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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ペレアスとメリザンド

 先日の『赤い百合』の翻訳者、杉本秀太郎による訳業のひとつ。「なにか他にも読んでみたいなー」と考えながら自室の本棚を眺めていたら、目の前に突如として現れたのだ。きっと昨年、ドビュッシーが話題に登ることの多い作家、青柳いづみこのエッセイを読み漁っていたころに、日本から持ち込んだものにちがいない。すでに絶版になって久しいであろう、岩波文庫のフランス語対訳書。

対訳 ペレアスとメリザンド (岩波文庫)

対訳 ペレアスとメリザンド (岩波文庫)

 

モーリス・メーテルランク(杉本秀太郎訳)『対訳 ペレアスとメリザンド岩波文庫、1988年。


 対訳の本を読むのは、とっても奇妙な感覚だ。なまじフランス語を読める分、左ページに収められた原文ばかりが先に進んでしまう。知らない単語に行き当たったり、「どうやって訳したのかな?」と気になるときは、右ページの邦訳を眺めてみるわけだが、原文で読んでいる最中にいちいち頭のなかで日本語に訳しているわけではないので、探している文章がどこにあるのかすぐにはわからず、結局同じページをふたつの異なる言語で二度読まされることになる。つまり、ものすごくテンポが悪い。

 購入したのが古本だったので、フランス語の単語の下に、いくつか鉛筆で線引きした跡が残っていた。「こんな単語も知らずに読もうとしたのか……」と心配になるような語彙に線が引かれていることもあったのだが、わたしだって過去に同じようなことをしてフランス語を覚えたわけだから、偉そうなことは言えない。実際、戯曲というのは語学の勉強にはうってつけの教材であり、書き言葉と話し言葉の乖離が激しいフランス語では、これを読むことの意義は特に大きいだろう。以前まだフランスに住んでいたころ、マルセル・パニョル『Marius』やウジェーヌ・イヨネスコの『La Cantatrice chauve』を読んだのも、小説に用いられる特殊な文法ルールを学んでいなかった当時、それでも唯一読めたのが戯曲だったからである。ほんの数年前のことなのに、とても懐かしい。

 ところで、杉本秀太郎の訳文は、原文とはまったく異なる響きを帯びている。「探している文章が見つからない」というのは、なにもわたしの頭の回転が悪いせいだけではなく、彼の訳文の調子が、原文よりもずっと静謐な印象を抱かせるものだからなのだ。『赤い百合』を読んでいたときにも気づいたことだが、この訳者は現代ではだれもが多用するいくつかの記号を、まったく用いない。つまり、感嘆符「!」や疑問符「?」、会話文を括るための括弧「」などである。もっともこれは杉本秀太郎に限ったことではなく、例えば同じアナトール・フランス『神々は渇く』を訳した大塚幸男も、括弧を使わず、ダッシュで会話文を表現していた。しかも、じつはこのほうがフランス語原文には忠実なのである(それらを引用するにあたって、わたしはダッシュまで括弧で括ったわけだが、やはりこれは冒瀆なのだろうか)。会話文のダッシュや括弧云々については、一昔前の翻訳の味と言ってしまえばそれまでのことなのだが、原文で頻出する感嘆符や疑問符がないとなると、字面が与える印象はまるきり違ってくる。たとえば以下の文章。

MÉLISANDE.   Ne me touchez pas ! ne me touchez pas !
 GOLAUD.   N'ayez pas peur... Je ne vous ferai pas... Oh ! vous êtes belle !
 MÉLISANDE.   Ne me touchez pas ! ou je me jette à l'eau !...」(18ページ)

 試しに訳してみると、以下のようになる。

メリザンド  さわらないで! さわらないで!
 ゴロー  こわがらなくていい……なにもしないよ……やや! これはべっぴんさん!
 メリザンド  さわらないで! 水に飛び込みますよ!……」(私訳)

 ちょっとふざけすぎたものの、杉本秀太郎訳だと以下のとおりだ。

メリザンド  さわらないで. さわってはいやです.
 ゴロー  大丈夫……何もしやしないから. おお、これは……美しいひとだ.
 メリザンド  さわったら, 水にとびこんでしまいますから……」(19ページ)

 どうだろうか。メリザンドは原文よりもしとやかな女性に映るし、ゴローはより紳士的ではないか。「Oh ! vous êtes belle !」を「おお、これは……美しいひとだ」と訳すだなんて、ちょっとわたしの想像を超えている。訳文から原文が想像できないというのは、良い翻訳の証拠である。以下の箇所なんかも、すごい。

