Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

Stuart Little

 先日記事にした『Charlotte's Web』に引き続き、E・B・ホワイトのもうひとつの代表作。映画化もされて一時期話題になったものの、まだまだ日本ではあまり知られていない、とはいえ英語圏では知らないひとなどいない、という類の児童文学。

Stuart Little 60th Anniversary Edition (full color)

Stuart Little 60th Anniversary Edition (full color)

 

E. B. White, Stuart Little, HarperCollins, 2001.

 
 やはり邦訳もあり、先日の『シャーロットのおくりもの』同様、さくまゆみこ氏の訳業である。訳題は『スチュアートの大ぼうけん』。このさくまゆみこ氏は、児童書をかなり多く訳している方で、タイトルだけを見ても「おくりもの」や「ぼうけん」がひらがなに開かれていたりと、読者に想定している年齢層に対する配慮がうかがえる。子ども向けに訳す、というのは、わたしには想像もできない、きっとものすごく大変な作業だ。なにせ、「これだろ!」と自分が思いついた単語が子どもたちの語彙でなかったら、すぐさま取り下げてほかの訳語を探さなければならないのだから。わたしはもちろんそんな高等技術は持ち合わせていないので、以下の抜粋には言わば「大人向け」の、つまり子どもへの配慮など皆無の訳文を付した。そういえばわたしは児童文学は好きだが、子どもは嫌いなのである。子どもに生まれなくてよかった、と、常々思っているほどだ。

 そんなことより、『Stuart Little』だ。これは大人が読んでもクスクス笑ってしまうような描写に溢れたすばらしい本で、つまり「子どもだけに読ませておくにはもったいない」という、優れた児童文学が必ず持つ要素を抱いている。『Charlotte's Web』とは異なり、ストーリーに明確な一貫性があるわけでもない。いかにも作者がすこしずつ書き足していった、という体裁の物語で、スチュアートを主人公とした短篇連作のような趣きさえある。

「Every morning, before Stuart dressed, Mrs. Little went into his room and weighed him on a small scale which was really meant for weighing letters. At birth Stuart could have been sent by first class mail for three cents, but his parents preferred to keep him rather than send him away.」(pp.2-3)
「毎朝、スチュアートが服を着終える前、リトル夫人は彼の部屋へ入っていくと、ちっちゃな量り、まさしく手紙用の量りで、彼の体重をしらべるのだった。生まれたばかりのとき、彼は82円の切手で郵送できたはずだったが、送ってしまうかわりに両親は彼を留めることを望んだのだった」

 スチュアートはリトル家の次男で、どういうわけかネズミのような風貌・体躯で生まれてきた。そのことは両親をちょっぴり混乱させはするのだが、あるべき理由の追求などはほとんどなく、彼はしっかり息子として受け入れられ、育てられるのである。まったくもって頼もしいかぎりだ。スチュアートはどう見ても完全にネズミなのだが、人間と同じように振る舞い、人間と同じように意見を述べるので、読んでいてネズミであることをうっかり忘れてしまいそうになるほど。とはいえ、彼が巻き込まれるトラブルや珍事は、どれも彼の背恰好に由来するものだ。

「So every morning, after climbing to the basin, he would seize his hammer and pound the faucet, and the other members of the household, dozing in their beds, would hear the bright sharp plink plink plink of Stuart’s hammer, like a faraway blacksmith, telling them that day had come and that Stuart was trying to brush his teeth.」(p.16)
「それから毎朝というもの、洗面器によじ登ったあと、彼は木槌を握りしめて蛇口を打ちつけるのだった。すると一家全員が、ベッドのなかでうとうとしつつ、スチュアートの木槌が立てる、「キン、キン、キン」という明るい金属音を聞いた。まるでどこか遠くの鍛冶屋が立てているようで、それは一日のはじまりと、スチュアートが歯を磨こうとしていることを告げているのだった」

「One morning when the wind was from the west, Stuart put on his sailor suit and his sailor hat, took his spyglass down from the shelf, and set out for a walk, full of the joy of life and the fear of dogs.」(p.26)
「西風の吹くある朝、スチュアートは水兵服と水兵帽に身を包むと、棚から携帯用の望遠鏡を取り、人生の喜びと犬たちへの恐怖に満ちた散歩に出かけた」

