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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

The Machine Stops

 またしてもすこし時間が空いてしまった。英語で本を読むとき、読むのにかかる時間は日本語の本よりもほんの少し長いくらいなのだけれど、それを記事にしようとすると、なんだか拙い訳文を付けずにはいられなくなって、結果的に読むのの倍以上の時間がかかってしまう。無理に訳そうとするのをやめればいい、というだけの話なのだけれど、でも、英語で読んだ印象を日本語に置き換えようとするのは、ちょっと楽しい作業なのである。

The Machine Stops (Penguin Mini Modern Classics)

The Machine Stops (Penguin Mini Modern Classics)

 

E. M. Forster, The Machine Stops, Penguin Mini Modern Classic, 2011.


 わたしの愛するフォースターの、なんとユートピア文学である。本自体は100ページにも満たないぺらっぺらのもので、読み終えたのもじつはずいぶん前のことだ。フォースターとユートピア、というのは、どうも馴染まない取り合わせではあるが、たとえばモーパッサンなども「L'Endormeuse」のようなユートピア的短篇を書いていたりと、こういう意外な作家が傑作を残していることがある。ユートピア文学というのは、なにもSF作家のものというわけではないのだ。

「There were buttons and switches everywhere – buttons to call for food, for music, for clothing. There was the hot-bath button, by pressure of which a basin of (imitation) marble rose out of the floor, filled to the brim with a warm deodorized liquid. There was the cold-bath button. There was the button that produced literature. And there were of course the buttons by which she communicated with her friends. The room, though it contained nothing, was in touch with all that she cared for in the world.」(pp.6-7)
「そこらじゅうにボタンやスイッチがあった。食べものを、音楽を、衣服を呼び寄せるボタン。風呂のボタンもあり、押すだけで大理石(ふうの)の湯船が、温かい無臭の液体をいっぱいに湛えた状態で、床からせり上がってくる。水風呂のボタンもあった。文学を与えてくれるボタンもあった。もちろん、友人と交流するためのボタンもあった。部屋にはなにもなかったが、それでも彼女の関心を惹くすべてが、手の届く範囲内にあったのだ」

「The bed was not to her liking. It was too large, and she had a feeling for a small bed. Complaint was useless, for beds were of the same dimension all over the world, and to have had an alternative size would have involved vast alterations in the Machine.」(p.8)
「ベッドは彼女の気に入らなかった。大きすぎて、小さいベッドが欲しかった。だが、苦情は意味を為さなかった。ベッドは世界中どこでも同じ寸法のもので、別のサイズを用意するには、マシンに対する大がかりな調整を必要としたからである」

 この世界ではすべてがマシン(大文字のMではじまる)の支配下にあり、汚染された地表にはもう住むものもなく、人びとは地中深いところでマシンに頼った生活を送っている。だれもが地中の小部屋のなかで、マシン越しに他者と交流している世界だ。

「By her side, on the little reading-desk, was survival from the ages of litter – one book. This was the Book of the Machine. In it were instructions against every possible contingency. If she was hot or cold or dyspeptic or at a loss for a word, she went to the book, and it told her which button to press. The Central Committee Published it. In accordance with a growing habit, it was richly bound.」(pp.8-9)
「彼女のそば、小さな机のうえには、混迷の時代の生き残り、一冊の本が置かれていた。それはマシンの説明書で、予期されうるあらゆる緊急事態への対応策が書かれていた。暑かったり寒かったり、消化不良だったり言葉が出てこないような折々、この本を開くだけで、どのボタンを押すべきかを教えてくれた。中央委員会が刊行したものだ。習慣にのっとり、豪奢に装幀されていた」

「Above her, beneath her, and around her, the Machine hummed eternally; she did not notice that noise, for she had been born with it in her ears.」(p.9)
「彼女の上方で、また下方で、取り囲むように、マシンは微かな音を立てていた。彼女がその雑音に気がつくことはなかった。生まれたときから、耳のなかにはその音が響いていたのだ」

「Homelessness means death. The victim is exposed to the air, which kills him.」(p.22)
「宿無しは死を意味した。犠牲者は外気へと投げ出され、生命を奪われるのだった」

