Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

晩年

『走れメロス』中の「東京八景」にてその創作の過程が記されていた、最も初期の太宰に依る、処女創作集。

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

太宰治『晩年』新潮文庫、1947年。


最初に書かれた、太宰の遺書。粗野だと言い切っても良い。彼の文学の出発点が、手に取るようにわかる本。

以下、収録作品。
「葉」
「思い出」
「魚服記」
「列車」
「地球図」
「猿ヶ島」
「雀こ」
道化の華
「猿面冠者」
「逆行」
「彼は昔の彼ならず」
「ロマネスク」
「玩具」
「陰火」
「めくら草紙」

個人的には「葉」と「道化の華」、「逆行」、「彼は昔の彼ならず」、「ロマネスク」が好きだった。「陰火」の中の、「水車」も良い。

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」(「葉」より、7ページ)。

この有名な言葉は、「葉」の書き出しだ。「葉」は太宰が書き捨てた多くの小説の中から、捨てるには惜しい文章を拾い上げ、集めたものである。さながら詩集のような趣きがあり、時に恐ろしい文章に出会いもする。

「新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊がのろのろ這って歩いているのを見たのだ。石が這って歩いているな。ただそう思うていた。しかし、その石塊は彼のまえを歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引摺っているのだということが直ぐに判った。子供に欺かれたのが淋しいのではない。そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄が淋しかったのだ」(「葉」より、8ページ)

道化の華」の主人公は、『人間失格』のと同じ名前をしている。

「大庭葉蔵。笑われてもしかたがない。鵜のまねをする烏。見ぬくひとには見ぬかれるのだ。よりよい姓名もあるのだろうけれど、僕にはちょっとめんどうらしい。いっそ「私」としてもよいのだが、僕はこの春、「私」という主人公の小説を書いたばかりだから二度つづけるのがおもはゆいのである。僕がもし、あすにでもひょっくり死んだとき、あいつは「私」を主人公にしなければ、小説を書けなかった、としたり顔して述懐する奇妙な男が出て来ないとも限らぬ。ほんとうは、それだけの理由で、僕はこの大庭葉蔵をやはり押し通す。おかしいか。なに、君だって」(「道化の華」より、136ページ)

「翌る朝は、なごやかに晴れていた。海は凪いで、大島の噴火のけむりが、水平線の上に白くたちのぼっていた。よくない。僕は景色を書くのがいやなのだ」(「道化の華」より、148ページ)

一貫した厭世観と、優れた小説を書きたいという思いが、ひしひしと伝わってくる。

「彼等の会話には、「大」という形容詞がしばしば用いられる。退屈なこの世のなかに、何か期待できる対象が欲しいからでもあろう」(「道化の華」より、150ページ)

「美しい感情を以て、人は、悪い文学を作る」(「道化の華」より、152ページ)

全体的に短い作品が多い分、比較的分量のある「思い出」や「道化の華」、「彼は昔の彼ならず」の存在感が凄まじく感ぜられる。だが、小編も良い。第一回芥川賞の候補となった「逆行」は四篇の非常に短い小説に、一つの題を与えて一まとめにしたものだ。「陰火」も同様である。

「老人には暮しに困らぬほどの財産があった。けれどもそれは、遊びあるくのには足りない財産であった」(「逆行」より、234ページ)

太宰のその後は、『晩年』において既に予言されている。円熟した中期の作品群が、ここから生まれるというのも頷ける。

「小説というものはつまらないですねえ。どんなによいものを書いたところで、百年もまえにもっと立派な作品がちゃんとどこかにできてあるのだもの。もっと新しい、もっと明日の作品が百年まえにできてしまっているのですよ。せいぜい真似るだけだねえ」(「彼は昔の彼ならず」より、301ページ)

太宰が好きなら、読んだ方がいい。どうして彼が「富岳百景」のような傑作を書くに至ったかが、ほんの少しだけ、わかる。彼が自らの全ての生涯を捧げるつもりで、『晩年』というタイトルをつけたことからも判る通り、ここには寓話から何から、おそらく当時の太宰に語ることのできた全てが詰まっている。これだけ雑多な群れをひとまとめにしている時点で、既に十分面白い。

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)