右大臣実朝
京で『新古今和歌集』が編纂される頃、突如東の国に現れた天才歌人実朝の、悲愴な伝記。
『吾妻鏡』からの引用と、それを解釈した太宰の物語が繰り返される。実朝の発言は全て片仮名書きになっており、一見なんでもないような一言に、凄まじい寂寥感を与えている。
「相州ハ、マダ、死ニタクナイモノト見エル」(134ページ)
「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ッテヨイ」(150ページ)
ところどころに『金槐和歌集』に収められた和歌が挿入されている。和田合戦の後に詠まれたのは、あの歌だった。
「焔ノミ虚空ニミテル阿鼻地獄ユクヘモナシトイフモハカナシ」(137ページ、『金槐和歌集』雑部、652番)
実朝の見た情景が、あまりにも生々しく浮かんでくる。
「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(21ページ)
鴨長明が実朝の和歌を論ずる箇所が、非常に面白かった。語り手は長明の批判をこきおろしているが、実際、実朝の歌は恋歌よりも情景を歌ったものの方が好ましく思われる。『方丈記』を読みたくなった。
「いまはただ、大仰でない歌だけが好ましく存ぜられます。和歌というものは、人の耳をよろこばしめ、素直に人の共感をそそったら、それで充分のもので、高く気取った意味など持たせるものでないような気も致しまする」(58ページ)
語り手と公暁の会話が、もの凄いことになっている。この場面だけ、まるで別の作家が書いたかのようだった。
「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬまでも高き姿を願ひて」(151ページ)
「浮キシヅミハテハ泡トゾ成リヌベキ瀬々ノ岩波身ヲクダキツツ」(127ページ、『金槐和歌集』戀之部、447番)
実朝を理想像に掲げるのは、太宰だけじゃない。