 そんななか、主人公ヴァシュティの息子、クノだけが、その支配体制に疑問を投げかけていた。彼は母親に、自分のところに来てくれとせがむ。マシン越しの会話ではだれに聞かれているかもわからないので、自分の思っていることを口にできないというのだ。

「'I want you to come and see me.'
 Vashti watched his face in the blue plate.
 'But I can see you!' she exclaimed. 'What more do you want?'
 'I want to see you not through the wearisome Machine.'
 'Oh, hush!' said his mother, vaguely shocked. 'You mustn't say anything against the Machine.'
 'Why not?'
 'One mustn't.'
 'You talk as if a god had made the Machine.' cried the other. 'I believe that you pray to it when you are unhappy. Men made it, do not forget that. Great men, but men. The Machine is much, but it is not everything. I see something like you in this plate, but I do not see you. I hear something like you through this telephone, but I do not hear you. That is why I want you to come. Come and stop with me. Pay me a visit, so that we can meet face to face, and talk about the hopes that are in my mind.'」(pp.3-4)
「「会いに来てほしいんだ」
 ヴァシュティは青い盤に映る息子の顔を見つめた。
 「でも、こうして会っているじゃないの!」と声をあげる。「これ以上どうしてほしいっていうの?」
 「直接会いたいんだ。こんな鬱陶しいマシンごしじゃなくって」
 「ちょっと!」母親は呆れて言った。「マシンのことを悪く言っちゃだめ」
 「どうして?」
 「どうしても、よ」
 「まるでマシンが神さまに創られたみたいな物言いだね」と息子が叫んだ。「不幸をかこって、母さんがあれに向かって祈っていたとしても驚きやしないよ。人間が創ったんだ、そのことを忘れちゃだめだ。もちろん偉大な人間が、だけど、それでも人間だ。たしかに、マシンは大したもんだよ、でもこれがすべてってわけじゃない。この盤をとおして、母さんに似たなにかを見ることはできても、母さんに会ってるわけじゃない。この電話ごしに、母さんの声みたいなものが聞こえるけれど、それは母さんじゃないんだ。だから、会いに来てほしいんだよ。こっちに来て、泊まっていってほしいんだ。来てくれれば、顔と顔を突き合わせて、ぼくの頭にある希望を打ち明けることもできる」」

「'Mother, you must come, if only to explain to me what is the harm of visiting the surface of the earth.'
 'No harm,' she replied, controlling herself. 'But no advantage. The surface of the earth is only dust and mud, no life remains on it, and you would need a respirator, or the cold of the outer air would kill you. One dies immediately in the outer air.'」(pp. 5-6)
「「母さん、来てくれなくっちゃ。地表がどんなふうに有害かを、ぼくに説明したいんだったら」
 「べつに害なんてないわ」と、彼女は動揺を隠して応えた。「でも、利点もないもの。地表にはもう灰と泥しかないし、もう生きものなんていないのよ。呼吸器なしでは、外の病原菌に殺されてしまうわ。空気に触れた途端に死んでしまうのよ」

 ヴァシュティは人びとのなかでもさらに先進的な人間を自負していて、そのため大衆相手に講演すらおこなっている思想的リーダーの一人なのだが、息子のわがままに応えて、ついにクノのもとを目指すことになる。

「Vashti was seized with the terrors of direct experience.」(p.11)
「ヴァシュティは直接体験というものの恐怖に駆られた」

「Few travelled in these days, for, thanks to the advance of science, the earth was exactly alike all over. Rapid intercourse, from which the previous civilization had hoped so much, had ended by defeating itself. What was the good of going to Pekin when it was just like Shrewsbury? Why return to Shrewsbury when it would be just like Pekin? Men seldom moved their bodies; all unrest was concentrated in the soul.」(p.13)
「旅行などするのは、このごろでは限られたひとだけだった。科学の進歩のおかげで、地球はどこへ行ってもまったく同じ様相を呈していたのだ。前時代には大きな期待を寄せられた高速交通機関も、みずからを無価値なものとすることで終わりを告げた。シュルーズベリーとまったく同じだというのに、いったいなんのためにピーキンへ行くというのか? ピーキンとまったく同じだというのに、どうしてシュルーズベリーに戻ろうというのか? 人類は身体を動かすことをやめ、すべては精神の鍛錬へと収斂されていった」

