Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

夜のミッキー・マウス

「詩集の読み方がわからない」と、人に言われることがある。僕もそんなに読んでないよ、と言いつつ、「好きなように読めばいいんじゃないかな」と答える。俳句や和歌だって詩なのだし、瞬時に全てが呑み込める詩なんて、そうそうない。詩にまつわる叙情なんて個人的なものだ。個人的な体験と詩が重なって、初めて感動するのだ。
言葉を楽しめれば、いいんじゃないかな。谷川俊太郎を読んで、そう思った。

夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

 

谷川俊太郎『夜のミッキー・マウス新潮文庫、2003年。


―――――――――
五行

遠くで海が逆光に輝いている と書けるのは
私がホテルの二十五階にいるからだ
高みにいると細部はなかなか見えないものだが
神は高みにいたくせにどうやって細部に宿れたんだ
悪魔の助けを借りなかったとは言わせないぞ
(「五行」より抜粋、92ページ)
―――――――――

谷川俊太郎の詩は、すんなりと入ってくる。訳詩でもなければ旧仮名遣いでもなく、現代の言葉で現代の感性が描かれている。詩を読みたいのなら、谷川俊太郎を読んでみるといい。

―――――――――
百三歳になったアトム

人里離れた湖の岸辺でアトムは夕日を見ている
百三歳になったが顔は生れたときのままだ
鴉の群れがねぐらへ帰って行く

もう何度自分に問いかけたことだろう
ぼくには魂ってものがあるんだろうか
人並み以上の知性があるとしても
寅さんにだって負けないくらいの情があるとしても

いつだったかピーターパンに会ったとき言われた
きみおちんちんないんだって?
それって魂みたいなもの?
と問い返したらピーターは大笑いしたっけ

どこからかあの懐かしい主題歌が響いてくる
夕日ってきれいだなあとアトムは思う
だが気持ちはそれ以上どこへも行かない

ちょっとしたプログラムのバグなんだ多分
そう考えてアトムは両足のロケットを噴射して
夕日のかなたへと飛び立って行く
(「百三歳になったアトム」、16~17ページ)
―――――――――

「ママ」も凄い。「ママが死なないようにぼく毎晩お祈りしてるよって言われると/私嬉しくて死にたくなる」とある(「ママ」より、23ページ)。すごいなあ。いいなあ。

―――――――――
広い野原

広い広い野原だ
よちよち歩いているうちにおとなになった
オンナの名を呼びオンナに名を呼ばれた

いつか野原は尽きると思っていた
その向こうに何かがあると信じていた
そのうちいつの間にか老人になった

耳は聞きたいものだけを聞いている
遠くの雑木林の中にはどっしりした石造りの家
そこにいるひとはもうミイラ……でも美しい

広い広い野原だ
夜になれば空いっぱい星がまたたく
まだ死なないのかと思いながら歩いている
(「広い野原」、62~63ページ)
―――――――――

谷川俊太郎の詩を読むと、寂しい優しさを覚える。世界はきっともっと美しくって、でもそれは自分には関係ないんだ、といった気持ちになる。言葉は魔法だ。瞳に映る景色が変わる。呪文はそれ自体魔法なのだろう。言葉によって創られているのだから。

夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

 


<読みたくなった本>
谷川俊太郎『二十億光年の孤独』

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

 

堀口大學『水鏡』
堀口大學『季節と詩心』

季節と詩心 (講談社文芸文庫)

季節と詩心 (講談社文芸文庫)