BとIとRとD
親しい友人の強い薦めで手に取った本。その友人に薦められると、どんな本でも躊躇なく手に取ってしまうから不思議だ。
よい意味で、とても狂った絵本である。一般的に絵本に求められるような要素が、ここにはなにひとつない。いわゆる「大人のための絵本」というのともちがう。酒井駒子のすばらしい絵はともかくとして、この本に書かれていることを楽しいと思うのは、童心を捨てておらず、言葉の持つ詩情に敏感なひとだけだと思う。『ふふふん へへへん ぽん!』を思い出す。薦められた際、「あなた、この本ぜったい好きだよ」と言われたことを思い出して、いま誇らしくなっている。
「カラカラと小さな乳母車をおして、□(しかく)ちゃんが入ってきました。乳母車の中には、鼻の赤いウサギ、とんがった口のクマ、お腹がグニャグニャのチーターが乗っています」
□ちゃんはとてもよく泣く。それも唐突に。そのときの泣き方が「ウォー」だったり、「ワァワァ」だったり、「ウーウー」だったりする。小さな女の子が「ウォー」と泣く感じ、大人の立場で冷静に考えてみればぜんぜん大したことではなくっても、小さな世界に生きる彼女にとってはこの世の終わり。そういった感覚がこの「ウォー」には凝縮されていて、とても響いてくる。作為的なところなんて欠片もなく、これはまちがいなく自分にも親しんだことのある、でもどういうわけかずっと忘れてしまっていた子どもの感覚なのだ。潜在的な子どもが潜在的な子どものために書いた本、といった感じ。どれだけ年齢を重ねても、わたしたちのなかには常に、かつて小さな世界に生きていたころの自分がいる。
「「カミナリ、幼稚園に、おちるかな」
「おちるかな」
「カミナリおちたら、クロコゲになるね」
「なるね」」
「□ちゃんと親しいもの
□ちゃんのコップさん
□ちゃんのスプーンさん
缶の中のバラバラのボタンさん
キリンみたいな積み木さん
朝ポーラーポッポ―と歌うハトさん
象の絵のついたカンバンさん
知らないうちに入っている
ポケットの中の小さなゴミさん」
さきほどの「お腹がグニャグニャのチーター」もすごいけれど、「朝ポーラーポッポ―と歌うハトさん」もすさまじい。この言語感覚にはひたすら圧倒される。もちろん絵もすてきなのだけれど、ぜひ言葉のほうにも注目してほしい。というか、どちらかに切り離せるというようなものでもない。二度つづけて読んだ。本棚の手に取りやすいところにずっと置いておきたい一冊である。