 旅行という「直接体験」の無価値さに辟易しながらも、ヴァシュティは太陽と出会うのだが、その描写がいちいちすばらしかったので、忘れずに引いておきたい。

「Night and day, wind and storm, tide and earthquake, impeded man no longer. He had harnessed Leviathan. All the old literature, with its praise of Nature and its fear of Nature, rang false as the prattle of a child.」(pp.13-14)
「夜も昼も、風も嵐も、潮流も地震でさえ、もはや人類の妨げとはならなかった。ひとはリヴァイアサンさえも飼い慣らしたのだ。自然への礼讃や恐怖を語るあらゆる古き文学は、いまやどれも子どもの戯言のように響いた」

「When the air-ships had been built, the desire to look direct at things still lingered in the world. Hence the extraordinary number of skylights and windows, and the proportionate discomfort to those who were civilized and refined. Even in Vashti's cabin one star peeped through a flaw in the blind, and after a few hours' uneasy slumber, she was disturbed by an unfamiliar glow, which was the dawn.」(p.16)
「飛行船が開発されたときには、直接ものを見たいという欲求が、まだ世の中にくすぶっていたのだった。異常な量の天窓や側窓、文明化され洗練された人間にとっては不愉快でしかないものの数々は、そんなふうにして準備された。ヴァシュティの客室でも、日除けの隙間から星が瞬いていて、数時間の落ち着かないまどろみののち、彼女は未知の光に目覚めさせられた。夜明けだった」

「The sun had conquered, yet it was the end of his spiritual dominion. Dawn, midday, twilight, the zodiacal path, touched neither men's lives nor their hearts, and science retreated into the ground, to concentrate herself upon problems that she was certain of solving.」(p.17)
「太陽は征服され、それはその精神的支配の終焉でもあった。暁も正午も黄昏も黄道帯も、もはやひとの心に触れることもなければ、どんな影響も与えはしない。科学は地中深くへと避難し、いつか解明できることが確実な問題の数々に集中するようになったのだった」

 そしてようやく出会ったクノは、衝撃的なことばかり口走り、母親を戦慄させることになる。

「'You are beginning to worship the Machine,' he said coldly. 'You think it irreligious of me to have found out a way of my own. It was just what the Committee thought, when they threatened me with Homelessness.'
 At this she grew angry. 'I worship nothing!' she cried. 'I am most advanced. I don't think you irreligious, for there is no such thing as religion left. All the fear and superstition that existed once have been destroyed by the Machine.'」(p.23)
「「マシン崇拝をしようっていうんだね」息子は冷たく言い放った。「自分なりのやり方を見つけようとするっていうのは、不信心なことだって思ってるんでしょう。宿無しでぼくを脅したときの、委員会がそうだったよ」
 それを聞いて母親は怒りを覚えた。「わたしはなにも崇拝なんてしてないわ!」と叫ぶ。「わたしは先進的な人間なのよ。あなたのことを不信心だなんて思わない。信仰なんて概念は、もう残っていないんだから。かつて存在したすべての恐怖や迷信は、マシンによってとっくに取り除かれているのよ」」

「The Machine hums! Did you know that? Its hum penetrates our blood, and may even guide our thoughts. Who knows!」(p.28)
「マシンは音を立てているんだよ! 知っていた? その音はぼくらの血にまで染み渡っていて、なんなら考えまで左右しているんだ。そうじゃないって、どうして言い切れるのさ!」

