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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

出版社と書店はいかにして消えていくか

『出版業界の危機と社会構造』を著した小田光雄の、その前身となった出版業界論。

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

 

小田光雄『出版社と書店はいかにして消えていくか』ぱる出版、1999年。


前に紹介したものと同様に、相変わらず愚痴に満ちた本。それでも読まずにはいられないのは、現在の出版業界を取り巻く危険を真摯に受け止めた本が少なすぎるからだろう。

データが若干古いのは当たり前だが、論題自体に古さは全く感じられない。つまり、出版業界をめぐる環境が99年からほとんど変化していないのである。再販制の是非をめぐる議論は進歩していないし、危機的状況も改善されてはおらず、むしろ劇的に悪化してきている。古くから受け止めなければならない問題として認識している人はいるのにも関わらず、現実には何一つ改革の起こっていない話題というのも珍しい。

再販制と委託制の是非に関しては『出版業界の危機と社会構造』と同じことが言われている。正しくは『出版業界の危機と社会構造』にて繰り返されたと言うべきだろう。こちらではそれらの制度の起源となった、明治から昭和に至るまでの出版業界の流通の変遷が挙げられ、現在も尚続く「悪習」の原因を突き止めようとしている。

正直、制度の歴史を振り返る必要があったのかどうかわからない。紙幅をそれに割きすぎてしまい、本質となるべき現況の打破が語られていないのも気になる。結局、『出版業界の危機と社会構造』と同様、問題定義と批判は痛烈に行われているが、具体的な解決策は見られないまま議論が終わってしまっている。批判本である。

本文中では読者が「近代読者」と「現代読者」に二分され、前者は文学や思想書を好み古書店(神田神保町など)にも足繁く通う読者、後者はベストセラーなどを追い続け、限りなく流行に左右されやすい新古書店ブックオフなど)を好む軽めの読者と定義されている。「近代」「現代」云々はともかく、現在書店を訪れる人々がこのように二極化しているのは確かだろう。そして前者は減少傾向にあり、後者はこれからも間違いなく増え続ける。著者は現況を憂い、自分たちの出版する少部数の人文書の売れ行き不振の原因としているが、重要なのは「現代読者」たちがベストセラーやブックオフに流れている理由だろう。

そもそも「現代読者」発生の起源も、著者が唱えているように再販制と委託制にある。ブックオフはこれらの「悪習」を逆手にとってそこに利益の可能性を認め、実際にそれを成功させ読者たちに受け入れられているのだから、再販制が続く限り我々は彼らの価値を認めなければならない。書籍の価値が流動的になっていることを認めるのならば、ブックオフの存在価値を認め、それを念頭に置いた上での経営努力をしなければならないのだろう。

以前ある書店に勤めている女性が「書店は小売業界の中でも、経営努力が最も少ない業界」と言っていた。著者や彼女の言う通り、今や問題はミクロな領域ではなくマクロな領域にあるのだろう。各書店の経営努力以前に、業界の根幹システム自体に問題があるとしか思えない。再販制はいつまで続くのだろうか。 

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

 
出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

 
出版業界の危機と社会構造

出版業界の危機と社会構造