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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

そして誰もいなくなった

配架-イギリス文学 評価-★★★★☆(大満足) いわゆる-ミステリー

 仕事がやけに忙しかったりして、リズム良く本を読み進められずにいるようなとき、一気呵成に読める本が無性に恋しくなる。言うなれば、エンタテイメントとしての小説にどっぷり漬かりたくなるのだ。続きが気になって、思わず夜更かししてしまうような本ならば最高だ。今日こそは、というようなとき、候補を考えながら書店の棚の前に立つと、あまりの楽しさに踊り出したくなる。やっとの思いで一冊を選んだら、そのまま喫茶店に直行する。そしてコーヒーを注文して煙草に火を点け、それ! とばかりに本に顔を埋める。足と肺と口のなかがおかしくなるまで、そりゃあもう微動だにしない。これこそが至福というものである。そんな至福を世界中の人びとに与え続けてきた本。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

アガサ・クリスティー清水俊二訳)『そして誰もいなくなった』ハヤカワ文庫、2003年。


 熱心なファンのひとなら「おや?」と思うかもしれない。この本には2010年にはすでに、新訳版が刊行されているのだ。わたしが働いている書店には、着任当時なぜか新訳版と旧訳版が同時に在庫しており、しかも別々の場所に並べられていた。前任者が翻訳が変わっていることに気がついていなかったわけだが、普通なら新版の入荷と同時に旧版を返品するものである。幸いわたしは気がついたので、旧版を抜き出した。見てみると、清水俊二の訳書ではないか。レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』などを読んでこの訳者の文章に心底しびれてしまった経験があったため、とてもじゃないが返品などできなかった。返品をまぬがれたこの一冊は、だれかの手に渡らなければならない。そう思ってしばらく棚に並べ続けてみたのだが、残念ながら新版も旧版もだれの手にも取られなかった。だから、自分で買うことにした。

「島というものには不思議な力がある――島という言葉を聞いただけで、幻想的な雰囲気を想像する。世間との交渉がなくなるのだ――島だけの世界が生まれるのだ」(54ページ)

 この本の筋書きについて、なにかを語る必要などないだろう。というか、この本の内容についてつぶさに語るということは、読んだひとにとっては冒瀆だし、読んでいないひとにとっては犯罪である。調べようと思えばインターネットでいくらでも調べられるご時世なのだろうけれど、わたしはそんなことに加担したくはない。ただ、島が重要な役割を果たすとだけ書いておきたい。

「彼は思った。島のいいところは、一度そこへ来てしまえば――もう、その先へは行かれないことだ」(115ページ)

 ところで、清水俊二ほどの人物が訳した作品を、どうして新訳する必要があったのだろう。たしかに言葉は古くさいのだが、そこに魅力を感じるわたしのような読者も少なくないのではないかと思う。新訳を読んでいないので頭ごなしに否定してしまっては申し訳ないが、清水俊二にしか書けなかった訳文というのがきっとあったはずなのだ。たとえば、以下の箇所。

「「ロンバード、ちょっと、話があるんだ」
 フィリップは彼のそばへよってきた。
 「うかがおう」」(146ページ)

 うかがおう、だなんて! 口語としてはたしかに変だし、自分がこんなことを言ったらぎょっとされるにちがいないが、それでもいつかどこかで使ってみたいと思わずにはいられない、魅力的な言葉ではないか。ミステリーというストーリー重視の文学形式ではどうしても会話文や事実の羅列のような文章が続いてしまって、読書に彩りを欠くことが多いものだ。そういった意味では、会話文に価値を与えられる翻訳者というのはけっして多くないと思うので、やはりこの翻訳が新刊書店で買えなくなってしまったのは、ちょっと淋しい。ついでに書くと、昨年同じくハヤカワ文庫からロアルド・ダールの『あなたに似た人』の新訳が刊行されたのだが、田村隆一の旧訳が気軽に手に取れなくなってしまったのも、ちょっと淋しい。

「世間には、犯人を罪に落とすことができない犯罪がある」(148ページ)

「いかなる芸術家も、芸術そのものをもって満足するものではない。芸術が他人に認めてもらいたいという欲望をともなうものであることは否定できない」(361ページ)

 江國香織『とるにたらないものもの』のなかで、こんなことを書いているのを思い出した。

「このことはもう何年も認めるのが恐かったのだけれど、仕事をしたり、食事をしたり、掃除をしたり、人に会ったり、という自分が決めたこと、望んだこと、をしている時以外、私は常に本を読んでおり、心は別の場所にいて、そこにいない。
 たとえば自分の身に大変な不幸が起きたとしても、おもしろい推理小説があれば、それを読みおわるまでは泣いたり騒いだりしないと思う。そこにいないんだもの。
 望まない場所にいたくないのだ。
 推理小説を好きになった時期と、テレビに我慢ならなくなった時期が一致するのもそれで辻褄が合う。望まない情報にさらされることが苦痛である、という臆病かつ我儘な精神。好奇心のない子供みたいだ。
 でもたぶんそのせいで、私は日々健やかに機嫌よく暮らしている。これは大事なことだと思う」(「推理小説」より、175~176ページ)

 アガサ・クリスティーは間違いなく、おそるべき速度で「望まない場所」から連れ出してくれる。

 ついでだが、この本には赤川次郎の解説(?)が付せられている。いつもどおりやけに改行の多い文章なのだが、失礼ながらちょっとびっくりしたことに、これがすばらしかった。

「ここには、私が「エンタテインメント」に求めるものがすべて揃っているのだ。
 まず、「一晩で一気に読みきれる長さ」。
 私は、内容豊かな大長編ミステリーの存在を評価しないわけではないが、それでもなお、「エンタテインメントとしてのミステリー」は自ずと長さが決ってくると考えている」(解説「永遠の目標」より、366ページ)

「ミステリーはもともと「知的で粋な」娯楽であったはずだ。
 時代が求める変化は当然のこととして、「時代を超えた面白さ」も一方に、厳として存在する。
 その代表作に、『そして誰もいなくなった』を挙げることを、私は少しもためらわない」(解説「永遠の目標」より、367ページ)

 完全に同感であるうえ、彼は本書の内容にまったくと言っていいほど触れていないのだ。やるじゃん、赤川次郎ブラボー、赤川次郎

 江戸川乱歩『黒蜥蜴』を紹介したときにも書いたことだが、快楽としての読書ほど贅沢なものはない。すばらしい作品のあとに続く、短く的を射た解説。とても気持ちのいい時間を過ごせた。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)