Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ためらい

現代フランスの作家、ジャン=フィリップ・トゥーサンによる、四作目の小説。

ためらい

ためらい

 

ジャン=フィリップ・トゥーサン野崎歓訳)『ためらい』集英社、1993年。


トゥーサンの作品を読んだことがない人、とりわけ、『浴室』を読んでみて気に入らなかった人は、絶対に読んではいけない。例えばミステリー小説が大好きな人が読んだりすれば、間違いなく怪我をすることになる。トゥーサンに触れたいのなら、まず『浴室』から。『ためらい』だけは、絶対に駄目だ。

というのも、『ためらい』における「ゆるさ」や「気だるさ」は、『浴室』の比ではないのだ。知人の住む街にやってきた主人公は、「ためらい」を覚え、彼を訪ねるのを先送りにしていく。その知人との関係は一切明かされず、何かしら気まずさを生むような過去が主人公とその知人との間に介在していたのかと、疑う余地すらない。「ためらい」から主人公は、知人が自分の到着を勘付いていないかどうか想像を逞しくし、彼との遭遇を徹底的に避ける。動的な事柄が何もないのだ。ただ、主人公との旅を共にするベビーカーに乗った生後八ヶ月の息子が、やたらといい味を出している。

「ぼくは息子のベビーカーを押してスーパーに向かった。ベビーカーの中で体をしゃんとさせて座り、神経を集中して前を見つめている息子の姿は、まるで船団の先頭を守る、小さな不動の船首像という感じだが、ときどき、舗道にぬいぐるみのアザラシをわざと落としては、ぼくがそれを拾ってやるのを、断固とした無関心と、慎重な好奇心とが交じったまなざしで見つめるのだった」(17ページ)

トゥーサンの本はブックオフのような新古書店で見かけることが多いが、この著者の作品は、これら新古書店に行くような客層からは入念に遠ざけるべきだと思った。一部の人しか買わないような前衛的な海外文学が、実用書のついでに買われ、後悔と共に再び売りに出されているのだろう。読み易いからといって、手に取り易いとは限らないのだ。何も起きないことが、逆に価値に結びついている。トゥーサンはそんな、不思議な作家である。

ためらい

ためらい

 

 

<読みたくなった本>
トゥーサン『テレビジョン』

テレビジョン

テレビジョン

 

トゥーサン『カメラ』

カメラ

カメラ

 

ボーヴ『きみのいもうと』
→ボーヴの気だるさにはトゥーサンの文学に通じるものを感じる。

きみのいもうと

きみのいもうと