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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

日々の泡

レーモン・クノーによって「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評された、ボリス・ヴィアンの代表作。

日々の泡 (新潮文庫)

日々の泡 (新潮文庫)

 

ボリス・ヴィアン(曾根元吉訳)『日々の泡』新潮文庫、1970年。


まず断っておかねばならないが、これにはもう一つの訳書がある。早川書房の出している『うたかたの日々』(伊東守男訳、1979年)がそれで、こちらは個人的にはひどく読み辛かった。後述するヴィアンの言葉遊びに忠実であろうとするあまり、非常にテンポの悪い意味の通らない日本語になっている部分が多々あったように思える。それに比して『日々の泡』はいくらか読みやすかったため、ここではこちらに沿って解説を続けたい。

ヴィアンの言葉遊びは翻訳家を苦しめるものだろう。ジャン=ポール・サルトルがジャン=ソール・パルトルと呼ばれているのを始めに、様々な造語や創造物が小説全体を飾っている。そのユーモアの影に潜んだ真意を完全に理解することは、読者にも訳者にも、研究家にすらできないだろう。

「太陽もまたクロエを待っていたが、太陽には、物の影をこさえたり、適当な隙間から野生のいんげん豆の芽をふかせたり、鎧戸を閉めさせたり、パリ電力会社社員の迂闊さのせいで灯っている街路燈を恐縮させたりして、あそぶこともできたのだ」(62ページ)

結局のところ、ボリス・ヴィアンほど翻訳で満足できない作家は稀だろう。それでも悲痛なストーリーと、それを語る知性は十分に届いた。翻訳に踏み切っただけで、上述の二人は既に称賛に値する。

理解できない箇所も多かったものの、楽しめた。それ自体奇跡みたいな話だ。

「人はそう変わるもんじゃない。変わるのは物事だよ」(250ページ)

日々の泡 (新潮文庫)

日々の泡 (新潮文庫)

 
うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

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