Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

テレビの罠――コイズミ現象を読みとく

最近「良書」ばっかり読んでいるな、と思っていた矢先に不意打ちを受けました。
久々にこんなにひどい本を読んだ。びっくりしました。

大学の友人に薦められて買ったものの、ものすごい金の無駄をした気がします。
友人が冗談で薦めていた可能性に期待するばかりです。ひどい。 

テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)

テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)

 

香山リカ『テレビの罠――コイズミ現象を読みとく』ちくま新書、2006年3月。


2005年の9.11総選挙の原因を追うルポルタージュです。ワイドショーを見ているようなもので、『新聞ダイジェスト』を一冊買えば読む必要はないです。

まず、引用が多すぎる。本文中の半分以上は引用で成り立っているような本です。
必ずしも適切な引用というわけではなくて、不要なものも多い。大学一年生のレポートみたいです。

さらにそれらの引用に対する「まとめ」が単なる繰り返しになっている。「同じことを何度も繰り返す」と言って小泉を批判するくせに、自問はしなかったのだろうか。

専門的な意見があまりにも少なすぎることも目に付きました。どの章から読んでも問題なく理解できます。それくらい言っていることが軽い。

一番腹立たしかったのは終章で、ジジェクデリダラカンの名が散見できます。
本当に読んだのかもしれないけど、単なる彼らの注釈書の焼き直しのような文章です。個人的な見解を一切入れずに一般論としての「脱構築」や「鏡像」を持ち出し、それらを適用させることの無理を語り否定する。これが学者の仕事でしょうか?
デリダを原文で読んで、自分なりの見解をもってそれを批判するのならまだしも、翻訳すら全て読んでいないであろう人間が軽々しく否定なんかしないで欲しい。自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなります。

「おわりに」に述べられている自分の正当化も見苦しいです。テレビに取り上げられること無しに、著者のような人間が「識者」として持ち上げられることなど絶対に無いということに気付いて欲しい。

取り上げているトピックは広く語られるべきことなので、それらの問題を研究する上での文献目録として利用することはできると思います。末尾に参考文献欄があれば評価も少しは変わったかもしれません。が、買う必要はないというのが率直な感想です。

香山リカの本を読んだのは初めてだったのですが、方々から批判を受けている理由は理解できました。『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書)も読もうと思っていたのですが、買う気が失せました。中古で安く手に入ったら、ここで取り上げられるかもしれません。 

テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)

テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)