいられるはずもないのだ。彼らが向いている方向は同じである。ところが、バルトはこれらの部分を削除してしまった。その理由を、訳者はこんなふうに予想している。
「論文で削除されたもうひとつの箇所は、レーモン・クノーをめぐる一段落である。1940年代後半のバルトはクノーの実験的なエクリチュールに感嘆していた。この論文だけでなく50年までに発表された新聞論文には、そのことが随所にあらわれている。しかし47年から5年以上が経過するあいだに、クノーの前衛性もひろく認められて、彼は権威になりつつあった。バルトは生涯をつうじて前衛の側に立とうとしており、したがって前衛的な作家は弁護するが、その作家が一般に認められるようになると語ることをやめる、というのが彼のつねであった。そのような彼の習性がすでに生じていたのだろう。だから52年のバルトにはクノーについての言及を減じる必要があったのではないか。そして本『零度のエクリチュール』の刊行後は、ごくまれにしかクノーの名を口にしなくなるのである」(「付録:『コンバ』紙に発表した論文「零度のエクリチュール」(1947)の解説」より、130ページ)
とはいえ、常に前衛の側に立とうとするのは、権威が付着しはじめたとはいえ、クノーとて同じである。その態度は新たなエクリチュールを求める作家にとっては、必要不可欠なものでもあるのだ。常に前衛であることなくして、新たなるエクリチュールを模作することなどできやしない。そうでなければ、作家は失書症、すなわち、最近の言葉で言うところの「バートルビー症候群」に陥ってしまうのだから。
「無秩序な統辞法を避けながらつねにより先へと進んでゆくと、言語の解体はエクリチュールの沈黙にいたるしかない。ランボーや何人かのシュールレアリストたちが最終的に失書症におちいったことは――それゆえにそれらのシュールレアリストたちは忘れ去られてしまったが――、つまり「文学」のこの衝撃的な活動停止は、つぎのことをおしえてくれる。ある種の作家たちにとっては、言語とは文学神話からの最初で最後の出口であるから、その作家が避けようとしたものを最終的には再構成してしまうということである。また、革命的でありつづけるエクリチュールなどないということ、そして形式にかんするいかなる沈黙も完全な無言によってしか欺瞞を逃れえないということである」(「エクリチュールと沈黙」より、93ページ)
常に前衛であること、その方策として提示されるのが「零度のエクリチュール」である。白いエクリチュール、エクリチュールの不在である。
「文学言語から解放したいというこの同じ努力には、もうひとつの解決法がある。さだめられた言語秩序への服従からまったく自由になった白いエクリチュールを創りだすことである。言語学から借用した比較をもちいると、この新しい事象をかなり適切に説明できるだろう。周知のように一部の言語学者たちは、一つの極性における二つの項(単数-複数、過去-現在など)のあいだに中性項または零項という第三の項をもうけている。たとえば接続法と命令法のあいだでは、直説法は非-法的な形式に見える。相違を考慮しながらも言うが、零度のエクリチュールとは結局のところ、直説法的な――あるいは非-法的なと言ってもよい――エクリチュールである」(「エクリチュールと沈黙」より、94~95ページ)
「新しい中性のエクリチュールはそのような訴えや判断のただなかに位置しているが、そのいずれにも加担することはない。まさにそれらの不在によってつくられているのである」(「エクリチュールと沈黙」より、95ページ)
ここでカミュが登場する。わたしが『異邦人』をフランス語の原書で読んだことがあったというのは、まったくもって奇跡のような巡り合わせである。あのときにも書いたことだが、じつに意外なことに、わたしはすんなりとカミュを読むことができたのだった。なぜなら、そこにはわたしが苦手とする「単純過去」がひとつも使われていなかったから、あの物語が、物語の時制ではなく、話し言葉と同じ時制で書かれていたからである。
「カミュの『異邦人』に始まったこの透明な言葉は、文体の理想的な不在に近い、不在の文体をなしとげている。それゆえエクリチュールは否定法のようなものとなり、言語の社会的あるいは神話的な性格は消え去って、形式は中性的で不活性な状態となっている」(「エクリチュールと沈黙」より、95ページ)
「白いエクリチュール――たとえばカミュやブランショやケロールのような――やクノーの口語体エクリチュールは、ブルジョワ的意識の分裂にともなって少しずつ生じたエクリチュールの受難劇における最後のできごとなのである」(「序」より、11ページ)
しかし、エクリチュールの冒険には終わりがない。なぜなら、新たに生みだされた「エクリチュールの存在しない書きかた」は、すぐにひとつのエクリチュールとして定義されてしまうからだ。
「だが不幸にして、白いエクリチュールほど不実なものはない。最初に自由が見出されたその場所でこそ、自動装置的な行為は生みだされる。不確かな言語のかわりに、ふたたびエクリチュールが生まれてくる。作家は権威ある存在になると、自分の初期作品の亜流となってしまい、社会のほうは彼のエクリチュールをひとつの作風となして、作家を自分自身の形式神話の囚われ人にしてしまうのである」(「エクリチュールと沈黙」より、96~97ページ)
そもそも『異邦人』であれほどの成功を収めたカミュが、なぜ『転落』のような奇抜な語り口の小説を書かなければならなかったのか。『地下鉄のザジ』から『イカロスの飛行』まで、クノーがどうしてつぎつぎと新たな形式を模作しなければならなかったのか。その答えが、すべてここにある。すべては、零度のエクリチュールをめぐる問題だったのだ。
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