Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

3冊で広げる世界:この試みについて

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 わたしが初めて書店員として仕事に就いたのは18歳のときのことなので、以後企業や店舗、さらには国まで変えながら、もう十年も「本屋さん」でありつづけている。本についてどんなに詳しくても、金融業や保険会社では役に立たない、つまり、そもそもまるで食いつぶしのきかない職業を選んでしまった、という理由も大いにあるのだが、本を自分で選んで発注し、それを棚に並べ、店に来てくれた人の手に届ける、という作業が好きなのだ。ポップと呼ばれる簡単な推薦文を書いて、おすすめすることもあり、そういった本が売れたときの嬉しさはやみつきになる。


 だが、「この本が好きならこれもおすすめですよ!」といった薦め方を店舗内で実践するのは、存外難しい。Amazonずるい。昔は友人たちと結託して大規模な企画を練り、大がかりなフェアとして棚に並置したりもしたのだが、いま働いている国ではそもそも日本人の数が少ないので、わたしが選ぶようなマニアックな本を、棚にこっそり地雷のように忍ばせるならまだしも、大がかりなフェアとして展開するなんてことは、売場の利益を考えなければならない立場からしても、とてもできない。

 このブログでは、1冊の本に焦点をあてつつ「これも、これも」と言う以外に、複数冊の本を同じ文脈で語る、ということをこれまでしてこなかった。だったらいっそ、関連する要素自体を記事にすればいいじゃん、と思った次第である。というわけで、新シリーズ開幕。題して、「3冊で広げる世界」である。

 3冊、としたのは、これが惰性ぬきで読みつづけられる、わたしにとっての限界だからである。それに、ある1冊の本を読むと、不特定多数の「読みたい本」が生まれる。わたしのブログは時系列順に読んでみると、その関心の変遷ともなっているわけだが、これらの「新たなる関心」を無視してまで手に取りたい本はあるはずもないのだ。ただ、3冊が限度であれば、一度無視した「新たなる関心」に容易に立ち戻れる。それに、現代生活ではすこしでも油断すると、本が手から滑り落ちてしまうので、そうなってしまったときの関心の再喚起、という意味でも、関連要素自体をテーマにする、ということは無駄ではないと思った。

 さて、これから3冊を挙げていくわけだが「ぜんぶ読まなきゃ!」といった百名山みたいな考え方はやめて、もし最初の1冊が気に入ったのなら、その作家のほかの作品や、その本があなたに植えつけた「新たなる関心」を積極的に追いかけてもらいたい。そしていつか、読みたい本が見当たらない、という関心の袋小路に迷いこんだときに、ほかの2冊のことをそっと思い出してもらいたい。もっと理想的なことを言えば、「3冊のうち2冊はすでに読んでいて、自分も好きだったので並置されていた3冊目に手を伸ばす」というのが、たぶんいちばん嬉しい。わたしのブログをどんな方が読んでいるのか、正直想像もつかない(一日のアクセス数が友人ぜんぶの数を超えている気がする)のだが、その姿の見えない、でも趣味を同じくする同志に新たなる1冊を届けることができれば、これ以上に嬉しいことはないのだ。

 Amazonでも購入できるように、取り上げる本にはリンクを貼ってはいるが、わたしは書店員なので、できれば書店で手にとって、吟味したうえで買ってもらいたいと思っている。じゃあリンク貼るなよ、という声が聞こえてきそうだが、わたしはこのブログを通じて金持ちになる計画を抱いているので、大人の事情ということで見逃していただく。

 というわけで、新シリーズのはじまりはじまり。