Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ポトマック

小説なのかどうかもわからない。散文詩と呼ぶのがが一番適当なように思える。

ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫

ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫

 

ジャン・コクトー(澁澤龍彦訳)『ポトマック河出文庫、2000年。

 

「僕はもぐらになって仕事をした。「僕は『ラ・マルセイエーズ』ないしは『恋の愉楽』を書くことができたかもしれなかった。それなのに、僕はこの本を書いている」という文句は一つの諦めをあらわしている」(11ページ)

不思議な本だ。一貫した明確なストーリーがあるわけでもないのに、スイスイ読める。

「船ならばドックに入っているほうが、ボナパルトならば兵営時代のほうが、ダビデならば山羊の乳をしぼっている時のほうが、クリストフ・コロンブスならばパロス港にいる時のほうが、シンドバッドならばまだ自分の家にいる時のほうが、それぞれ僕には好ましかった」(12ページ)

「君のなかで世間が非難するところのものを、十分に手を入れて育てあげたまえ、それがほかならぬ君なのだから」(41ページ)

いや、前言を撤回しよう。ストーリーはあったかもしれない。ストーリーと呼べるかどうかは、ともかくとして。

「僕はまだ情欲を知らなかった。僕の情欲、それは性がまだ肉の決心に影響しない年頃には、目的に到達することでも、手を触れることでも、抱擁することでもなくて、選ばれた人間になることだった。何という孤独だ!」(179ページ)

「ある町と町のあいだに、一人の貧しい旅行者がいる。彼が町に残してきたもの、それはもう彼のものではない。彼がこれから町で求めるもの、それはまだ彼のものではない」(196ページ)

詩集だと思おう。繋がりの見え隠れする、詩集。ゲーテ『ファウスト』の如く、読む度に何かを得られるだろう。独特のデッサンも、一見の価値がある。

五年も前に読んでいたら、途中で投げ出してしまっていたに違いない。

ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫

ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