Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

敗れし國の秋のはて

堀口大學の父、外交官であった堀口九萬一の人生を追った評伝。

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

 

柏倉康夫『敗れし國の秋のはて――評伝 堀口九萬一』左右社、2008年。


つい先日発売されたばかりの本である。堀口大學を扱った講演会が神田神保町東京堂書店で開催されると聞き、駆けつけたところ、この本の発売記念講演会であった。

著者である柏倉康夫氏と、雑誌『三田文学』に大學の評伝を連載中の長谷川郁夫氏、そして大學の実娘堀口すみれ子氏の三者による講演会だった。長谷川郁夫氏は『堀口大學全集』を刊行した小澤書店の元社長で、大學を直接知る人たちによる素晴らしい講演会だった。会後、想い出にこの本を購入し、友人トモノエール氏が薦めてくれていたのも手伝って、すぐに読んだ。

堀口九萬一のことなど全く知らなかったが、読めば読むほどこの人物の偉大さが浮かび上がってくる。九萬一は長岡に生まれ出世を志し、1885年二十歳の時に司法省法学校の入学試験を受けている。その試験が『論語』の弁書と『資治通鑑』の白文訓点で行われると知った彼は、全294巻から成る『資治通鑑』を漢文のまま読破しているのだ。

大學にまつわるエピソードも豊富だ。外交官となった九萬一は任地ベルギーで二人目の妻スチナと出逢う。大學は先妻政との間の子供で、後に大學はこの継母の実家に留学している。このスチナの父が、実はランボーをピストルで撃ったヴェルレーヌの事件を担当した裁判官シャルル・リグールだったのだ。

「彼はさっそく義理の祖父に、ヴェルレーヌ裁判の様子を聞かせてほしいと頼んだ。するとリグールは、自分の前であんな不道徳な男の名前を二度と口にするなと怒ったという。しかしこの叱責にもかかわらず、大學はヴェルレーヌの詩業に深く引かれるようになり、のちに大著『ヴェルレーヌ研究』(第一書房、昭和八年)を書くことになる」(152ページ)

九萬一は自らの感慨を漢詩の形で残した。そしてそれを集めた『長城詩抄』には、大學による訳が付けられている。「長城」とは九萬一の号である。ちなみに九萬一死後に残されたこの漢詩集の刊行を、大學に助言したのは里見とんだそうだ。

「フランス人の詩を何百篇となく訳している君ではないか、君の訳を添えてだすんだね、そうしたら人も読んでくれよう」(6ページ)

こうして生まれた親子の合作が、また非常に楽しい。以下は九萬一のブラジル滞在中に書かれた漢詩と、大學によるその訳。

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花気満天地   花の香りで外気は一ぱい
好風入晝樓   絵のような室内はそよ風一ぱい
椰葉遮白日   椰子の広葉が太陽をさえぎり
蕉陰引涼稠   芭蕉の影が涼を呼ぶ
山翠思著履   山のみどりに靴をはく気になり
水清時浮舟   清流時には舟も浮べる
退食招酒友   食事半ばに飲み友だちを招き入れ
休沐會時儔   休み日には詩友を集め
高談動乗燭   遠慮の要らない高ばなし
放歌忘百憂   放歌憂を忘れ
何管歳月逝   あんなこんなで月日が過ぎる
個中楽悠々   暢気なものです

(90~91ページ)
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「暢気なものです」って。これには笑った。やっぱり堀口大學は凄い。

九萬一の職業上歴史的な記述も多く、ただ大學が好きなだけでは読み辛い本かもしれない。だが研究書でここまで面白い読み物も珍しいだろう。

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

 

 

<読みたくなった本>
矢作俊彦『悲劇週間』

悲劇週間―SEMANA TRAGICA (文春文庫)

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ゾラ『居酒屋』

居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))

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長谷川郁夫『美酒と革嚢』

美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉

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