Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

夜の果てへの旅

生田耕作が手がけた、フランス文学の巨峰、セリーヌのデビュー作。

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

 

ルイ=フェルディナン・セリーヌ生田耕作訳)『夜の果てへの旅』上下、中公文庫、1978年。


書店で働く同僚が、この本に付けていたポップを紹介したい。「壁のぼったのに、すぐそこに溝」。その通りだ。いいことなんか、一つも起こりやしない。セリーヌの描く、バルダミュの遍歴するのは、そんな世界だ。

「死刑を宣告されるにもまったくいろんなやり方があるものだ。ああ! この瞬間僕はここにいるかわりに監獄に入っていられるものなら、どんな代償だって差し出したことだろう、おれはなんて間抜けなんだ! たとえば、いくらでもできたときに、まだ間に合ううちに、先見の明でもって、どこかで、なにか盗みでもやらかしておれば。人間というやつは目先のきかんものだ! 監獄からは、生きて出られるが、戦争からはそうはいかない。戦争にくらべればほかのことはすべて、絵空事だ」(上巻、20ページ)

「想像力の持ち合わせがない場合は、死ぬこともたいした問題じゃない、そいつを持ち合わせているときは、死ぬことはたいへんなことだ」(上巻、28ページ)

読んでいてこんなにも嫌な気持ちにさせてくれる本も、そうそう無いだろう。ケストナーを読んでいて幸せな気持ちになるのと全く同様に、セリーヌは僕らを、完膚なきまでに突き落としてくれる。

「冷汗をかいた僕の心臓は、兎みたいに、肋骨の小さな柵の後ろで、跳ねたり、うずくまったり、とほうにくれたり。エッフェル塔のてっぺんから一思いに飛び降りたときは、ちょうどこんな感じがするのにちがいない。空中で後戻りしたくなるような」(上巻、58ページ)

「≪夜明け≫だ! また一日増えたのだ! また一日減ったのだ! ほかの日と同じように、またこいつをくぐり抜けることに苦労しなきゃならない、ますます狭まっていく環金みたいな、弾道と機関銃の炸裂で満たされた毎日」(上巻、75ページ)

戦争の悲惨さを描く文学は多い。だが、セリーヌが描くのはそれにとどまらない。セリーヌは戦争の悲惨さを描くことを通じて、大衆の残酷さ、世界の陰惨ぶりを包み隠さずに暴いてしまうのだ。

「たとえ奴らが七億九千五百万人で、僕のほうは一人ぼっちでも、間違っているのは奴らの方さ」(上巻、105ページ)

生田耕作が「少数者が常に正しい」と言っていたことを思い出した。だが、いくら正しくとも、大衆の力の前で、少数者は跪かされる。

「世間の言いなりどおりに振舞えん人間の末路はこんなもんだ。若いうちは蝶々、最後は蛆虫」(上巻、236ページ)

そして挙げられる少数者の処世術が、これだ。

「人生で土壇場を切り抜けるのにいちばん必要なものは、たぶん臆病心だ。僕の場合はこの日以来、これ以外の武器を、つまりこれ以外の能力をほしいと思ったことはない」(上巻、196ページ)

いいことなんか、一つも起こりやしない。嫌な目に合わされ、逃げ出し、その先でまた嫌な目に合う。その繰り返しだ。『夜の果てへの旅』は最早小説ではない。限りなく愚痴に近い、エッセイのようなものだ。

「僕への弔いに、海の中へたとえ唾一つだって吐いてくれる人間がいるだろうか? 一人だっているわけはない」(上巻、276ページ)

「人間を信用することは、こっちから殺されに出かけるみたいなものだ」(上巻、286ページ)

「他人の身代わりに地獄に出かける人間にお目にかかったためしがあるか? あるわけはない。他人をそこへ突き落とす人間にお目にかかるだけ。それだけだ」(下巻、116ページ)

「やまない雨はない」だとか、「明けない夜はない」だとか、夢を見させるような甘言は、もういい加減よしてもらいたい。夜が明けたところで、何も生み出しはしないのだ。セリーヌはこう言う。

「夜の果てる日などありはしないのだ」(上巻、376ページ)

言葉の一つ一つの重さから、読み進めるのに非常に時間がかかった。30ページ進むのに一時間を費やす箇所すらあった。それが上下巻。ちょっとした苦行のようなものだ。共感を持てない人には、絶対に読み通すことのできない文学。無理に読み通したところで、何も残りはしないだろう。卑怯者のための文学。少数者のための文学。稀有なんてもんじゃない。

「闇の中に踏み込むと、最初は怯える、がそれでもやっぱり見きわめたいと思う、するともう深みから抜けられない。一方見きわめねばならないことは多すぎる。人生は短すぎる、だれにも依怙贔屓はしたくない。不安になる、一挙にすべてを判断することをためらう、そして、それにもまして、ためらいつつ死んでいくことを恐れる、なぜならそのときは完全に無益な一生を送ったことになるからだ。これ以上悪いことはない」(下巻、226ページ)

「要するに憶い出だけに感動しているほうが経済的だ……憶い出なら自分のものになる、美しい、すばらしいやつを永久に買い占めることもできる、憶い出なら……生命のほうはもっと複雑だ、とくに人間の形態をした生命は。無残な冒険。これ以上絶望的な冒険もない。完璧な形態へのこの惑溺にくらべれば、麻薬なんぞは駅長の気晴らし程度だ」(下巻、369ページ)

絶望の果てに選び出される孤独は、この上なく甘美だ。そいつを知ってしまった後に、誰かに縋ることができるだろうか。

本書と共にセリーヌの代表作となっている『なしくずしの死』も読みたくなった。当分は読まないだろうが。第二の苦行としてとっておきたい。あまりに不道徳で、あまりに甘美な世界。笑えない分ブコウスキーより余程、たちが悪い。再び、死にたくなるのを抑えるのに必死になって、読むのだろう。

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

 
夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

 

 

<読みたくなった本>
セリーヌ『なしくずしの死』

なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)

 
なしくずしの死〈下〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈下〉 (河出文庫)

 

コンラッド『闇の奥』

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)