MÉLISANDE.   Je ne suis pas heureuse !...」
メリザンド  こんなことになってしまって……」(66~67ページ)

 メリザンドはただ、「わたしは幸せではない」と言っているのだ。翻訳はご覧のとおり。もちろん、だれかがいきなり「わたしは幸せではない」なんて言いだしたら、日本語の口語としてはおかしいだろう。これは文脈に沿った意訳なのだが、その鮮やかさには舌を巻くばかりである。訳者自身は「対訳本には, 訳者の逃げこむ日かげがどこにもない」なんて言っているのだが(「解説」より、218ページ)、杉本秀太郎は日かげなどまったく必要としていない。原文で読むよりもロマンティックな作品になっているようにさえ思える。

PELLÉAS.   Est-ce le bruit de la grotte qui vous effraie ? C'est le bruit de la nuit ou le bruit du silence...」
ペレア  あの洞窟のざわめきが, こわいのだね. あれはね, 夜の音か, あるいは静寂の音ですよ……」(70~71ページ)

PELLÉAS.   Holà ! Holà ! ho !
 MÉLISANDE.   Qui est là ?
 PELLÉAS.   Moi, moi, et moi !... Que fais-tu là à la fenêtre en chantant comme un oiseau qui n'est pas d'ici ?
 MÉLISANDE.   J'arrange mes cheveux pour la nuit...
 PELLÉAS.   C'est là ce que je vois sur le mur ?... Je croyais que c'était un rayon de lumière...」
ペレア  オーラ. オーラ. オー.
 メリザンド  だあれ.
 ペレア  だれかな, だれかな, ほうら……窓ぎわで, 聞きなれない小鳥のように歌をうたいながら, 何をしてるの.
 メリザンド  髪の手入れですわ, 休むまえの……
 ペレア  塔の壁に流れて見えたのは, 君の髪だったの……何だかあかるい光の束みたいだった……」(90~91ページ)

 内容についてまったく触れていなかった。この『ペレアスとメリザンド』は、メリザンドの結婚相手の弟、ペレアスとの悲恋が物語の根幹を担っている。正直、感情移入して読めるほど説明豊かな作品ではなく、いつどんな理由で彼らが恋心を抱くようになったのか、といった描写が決定的に欠けている。ドビュッシーのオペラによって有名な作品なので、彼らの情熱のたぎりはメーテルランクの手を離れたところで、音楽が説明してくれるかもしれない。

ARKEL.   Attention... Attention... Il faut parler à voix basse. — Il ne faut plus l'inquiéter... L'âme humaine est très silencieuse... L'âme humaine aime à s'en aller seule...」
アルケル  気をつけぬか……小声でいいなさらんか. ――もうあれをおびやかしてはいけない……人の魂というものは, とても無口なものなのだ……人の魂というものは, 独りで, そっと, 立ち去るものだ……」(202~203ページ)

 また、メリザンドが水の精であることを伝える描写は数多く、訳者も以下のとおり、フーケの『水妖記』などで知られるウンディーネ伝説との関連を指摘している。フーケの『水妖記』については、かなり前に読み終えたまま感想を記事にしていなかったので、機を見てあらためて紹介したい。

「メリザンド=水の女神というメーテルランクの設定には, ドイツ・ロマン派の作家フーケの小説『ウンディーネ』の作用を認めても間違っていないと思われる. 北欧の伝説に範を仰いだこの遍歴小説にあらわれるウンディーネは, メリザンドよりもはるかに活潑に, 目ざましく動きまわるが, 気まぐれな流水の性格は, そのままメリザンドのものである」(「解説」より、213~214ページ)

 翻訳者の仕事ぶりばかりを語ってしまったが、対訳本という体裁がそのことを語らせずにはいないような一冊だった。ドビュッシーを聴きながら読んでもらいたい。また、オペラを見に行くときに鞄に忍ばせておくにはうってつけのサイズでもある。

対訳 ペレアスとメリザンド (岩波文庫)

対訳 ペレアスとメリザンド (岩波文庫)

 


〈読みたくなった本〉
ルミ・ド・グールモン『文学のベルギー
ベルギーメーテルランクは, すべての作品をフランス語で書いた. 若いときからメーテルランクと親交のあったルミ・ド・グールモン Remy de Gourmont (1858-1915) の最後の著書『文学のベルギー』 La Belgique littéraire (Crès, 1915, Paris) には, ベルギーに文学が誕生したのは雑誌『ラ・ジュヌ・ベルジック(若きベルギー)』 La Jeune Belgiqueがブリュッセルで発刊された1881年のこととしてある」(「解説」より、219ページ)

La Belgique littéraire

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