Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

マノン・レスコー

フランスロマン主義文学、不朽の名作。

マノン・レスコー (新潮文庫)

マノン・レスコー (新潮文庫)

 

アベ・プレヴォー(青柳瑞穂訳)『マノン・レスコー新潮文庫、1956年。


ロマン主義文学を読む時、自らの恋慕の情を投影しない者があるだろうか。『マノン・レスコー』における共感の念は、勿論極めて個人的なものではあるが、私自身の感情を掻き乱さずにはいなかった。

一途な想い以外の何も持たないデ・グリュウに、不貞と浪費の限りを尽くし尚「汚れを知らぬ少女のように可憐な娼婦」マノン。恋愛の不合理性をまざまざと描きながら、それでも愛に至上の価値を見出だそうとする作家を、誰に笑い飛ばすことができるだろうか。

「恋よ!恋よ!汝は永久に知恵とは和解しないのだろうか?」(234ページ)

それがセンチメンタルに過ぎないことをわかっていながらも、デ・グリュウの想いを共有せざるを得なかった。ツルゲーネフ『父と子』に描かれたバザーロフのように振る舞うことが、果たして万人に可能だろうか。人はデ・グリュウになる。そしてマノンのような軽薄な女を、それが恥辱であることを重々承知しながらも愛し続けるのだろう。

「なるほど、私以外のひとびとが尊重するようなものを私はことごとく失っていた。しかし、私は唯一の宝物として尊重するマノンの心をわがものにしていた。ヨーロッパに住む、アメリカに住むというが、もし私が自分の恋人と幸福に暮せることが確実なら、どこに住もうが私になんのかかわりがあろう?愛しあう恋人同士にとっては、宇宙全体が祖国ではないだろうか?」(262~263ページ)

デ・グリュウを否定する者は恋慕の情を知らぬ者だろう。そして彼もマノンも、現代に尚息づいている我々自身なのだ。

「アベ・プレヴォーは一人の女を創り出したのである。今までにかつてなかったタイプの女、ダンテや、シェイクスピアや、ゲーテなどによって創造された女性群とはまったく別の世界の女なのだ。それは夜のパリの片隅にしか生きていないような、白粉とルージュで粉飾された女でしかなかったのに、今日では、傑作という永遠のかがやかしい光明に照らし出されながら、芸術の聖堂の中に生きているのである。ベアトリーチェや、ジュリエットや、マルガレーテたちと仲よく手をつないで、世界の偉大な恋人たちを代表しているのである。この娼婦、なんという果報者なのだろう」(解説、300~301ページ)

読む人によっては下らない恋愛小説にすぎないのかもしれないが、自分にとってこれはまさしく不朽の名作である。

マノン・レスコー (新潮文庫)

マノン・レスコー (新潮文庫)