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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑

何か軽く読めるものを、と手に取り、すぐさま、とんだ思い違いをしたことに気が付いた。見た目の薄さからは想像もできないほどに、重厚な小説。

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

 

ローベルト・ムージル(古井由吉訳)『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』岩波文庫、1987年。


本当に重厚だった。主題からして難解なのに、文体にまた癖がある。五行も読んだところで電車の中で片手間に読めるような小説ではないと気付き、時間を作って徹夜で読んだ。これほど精読を要求する作品に出会ったのも久しぶりだ。

十代の頃に、理解できないままに苦行のように読んだ本たちのことを思い出した。サリンジャーの『フラニーとゾーイー』や、カミュの『幸福な死』など。まだこんなに自分の地点から離れている小説があることに驚く。だがムージルは、熱心に追いさえすれば追いつける、ギリギリの地点で話を進めてくれる。同じ行や段落を何度も読み返し、順次、頭の中で組み換えていく。その作業を繰り返しながら読むから、どうしたって時間がかかる。

「愛の完成」と「静かなヴェロニカの誘惑」は、それぞれ「合一」という主題の下に書かれた中篇だ。愛する人との完全な融合を求める、二つの作品の二人の女たちは、まったく違う方法を見つけ出す。

「あなたが現実の中で思い知るよう、あたしは、あたしはこの獣に身をゆだねる。この想像もつかぬことを思い知るように。現実の中ではもう二度とあたしのことを固く単純には信じられなくなるように。あなたがあたしを手ばなすやいなや、あたしがあなたにとって幻影のようにつかみがたい、とりとめようもないものになってしまうように。ただの幻影、そうなの、わかってくれるわね、あたしはあなたの中にあってはじめて何ものかなの、あなたを通じてはじめて何ものかなの、あなたがあたしをしっかりとつなぎ留めているそのかぎり。そうでないときは、あなた、とてもおかしなぐあいにひとつにまとまった何かなの……」(「愛の完成」より、64ページ)

比喩が非常に多い。「あたかも」「いきなり」「まるで」と、話が度々違う世界へと飛躍し、自分の立っている地平が判らなくなる。

「彼女には返事ができなかった。彼女はいきなり、からだのどこか感覚のない部分だけで、たとえば頭髪とか爪とか、あるいは自分のからだが角質からできているかのように、これらの人間たちのあいだにいる気がした」(「愛の完成」より、71ページ)

この文体は価値である。翻訳でも原文の価値が伝わるのは、作家古井由吉の技量のおかげだろう。文体が特殊だと、また読みたくなる。いつかまた触れたくなる気がする。

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

 

 

<読みたくなった本>
ムージル『三人の女・黒つぐみ』

三人の女・黒つぐみ (岩波文庫)

三人の女・黒つぐみ (岩波文庫)

 

ムージル『寄宿生テルレスの混乱』

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)