「Cannot you see, cannot all you lecturers see, that it is we that are dying, and that down here the only thing that really lives is the Machine? We created the Machine, to do our will, but we cannot make it do our will now. It has robbed us of the sense of space and of the sense of touch, it has blurred every human relation and narrowed down love to a carnal act, it has paralysed our bodies and our wills, and now it compels us to worship it. The Machine develops – but not on our lines. The Machine proceeds – but not to our goal. We only exist as the blood corpuscles that course through its arteries, and if it could work without us, it would let us die.」(pp.33-34)
「わからないの? あなたたち講演者にはわからないっていうの? 死に絶えていっているのはぼくらのほうで、この地中でほんとうに生きているのはマシンだけだってことが? 自分たちの望みを遂げるため、ぼくらがマシンを創ったのに、もうそんなことは命じられなくなっているんだよ。空間の感覚も、触覚さえ奪われてしまった。人びとの関係性はぼやけてしまっていて、愛なんてもう単に肉欲のことでしかない。ぼくらの肉体も意志も麻痺してしまっていて、いまじゃ崇拝を強制されているんだ。たしかに、マシンは発展してきた。でも、ぼくらのためにじゃない。マシンは進化しつづける。でも、ぼくらの目標に向かってじゃないんだ。ぼくらはもうマシンの動脈をうろつく血球でしかなくって、不必要となったら、すぐさま見捨てられるにちがいないんだ」

 機械文明の終焉が、その黎明期にすでにこんなふうに描かれていたというのが、おもしろいではないか。

「respirators were abolished, and with them, of course, terrestrial motors, and except for a few lecturers, who complained that they were debarred access to their subject-matter, the development was accepted quietly.」(p.39)
「呼吸器は撤廃され、それとともにもちろん、地表用の車もなくなった。ごく少数の講演者たち、研究対象に近づくことを禁止された人びとを除いて、さしたる反対もなく、その進歩は静かに受け入れられた」

「No one confessed the Machine was out of hand. Year by year it was served with increased efficiency and decreased intelligence. The better a man knew his own duties upon it, the less he understood the duties of his neighbour, and in all the world there was not one who understood the monster as a whole. Those master brains had perished. They had left full directions, it is true, and their successors had each of them mastered a portion of those directions.」(p.43-44)
「マシンがすでに手がつけられないとは、だれもわざわざ言いはしなかった。年々、マシンはより効率的に、より知性を伴わないかたちで役立てられるようになった。ある者がマシンに対するおのれの役割を理解すればするほど、隣人の役割への無理解が甚だしくなっていき、もはやこの化物を全的に理解するものなど、世にひとりもいなくなってしまったのだ。偉大な知性はみな死に絶えてしまっていた。たしかに、彼らは方向性を提示することはした。そして後継者たちはそれら別々の方向性の、ある一部分にのみ特化していったのである」

 なかでもおもしろかったのが、「直接」というものを徹底的に恐れる人たちの、考えそのものに対する態度である。

「Let your ideas be second-hand, and if possible tenth-hand, for then they will be far removed from that disturbing element – direct observation. Do not learn anything about this subject of mine – the French Revolution. Learn instead what I think that Enicharmon thought Urizen thought Gutch thought Ho-Yung thought Chi-Bo-Sing thought Lafcadio Hearn thought Carlyle thought Mirabeau said about the French Revolution.」(p.40)
「考えなんてものは、二番煎じのほうが良い。十番煎じだったら、なおよろしい。そうすれば直接観察という厄介な要素から、距離を置くことができるから。わたしの研究テーマ、フランス革命について学ぶのはよしなさい。その代わりに、ミラボーフランス革命に関して言ったことについてカーライルが考えたことについてラフカディオ・ハーンが考えたことについてチ・ボー・シンが考えたことについてグッチが考えたことについてユリゼンが考えたことについてエニシャルモンが考えたことについてわたしが考えたことを学ぶとよいでしょう」

「You who listen to me are in a better position to judge about the French Revolution than I am. Your descendants will be even in a better position than you, for they will learn what you think.」(pp.40-41)
「わたしの話を聞くことのできるあなたは、フランス革命についてわたしよりも公正な判断を下せる立場にある。あなたの子孫はさらに良い立場にある。彼らはあなたが考えたことを学ぶことができるのだから」

 そして、タイトルにあるとおり、もちろん最終的には破局が訪れるのだが、そこから先は自分で読んでみてもらいたい。マシンの音が止まった世界で、人びとは精神の危機と対峙するのだ。

