湖中の女
マーロウに会いたくなって手に取った一冊。
レイモンド・チャンドラー(清水俊二訳)『湖中の女』ハヤカワHM文庫、1986年。
浸りたくなる世界がある。それはケストナーの善良な世界のこともあれば、ディケンズの描くイギリスの時もあり、ブコウスキーの乱暴な世界のこともある。格好良い世界に行きたければ、チャンドラーに限る。ミステリー特有の謎解き要素など、一向に介さない。犯人なんて誰だっていいのだ。
「「君の態度が気に入らんね」と、キングズリーはアーモンドの果を砕いてしまいそうな声でいった。
「かまいません」と、私がいった。「そいつを売ってるわけではないんで」」(10ページ)
とうとう『湖中の女』を読んでしまった。残された長篇はあと一つ、『大いなる眠り』のみ。思えば最初は『プレイバック』だった。自分が一体どんな順番で読んでいるのか、つくづく謎である。
「フロントにいたのはタマゴ型の頭の男で、私にも誰にも何の関心もないようだった。白い麻の服を着ていて、あくびをしながら私にデスク・ペンを渡し、幼いころを思い出しているように遠くに視線を送っていた」(111ページ)
チャンドラーの描く世界では、誰もが気の利いたことを言う。時に気が利きすぎていて、現実的ではないほどだ。キザったらしいと呼ぶ人さえいる。
「彼らにとっては起こるべくして起こったことだった。あまりほめられない二人の人間のあいだのほめられない事件だ。情欲に溺れ、深酒がつづき、たがいに近づきすぎて、最後にははげしい憎悪と、殺人の衝動と、死が待っていたのだ。私はすべてがあまりにも単純すぎると思った」(189~190ページ)
次第に新しいチャンドラーが少なくなっていくのが、寂しくてならない。