 ちなみにスチュアートはドブネズミ的な「rat」ではなく、すらりとした体型の「mouse」のほうである。『Charlotte's Web』で登場した、くそったれドブネズミのテンプルトンの例に顕著なとおり、ここでは「rat」よりも「mouse」のほうが上品、という、不思議なイメージがある。そういえばミッキーもマウスである。「ミッキー・ラット」だったら、もうちょっと武闘派だったかもしれない。

 ところでリトル家には猫のスノーベルもいるのだが、スチュアートが家族の一員であるため、ネズミが猫を飼っているという、猫にとっては屈辱的な構図になっている。これが物語を加速させる。

「“Goodness,” said the Angora cat, “you mean to say you live in the same house with a bird and a mouse and don’t do anything about it?”
 “That’s the situation,” replied Snowbell. “But what can I do about it? Please remember that Stuart is a member of the family, and the bird is a permanent guest, like myself.”
 “Well,” said Snowbell’s friend, “all I can say is, you’ve got more self-control than I have.”」(pp.68-69)
「「なんてこと」アンゴラ猫は言った。「つまりあなたは、鳥とネズミとひとつ屋根の下に住んでいて、しかも手出ししていないってこと?」
 「そういうこと」とスノーベルの返事。「でも、なにができるっていうのさ? スチュアートが家族の一員だってことを思い出しておくれよ。それにあの鳥は、ぼくと同様、永遠の居候なんだから」
 「ええと」とスノーベルの友だちは言った。「まあ言えるのは、あなたはわたしよりも自制心があるってことだけね」」

 やがてこのスノーベルの奸計によって、スチュアートの友人であり恋人候補の筆頭でもある鳥のマーガロは、リトル家を去ることになるのだ。出ていった彼女を探すため、スチュアートは旅に出る。

「“Don’t look down,” replied Margalo. “Then you won’t get dizzy.”
 “Suppose I get sick at my stomach.”
 “You’ll just have to be sick,” the bird replied. “Anything is better than death.”
 “Yes, that’s true,” Stuart agreed.」(p.63)
「「下を見ないことよ」とマーガロは答えた。「そしたら眩暈もしないはずだわ」
 「胃がおかしくなったみたいだ」
 「おかしくなるくらい、なんてことない」鳥は言った。「なんにしたって死ぬよりはましだわ」
 「たしかに」スチュアートは頷いた」

「“I ‘ay, ‘ook in ‘entral ‘ark,” said Mr. Clydesdale.
 “He says look in Central Park,” explained Dr. Carey, tucking another big wad of gauze into Mr. Clydesdale’s cheek. “And it’s a good suggestion. Oftentimes people with decayed teeth have sound ideas. Central Park is a favorite place for birds in the spring.”」(p.77)
「「へんとらるはーくをははふとひい」とクライデスデール氏。
 「『セントラル・パークを探すといい』だってさ」と、ケアリー先生はガーゼのかたまりをもうひとつクライデスデール氏の頬に詰め込みながら説明した。「良い考えだと思うよ。虫歯のひとってのは悪くないアイディアを持ってるものなんだ。春のセントラル・パークは鳥たちのお気に入りさ」」

 スチュアートはこの医者から譲り受けた超精巧なミニチュアの車で旅をするのだが、ネズミが車を乗り回して旅をしている姿はいかにも珍妙で、行く先々で人びとの注目を浴びている。

「At the edge of the town he found a filling station and stopped to take on some gas.
 “Five, please,” said Stuart to the attendant.
 The man looked at the tiny automobile in amazement.
 “Five what?” he asked.
 “Five drops,” said Stuart.」(p.125)
「街の端っこで、彼はガソリンスタンドを見つけ、補給のために立ち寄った。
 「五つ、頼むよ」スチュアートは従業員に言った。
 男は驚嘆しつつ極小の自動車を見やった。
 「五つの、なんだって?」男は尋ねた。
 「五滴」スチュアートは言った」

「After breakfast he left his car hidden under a skunk cabbage leaf and walked up to the post office. While he was filling his fountain pen from the public inkwell he happened to glance toward the door and what he saw startled to him so that he almost lost his balance and fell into the ink.」(p.106)
「朝食後、彼は車をミズバショウの葉の陰に隠すと、郵便局へと歩いていった。公共インク壺で万年筆を満たしていると、ドアのほうが目に入り、そこで目にしたものにあんまり驚かされたので、危うくバランスを崩してインクのなかに落ちるところだった」

 出ていった恋人(候補)のマーガロを探す、という、高尚な理由で旅をしているスチュアートではあるが、行く手で美女に出会うと全力で口説くなど、児童文学的にこれはどうなの、と思ってしまうほどの伊達男ぶりを発揮していて、大変笑える。