「Other stood at the doors of their cells fearing, like herself, either to stop in them or to leave them, and behind all the uproar was silence – the silence which is the voice of the earth and of the generations who have gone.」(p.52)
「ほかの者たちは彼らの監獄の戸口で立ったまま、彼女のように恐怖におびえて、人びとに混ざるべきか、それともその場に留まるべきかの選択に迫られていた。咆哮の背後には静寂があった。大地の、あるいは失われた時代の声とも呼べそうな静寂が」

 ところで、このごく薄い本にはもう一篇の短篇が収録されている。「The Celestial Omnibus」というのがそれで、「Omnibus」は日本語の「オムニバス」という語が邪魔をして、すぐに結びつかないかもしれないが、もともとは「バス(bus)」の語源、「乗合馬車」のことである。そう、いくつかの短篇集の表題にもなっている、「天国行きの乗合馬車」のことだ。

「The boy who resided at Agathox Lodge, 28, Buckingham Park Road, Surbiton, had often been puzzled by the old sign-post that stood almost opposite. He asked his mother about it, and she replied that it was a joke, and not a very nice one, which had been made many years back by some naughty young men, and that the police ought to remove it. For there were two strange things about this sign-post: firstly, it pointed up a blank alley, and, secondly, it had painted on it, in faded characters, the words, ‘To Heaven’.」(p.57)
「サービトンのバッキンガム公園通り、28番地、アガソックス・ロッジに住む少年は、ほぼ真向いに位置する古ぼけた標識に、しょっちゅうどぎまぎさせられていた。母親に訊いてみたところ、あれは単なる冗談、それもまずい類のやつだという。何年も前にたちの悪い若者連中がでっちあげたものだそうで、警察はさっさと処分してしまうべきなのだ、と。この標識にはふたつばかり奇妙な点があった。まず、からっぽの小路を指しているということ。それから、色あせた文字で、こんなことが書かれていたのだ。『天国行き』と」

「They had been ascending, too, in a most puzzling way; for over two hours the horses had been pulling against the collar, and even if it were Richmond Hill they ought to have been at the top long ago.」(p.68)
「馬車を引く馬たちも、上昇していた。それも、とびきりおかしなふうに。馬たちはもう二時間以上も首のところを引っ張っらせているのだった。リッチモンドの丘だったとしても、とっくに頂上に着いているはずだった」

「'What’s that about me?' said Mr Bons. Sitting up in his chair very suddenly.
 'I told them about you, and how clever you were, and how many books you had, and they said, "Mr Bons will certainly disbelieve you."'」(p.74)
「「わたしのことが、なんだって?」ボンズさんが言った。唐突に、椅子のなかで身を正しながら。
 「ボンズさんがどんなに頭のいいひとで、どんなにたくさんの本を持っているかって話をしたんですよ。そうしたら、彼らはこう言うんです。「ボンズさんはきみのことを信じてはくれないでしょうね」」

 こちらの短篇にはいろいろな作家名が登場してきて、発表年はそんなに古くもないのに、なんだか『天使も踏むを恐れるところ』よりもずいぶん粗削りな、いわゆる若書き、という印象を覚えた。「たくさんの本を読んでいる作家なんですよ」と世間に思われたい、というような変な色気が感じられてしまって、正直あんまり感心しない(そういうのは書かないほうがいいに決まっている)。とはいえ、トーマス・ブラウンの名前が出てきたのには、最近またボルヘスを読むようになっているので、はっとした。

 これらの短篇はみすず書房の『E・M・フォースター著作集第5巻』にも訳出されているので、興味のあるひとにはぜひ手に取ってみてもらいたい。フォースターの短篇は、もっと手に取りやすいかたちで刊行されていてもよさそうなものだ。

The Machine Stops (Penguin Mini Modern Classics)

The Machine Stops (Penguin Mini Modern Classics)

 
短篇集〈1〉天国行きの乗合馬車 (E.M.フォースター著作集 5)

短篇集〈1〉天国行きの乗合馬車 (E.M.フォースター著作集 5)