「Let me be perfectly blunt: my purpose in writing this brief note is to suggest that we meet. I realize that your parents may object to the suddenness and directness of my proposal, as well as to my somewhat mouselike appearance, so I think probably it might be a good idea if you just didn’t mention the matter to them. What they don’t know won’t hurt them. However, you probably understand more about dealing with your father and mother than I do, so I won’t attempt to instruct you but will leave everything to your good judgment.」(pp.109-110)
「率直に申し上げましょう。この短い手紙の目的は、わたしと会ってみないか、と提案することなのです。きっと貴女のご両親は、この誘いのあまりの唐突さと直接さ、さらにはわたしの、どういうわけかネズミのような外見についても反対することでしょう。いっそのこと、ご両親にはなにも言わずにいるのがよろしいかと思います。彼らの知り得ないことは彼らを傷つけはしません。とはいえ、お父君とお母君とのことは貴女のほうが、わたしなどよりもよほどよくご存知でしょうから、講釈を垂れるのはよし、貴女のご判断に任せることにいたしましょう」

「“Not at all, glad to do it,” said Stuart. “I only wish we had better weather. Looks rather sticky, don’t you think?” Stuart was trying to make his voice sound as though he had an English accent.」(p.119)
「「ちっとも、喜んで」スチュアートは言った。「ただ、もっと良い天気ならよかったのだけれど。なかなかどんよりしていると思わないかい?」スチュワートはイギリス訛りのあるような声を出そうと努めていた」

 スチュアートは英国紳士を装うアメリカ野郎らしく、いちいち真剣な口説き方をしていて、その身の入れようは同情すら誘う。だが、もちろん振られることになり、そのとき彼は旅の目的を思い出すのだ。いやいや、そもそも忘れんなよ、と言いたくなるところだが。

「“Which direction are you headed?” he asked.
 “North,” said Stuart.
 “North is nice,” said the repairman. “I’ve always enjoyed going north. Of course, south-west is a fine direction, too.”
 “Yes, I suppose it is,” said Stuart, thoughtfully.
 “And there’s east,” continued the repairman. “I once had an interesting experience on an easterly course. Do you want me to tell you about it?”
 “No, thanks,” said Stuart.」(pp.128-129)
「「どっちの方角に向かってるんだい?」彼は尋ねた。
 「北さ」とスチュアート。
 「北はいい」とその修理工は言った。「北に行くのはいつも楽しいもんだ。もちろん、南西だっていい方角だけどね」
 「うん、そうだろうね」スチュアートは考えこんだ様子で言った。
 「それから東だ」修理工は続けた。「東に向かっていたとき、おもしろい体験をしたことがあるんだ。聞きたい?」
 「いや、けっこう」スチュアートは言った」

「“There’s something about north,” he said, “something that sets it apart from all other directions. A person who is heading north is not making any mistake, in my opinion.”」(p.129)
「「北ってのにはなにかある」彼は言った。「ほかの方角から隔たったなにかが。おれに言わせると、北に向かう連中ってのは、まちがいを犯したりしないもんだ」」

 浮気者のスチュアートがどんなふうに出ていった想い人と再会するのか、それはこの本では語られてはいない。いわゆる「開かれた幕切れ」というやつで、彼の旅は長く続くという示唆とともに、この本は閉じられることになるのである。

「“I know all these places well. They are a long way from here – don’t forget that. And a person who is looking for something doesn’t travel very fast.”」(p.131)
「どこも見知った場所ばかりだ。ここからはかなり距離がある。――そのことをゆめ忘れなさんな。なにかを探してるやつってのは、先を急いだりはしないもんだよ」

 きっちりと物語としてまとめられた『Charlotte's Web』とは異なり、この『Stuart Little』は言わばもっとずっと散漫で、そのぶん作者のユーモラスな人柄がはっきりと出ているような印象を抱いた。スチュアートの旅がどんなふうに終わるのかは読者の想像に委ねられている。まるで未完の小説のようなので、べつの作家による続編や、作者が書きためていた幻の遺稿などが出てきてもぜんぜんおかしくない作品である。このある種の完成度の低さ、われわれに与えられた解釈の幅には、これからも多くの愛着が寄せられることだろう。

Stuart Little 60th Anniversary Edition (full color)

Stuart Little 60th Anniversary Edition (full color)

 

 邦訳は以下。

スチュアートの大ぼうけん

スチュアートの大ぼうけん